◇君は人なんだから



「イザヤ、なにしてるの?」


 シャワーから上がったらしいアリシアの声が背中越しに届き、僕は作業BGMにしているラジオを止めて、フライパン片手に返事をする。


「調理器具の確認してた。結構充実しててびっくりしてる」

「サヨさんは生産プラントの合成培養品が『ヒトの食べるものじゃない』って言うほど嫌いだったし……でも、急にどうしてそんなことを?」

「どうしてって、料理作るのに道具がなかったら困るでしょ」

「料理、作れるの?」

「作らざるを得なかった、が正しいかな」

「そ、そう……。

 っていうか、そもそもなんで料理を作ろうとしてるのよ」


 眉根を寄せるアリシアに僕は息を吐きつつ淡々と返す。


「冷蔵庫の中身がとんでもないことになってたから、これは僕がアリシアの料理当番にならなくちゃいけないって思っただけだよ」


 冷蔵庫の中にはあの銀色パウチ――『合成血液パック(500㎖)』が敷き詰められる勢いでいくつも入っていた。

 無造作に積まれたそれらを見た瞬間、僕の脳裏にはあるが浮かんでいた。

 それは朝焼けのダイニングで独り、膝を抱えてパウチに口を付けるアリシアの姿。

 美しくもあり、哀愁を感じさせる光景だった。

 できればその光景は現実にしたくない。

 僕がそんな思いでアリシアを見れば、困惑したような表情でゆるゆると首を振る。


「そんな、私は別に――」

「よくない。全く良くない」


 僕のはっきりとした物言いに、アリシアがびくりと肩を揺らす。そのしおらしい反応から察するに、自分の行いが良くないものだとは自覚しているのだろう。

 別にアリシアが血液を摂っていることや冷蔵庫に血液パックが入っていること自体は何らおかしいわけじゃない。

 アリシアだって死妖だ。死妖は血液を摂らねばグールに成り果ててしまう。

 けれど、綺麗なキッチンと食材が何一つとしてない冷蔵庫を見ればわかる。


「アリシア、血液パック以外何も摂ってないでしょ」

「う……」


 アリシアは気まずそうに視線をそらす。

 死妖の物理的強度や生理的耐性が非感染者より並外れていることは僕だって知っている。おそらく死妖は血液を採れば最低限、それだけで生きていくことが可能なのだろう。でも、だからと言ってそんな生活を続ければ普通の人間の感覚は薄れていく。それはきっとこの世界、あるいは〈終局都市ターミナル〉では望まれないことで。

 だから僕は先ほどのやりとりを引用して宣言する。


「アリシアには健康的で文化的な最低限度の生活を送ってもらう。これは決定事項だ」

「なっ、何を勝手に……!」

「そっちだって僕を〈死妖狩り〉にしたじゃんか。お互い様だよ」

「だからって、私は死妖なのよ!

 人間的な営みなんてしていいわけないじゃない!」

「いやなんでさ。

 死妖だからって人間的な生活を送っちゃダメなわけじゃないし、送るべきだよ」


 誰もダメなんて言ってないんだし、という僕の言葉に大きなアリシアの瞳がさらに見開かれる。


「でも……食材はどうするのよ。イザヤも言ったけど食材なんてカケラも無いのよ」

「今さっき学長に連絡したら宅配サービスで送ってくれるってさ。

 お金は難民支援手当の方から引き落とせるからそっちの心配もいらない」


 何も言えず固まっているアリシアに僕は両手を広げてみせる。


「まだ何かある?」


 それは図らずも先ほどのやり取りが立場を逆転させて再現されたようだった。

 意図したかは定かでないけれど、アリシアが返した問いもその流れを汲んだもので、


「イザヤはなんでそこまでしてくれるの?」


 僕は意趣返しの笑みを作って答える。


「長く付き合っていくんだから、仲良くしたいでしょ」


 してやったり、と胸の中で拳を握りしめる僕をよそに、アリシアが小さく呟く。


「……私も普通にしていいのかな」

「うん、何か言った?」

「い、いえ何も!」


 そうして僕は食事当番、もといアリシア家での家事全般を担当することになったのだけど、ひとつ誤解をしていたことがあった。

 誤解というか、見落としと言えばいいだろうか。

 確かに死妖は血液の摂取だけで生きていける。だからアリシアはまともな食事を取らず、血液パックだけで栄養補給を済ませている――僕はそう思っていた。

 けれど、本当はこうも考えるべきだった。

 食事を取れないから、血液パックで代替しているのだ、と。


「起、き、ろぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

「い〜〜やぁ〜〜っ」


 アリシアは単純に寝起きが弱すぎて朝食を摂らないだけだった。

 良く言えば僕が真面目に考えすぎただけ。ぶっちゃけて言えばしょうもない理由ことだった。

 ベッドにしがみつくアリシアをひっぺがし着替えさせ、食卓まで連れてきた頃にはバタートーストも白身魚のムニエルもコーヒーもすっかり冷めてしまっていた。

 けれどアリシアは目を輝かせて食べていたから、別にいいかと思えた。



 

 起き抜けはそのまま溶けてしまうんじゃないかというくらいダレていたのに、朝食を摂ったアリシアはあっという間に凛然とした雰囲気を取り戻した。


「私、少し用があるから先に出るわ。

〈死妖狩り〉について話がしたいからイザヤも朝のうちに私の教室まで来るように」


 そう言うと、まだ登校までたっぷり時間があるというのに日焼け止めを塗ってさっさと出て行ってしまった。僕は藍色に染まりゆく景色を眺めつつ、昨日聴けなかったラジオの続きを聴きながら朝食を摂り、アリシアほどではないけど時間に余裕を持って家を出た。

 閑静な夜の住宅街を歩きながら、藍色の空に浮かぶ金色の月を見上げ呟いた。


「こんな時間から一日が始まるなんてなぁ……」


 非感染者と死妖の生活リズムは完全に違う。

 死妖の住まう〈終局都市〉では日暮れから一日が始まる。

 なんでも死妖は紫外線の影響を受けやすくなるらしく、日中の長期活動は身体に看過できない悪影響を及ぼすという。だから死妖は日が暮れた頃に目覚め、日が昇る前には眠りにつく。そも、死妖になった時点で体内時計のリズムも昼夜逆転するというから不思議だ。

 しばらく朝日を見ることも無くなるんだろうなと思いつつ、長い坂を降りていく。

 帰りはこの長い坂を登らなければならないのかと思うと今から億劫になるけど〈終局都市〉を眺望できる点はとても良い。

〈終局都市〉は主に商業区と居住区で大きく二分されており、だいたい三:七の割合になっていて、商業区の外縁である湾岸沿いに工業区が細長く横たわっている形だ。僕が向かっている望が丘学院のある学区は居住区の中に存在していて、アリシア宅は居住区と学区のちょうど境目あたりに位置していた。

 坂から見下ろす商業区は朝日の代わりと言わんばかりに煌々とした明かりが灯っていて、中心には行政区の高層建築群とヴィーゲ本部が摩天楼のようにそびえ立っている。

 その向こう側には工業区のコンビナートも商業区に勝るとも劣らない明かりを放っていて、工業プラントの集合煙突からは今日も赤い血煙が上がっていた。

 商業区と居住区を囲んで〈終局都市〉の内と外を隔てる漆黒の外壁は夜闇に溶けて見えず、そこにある証として赤い光点が規則正しく浮かんでいるのみだった。

 何枚も張り紙のなされた電柱の横を通り過ぎながら、僕は当面の行動指標を考える。


「とりあえず目立たないようにしよう」


 身分を偽っているし、そもそも目立つのに慣れていないし、好きなわけでもない。

 特に理由も目的もないのだから、穏やかに過ごせればそれでいい。

 そう思いながら街を散策しがてら登校していたら伊丹いたみさんに出くわし、学院の正門前でアリシアに抱きしめられた。

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