◇アイラ・ザザ・クロウリー

 

 テロ事件から数時間後。

 閉め切ったカーテンの隙間から朝日が差し込むホテルの自室で、僕は優雅に紅茶を飲む少女と対面していた。


「この茶葉はどこのやつなのかな。気に入ったからウチでも欲しいんだけど」

「さ、さぁ……?」


 つややかな燕脂えんじ色の髪を腰ほどまで伸ばし、爛漫らんまんな笑みを浮かべて派手なロリータファッションに身を包んだ姿は時代錯誤な西洋貴族のお嬢さまにしか見えない。いや、むしろ身分的にはお嬢さま以上と言って差し支えないだろう。

 そう、彼女こそ終末統合機関ヴィーゲの統括事務総長であり、僕が編入する予定ののぞみおか学院の学長でもあるアイラ・ザザ・クロウリーその人なのである。

 伊丹いたみさんが統括事務総長の真似をした時は『会ったことないからわからない』と答えたけれど、実際は望が丘への編入手続きの際に一度だけ会って話したことがあった。

 と言っても決して僕が嘘をついていたわけじゃなく、その時は統括事務総長を兼任しているだなんて一言も言われなかったのだ。

 なぜ言わなかったか理由を問いただしても返ってくるのは朗らかな笑みだけだろう。

 アイラさんはそばに控えているメイドさんに声をかける。


「ねぇねぇ、この茶葉仕入れてきてよ。その間にこっちは話つけておくからさ」

「かしこまりました」


 黒髪のメイドさんが二つ返事で頷いて部屋を出ていき、室内に当事者しかいなくなったところで僕は話を戻すべくアイラさんに声をかけた。


「それで学長――いや、今は統括事務総長か」

「好きな呼び方でいいよ、統括事務総長は流石に長いだろうし。

 他の生徒こどもたちのようにマザーと呼んでくれてもいい」

「じゃあ――」

「あ、親しみを込めてアイラお姉ちゃんと呼んでくれても構わないよ?

 ただし語尾に音符マークをつけてかわい〜く、ね♪」

「…………」

「あはは、渋い顔しちゃって。かわいいなぁ君は」


 落ち着け、落ち着け僕。クールダウンだ。間違っても『クソババアがよ』とか言ってはいけない。退学にされてしまう。


「……学長と呼ばせてください。それで学長、どうしてわざわざ場所を変えたんですか。別にヴィーゲ本部でも良かったんじゃ」


 数時間前にチェックアウトした部屋へとんぼ返りさせられた理由を問えば、学長はやれやれと言い出しそうな雰囲気で肩をすくめた。


「だって君、総長室からはスクランブルスクエアは丸見えなんだよ?

 あんなボロッボロの事故現場が眼下にある状態で込み入った話したい?

 というかできる?」

「それは……したくないですね」

「だろう? まあ、後処理で確認しなきゃならない事務に追い回されるのは目に見えてたから逃げ出したかったっていうのもあるね」

「どう考えてもそっちが本命では?」

「そうかもしれないね!」


 学長は満面の笑みで頷き、革手袋をつけている左手でサムズアップした。なんでこんなのがトップ張ってんだ。


「いやいや、統括事務総長が事務から逃げちゃダメでしょう。

 こっちの話し合いなんかよりよっぽど重要なんですから――」

「そんなことないよ」

「え?」

「テロなんかより、君の正体について話すことの方がよっぽど重要だって言ってるんだ。

 ――ねえ、久世くん?」


 そう言って学長が視線を向けた先には、アリシアの姿があった。



 いつの間に着替えたのか、望が丘の制服姿になったアリシアは僕と学長の座るソファには決して近づこうとせず、ベッドの上で腕と足を組んだ状態で不機嫌そうにしている。


「おや、聞こえないのかな。おーい久世くん?」


 けれど反応しないアリシアに、学長はやれやれというように息を吐く。


「どうやら自分の苗字を忘れてしまったようだね。アリシア・ヴィオラ――」


 学長が何か長ったらしい言葉を言いかけたが、最後まで言い切ることはなかった。

 その途中、豪速という表現すら生温なまぬるい速度で飛んできた枕が学長の顔面に直撃したのだ。

 バキバキという音が学長の首元から鳴り、そのまま80度くらいひん曲がる。

 とんでもない光景を前に固まる僕をよそに、アリシアは氷点下の視線を学長に向ける。


「……その名前を呼ぶなと言っているでしょう」


(物理的に)二度と呼べない体にしてから言うのはどうなんだろう――と思った矢先、学長はなんでもないようにバキバキと鳴らしながら首を戻した。

 ありえない光景を前に、自分の口があんぐりと開くのを自覚するが止められない。


「人が呼んでいるのに無視するからだろう。無視はやめなさいと何度も言っているのに」

「マザーのありがたいお言葉、感謝いたします。

 以降、気をつけることにいたします。……で、何よ」

「久世くんとしてはテロと彼の正体について、いったいどちらが重要だと思う?」

「都市全体のインフラに影響するテロと、一個人について正確な情報を求める話し合いのどちらが重要かなんて比べるまでもないわ」

「おや、どちらなのかな?」

「圧倒的に前者でしょう。……私にとっては後者の方が大事だけど」


 学長は小さく付け足されたアリシアの言葉に満足そうな顔をして僕の方へと首を戻す。


「そういうことだ。たった一杯の水でも砂漠と河川じゃその意味合いと価値が違うということを覚えておくといい。ついでに彼女はタチの悪いツンデレだということもね」

「は⁉︎ 人の属性を勝手に盛らないでくれるかしら⁉︎ これだからこの人は……!」


 アリシアが後ろでフシャーと怒っているが、学長は完全にスルーして本格的な話に入っていく。


「さて、場がなごんだところでひとまず状況を整理しようか。

 約六時間前、君はヴィーゲ本部へ来るようワタシに言いつけられていた。そうだね?」

「は、はい。ホテルから向かおうとしたところを伊丹いたみさんに出迎えられて、二人で向かっていたら……テロに巻き込まれました」


 突然現れた異形の異様は今でも脳裏に焼き付いているし、耳朶じだ殷々いんいんと轟いた咆哮はまだ残響が届くような気さえする。

 特にあの赤黒く濁った瞳。あれに睨まれた瞬間を思い返すだけでも怖気おぞけが止まらない。


「あの、僕たちを襲ってきたのはいったいなんだったんですか?」

「グールだよ。血液を長期間摂取できなかった死妖の成れの果てさ。

 まぁアレはだいぶ魔改造されていたけどね」

「これまでにも、こんなテロが?」

「うん。血動車を自爆車両に改造して派手にぶっ飛ばした挙句、そこからびっくり箱よろしくグールを登場させる……それが彼らの一般的な手口だよ」


 なんだか昔の映画ムービーっぽいよね、と学長は皮肉な笑みを作る。

 伊丹さんの言う通り、〈終局都市ターミナル〉は思っているよりオワっているらしい。


「君がテロに巻き込まれたのはご愁傷様しゅうしょうさまではある。だが、そのすばらしい運の無さについてなげくのは後回しだ。それでなぜワタシが君を呼びつけたかだけど――」

「僕がなぜ姉さんに成り済ます必要があるのか説明する、でしたよね」


 以前、学長と会った時に伝えられたのは姉さんが燎原戦役で行方不明となり、戦死扱いになったこと。そして僕が〈終局都市ターミナル〉に入るには出雲サヨに成り済ます必要があるということの二つだけ。あとは去り際、当日この日に“出雲サヨとして来るように”と一方的に言いつけられた。


「ろくに理由も教えられないまま女装させられた人間が納得できるだけの説明はあるんですか。正直今でも恥ずかしいんですけど」


 唐突かつ意味不明すぎる命令に従うべきか否か迷いに迷った挙句、覚悟を決めてスカートを履いた時の、あの股下またしたの感覚たるや。女性は普段からこんなものを履いているのかと謎の羞恥しゅうちと尊敬の念が湧き起こったのを覚えているし、外を出歩いた時はスカートを手で押さえないよう自然に歩くだけでいっぱいだった。

 万感の思いを込めてアイラ学長をにらむようにして問えば、学長は鷹揚おうように頷く。


「もちろんだとも。君は自信を持っていい。

 贔屓目ひいきめ抜きにしたってすっごく可愛いよ。ねえ、久世くん?」

「知らないわよ」

「可愛いか可愛くないかで言えば?」

「まあ可愛いんじゃないかしら――って何言わせてるのよ!」


 一度向けられた矛先ほこさきを退けたまではよかったけど、結果的に乗せられたアリシアは顔を真っ赤にしてベッドの頭に備え付けてある灰皿を投擲とうてきする。学長は当然のごとく無言で灰皿をキャッチする。何なんだこの人たち。


「そういう話をしてるんじゃないでしょう! 私だってサヨさんに関わる大事な話があるからって呼ばれて来てみたらこんなことになって混乱しているのに……」

 アリシアは赤い瞳でキッと僕をにらみつける。けれど羞恥のせいか若干潤んだ瞳に迫力はなくて、正直言ってまったく怖くない。むしろ目があったのを会話の足がかりとして、僕はずっと気になっていたことを口にした。


「そういえば、アリシアと姉さんはどんな関係だったの?」

「なんであなたにそんなこと言わなきゃいけないのよ」

「え、逆になんで教えてくれないのさ」


 久世アリシアと出雲サヨの関係性。

 目の前に名を騙る相手が現れた瞬間、問答無用で殺しにかかるほどの。

 そこまでに至る関係とはいったいどのようなものなのか。

 けれど答えたのはアリシアではなく、アイラ学長だった。


「ここで詳細を伝えるには色々不都合が生じるので簡潔に言わせてもらえば、出雲サヨは久世くんの命の恩人だったんだよ。同時に彼女の保護者であり、後見人でもあった」

「命の恩人に、保護者……」


 なるほど。己を救ってくれた相手がいなくなってしまったところに突然その人を騙る人間が現れたら、それは確かに怒り心頭に発してしかるべきだ。

 しかし、それはそれとして。


「姉さんに後見人なんてよく務まりましたね。

『責任』とか『保護』なんて言葉から最も遠い位置に存在していた人なのに」

「最初は彼女も及び腰ではあったよ。だが、案外なんとかなっていたね」


 懐古しているのか、学長は懐かしむように遠い目をして薄く笑う。


「それとこれは君が出雲サヨに成り済ます必要性の説明にもなるのだけど、出雲サヨは久世くんと一緒に住んでいたんだ。同居、あるいは同棲というやつだね」

「はぁ」

「案外驚かないんだね。てっきりもっと良いリアクションがもらえると思っていたのに」

「保護者と庇護者が一緒にいるのは自然なことでしょう。

 むしろ別々の場所に住んでいる方がおかしいと思います」


 僕がそう言えば学長は小さく首をかしげ、「あぁ、そういうことか」と呟く。

 次いでアリシアが視界の端で嘆息するのが見えた。

 なんだ、どういうことだ。

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