◇ユートピアは存在しない


「マザー」

「なにかな?」

「彼のごとが場を暖めるためのユーモアである確率はどれくらいだと思う?」

「さてね。ユーモアであろうとなかろうと、ワタシの心は暖まったよ。

 こういった手のモノはあまりに久々で軽く感動すら覚えている」


 学長は紅茶を飲んでいた手を休めて僕を見つめる。深い思慮で満たされたはちみつ色の視線は気を抜けば心が絡めとられてしまいそうで、つい背筋を伸ばしてしまう。

 そうして緊張する面持ちの僕に、学長は穏やかな口調で問いを投げかけた。


「出雲くん、今日君が見てきた中でチョーカーをつけている人はどの程度いたかな」

「え……チョーカーですか?」

「ほら、君は女装するために調声機能のついた特注品を付けているだろう?

 だが、チョーカー本来の意図は死妖と非感染者の判別のためにあるんだ。

 一つ一つにIDがあって個人の証明にもなる。ほら、こんな感じに」


 そう言って学長は自らの首に巻かれているチョーカーをとって僕に見せてくれた。

 光の角度次第でチョーカーの裏地にがく的な紋様が浮かぶ。それがIDらしい。


「GPS機能もあり、これさえあれば、誰がどこにいようとわかるんだ。

 まあその権限を自由に使えるのはワタシだけなんだけれどね!」


「はぁ……」

 

 なんの自慢だ。


「さて、もう一度聞こう。チョーカーをつけている人はどれくらいいたかな?」

「どれくらいって言われても抽象的すぎて……たくさんとしか」


 チョーカーを付け直す学長と、再び嘆息するアリシアが目を合わせる。学長に至っては小さい子の失敗を前にした時のような、諦念の笑みすら浮かべていて。


「あの、笑ってないで教えて欲しいんですけど」

「ああ、すまない。決してバカにしていたわけではないからそう機嫌を悪くしないでほしい。むしろワタシは君が純真でいることをとても嬉しく思うよ、本当に。

 そして、これから君の心を汚す事実を伝えねばならないことに強く心を痛めている」

「その心を汚す事実っていうのはなんなんですか」

「それは君が自らたどり着くべきものだ。だから質問を変えようと思う。

 ?」

「え? 何人って……あれ?」


 思い返して、愕然とする。

〈終局都市〉の外壁をくぐってからホテルまでにすれ違った人々。

 伊丹いたみさんと共に歩いたスクランブルスクエアを行く人々。

 いずれも皆、チョーカーを付けていた。

 あの泣いていた少年でさえも。


「いなかっただろう? 一人も」


 固まる僕に、学長は決定的な答えを言葉で構築していく。


「何度でも言おう。チョーカーは入院患者の識別バンドのような役割を果たしているものであり、死妖にのみ付けられている。

 そして君が見た中にチョーカーを付けていない人は皆無だった。つまり――」

「……非感染者ニップはもういないってことですか」

「うぬぼれないでくれよ。人類が絶滅していたら、血液を必須としない第三世代以外はみんなグールに成り果てているさ」

「じゃあどこにいるっていうんですか!」


 僕が声を荒げて問えば、学長はテーブルに人差し指を立てた。

 正確には、その下に向かって。



「現在、一部の湾岸地区および地下居住区には約五万人の非感染者が収容されている」



 告げられた事実に、とっさに言葉を返すことができなかった。

 五万人? そんな数の人間が地下や都市の最端に押し込められている?

 固まる僕をよそに学長は淡々と紡ぎ続ける。


「ワタシ達は欲に塗れた牙から無辜むこの人々を守らねばならなかった。

 だが、守るには鳥籠の中に収めて大事に抱え込むしかなかった」


 学長は笑みを消したまま立ち上がると、窓際まで行ってカーテンをずらした。外は溢れる朝日に照らされる〈終局都市ターミナル〉と、夜中は闇に溶け込んでいた漆黒の外壁が見える。

 死妖は皆眠りに就いていて、朝日を浴びる人間はどこにもいない。


「あまりに皮肉だよ。誰もが安心して眠ることのできるゆりかごを作りたかったのに、結果的にはワタシ達と敵対する相手の望む檻となった。

 ユートピアを目指した結果、ワタシたちはディストピアに行き着いてしまったんだ」


 学長は振り返ると、様々な感情の入り混じった瞳で僕を見やる。


「ワタシ個人の感情的にも、、君を地下送りにはしたくない。

 だから君には名前を、性別を、存在を偽ってでもここに居続けてもらいたいんだ」


 その方が色々と都合もつくしね、と付け加える。


「一応聞くんですけど、総長権限で新規IDの発行とかはできないんですか」


 一縷いちるの望みをかけて尋ねれば、学長は首を縦に振った。


「もちろんできるとも。それくらいならお安い御用さ」

「それなら――」

「だが、徹底的な身辺調査に加えて身体の精密検査も行われる。君が一切不審点のない、それでいてまったく嘘の身分や人生をでっち上げられると言うなら試してみても良い。

 まあ身辺調査をクリアしても血液採取の時点で一発アウトだけどね」


 学長は苦笑しながら、それにと続ける。


「まことに残念ながらヴィーゲも一枚岩じゃない。隙あらばワタシをトップから引きずり下ろして自分たちの傀儡かいらいを据えようとする輩はそこら中にいる。ワタシだってできることならそういうクズどもを片っ端から叩き潰して回りたいし君のサポートもしてあげたい。

 だが正直なところ、今は引きずり下ろされないようにするので精一杯なんだ」


 良い子ちゃんでいるのも楽じゃない、とゆるゆる首を振って言葉を締める。

 しんと静まってしまった空気の中、僕は頬をぽりぽりとかく。


「まぁ……覚悟は決めてましたし、今更です。やりますよ」


 僕がそう言うのを待ち望んでいたというように、学長は頬を緩く綻ばせた。


「出雲サヨが君に残したのは自分自という隠れ蓑、そして戦役後の混乱という名のわずかな平穏だ。その二つが揃っているうちに、君がここでやりたいことを見つけるといい」


 返す言葉も気力もなく無言で肩をすくめる僕に学長は笑みを苦笑気味にして手を叩く。


「さて、話は終わりだ。

 こんなことがあった直後だし、万全を期して護送車に送らせるとしよう」

「別にいいわよそんなの。自分で運転できるわ」


 車の手配だけお願い、と言ってアリシアはさっさと部屋から出て行ってしまう。

 残された僕は学長とドアを交互に見やり、そっと立ち上がる。


「置いてかれると困るんで僕も行きますね」

「ああ。ただ、その前にひとついいかな」


 軽い口調で声をかけられたので軽い気持ちで振り返ってみれば、学長は真面目な顔で僕を見ていた。


「久世くんと仲良くなってあげてほしい」

「……?」


 学長はチラリとドアを見やり、アリシアが戻ってこないことを確かめてから口を開く。


「彼女はやんごとなき身の上でね。仲良くすることのできる友だちが少ないんだよ。

 正確に言えば、ワタシが安心して目を離せられる相手が、だが」

「やんごとなき身の上……?」


 先ほど言いかけていたヴィオラというのが関係しているのだろうか。

 そんなことを思ったけれど、学長は曖昧あいまいに微笑むばかりだった。


「なに、いずれわかる。分からなかったらその時には教えるさ。とにかく今は彼女と触れ合って彼女を理解してくれればいいんだ。出雲サヨの弟である君ならできるはずだよ」

「そんなイイカゲンな期待のかけ方あります? ついさっき殺されかけた仲ですよ」

「すばらしい。とても運命的じゃないか」

「どこが! こんな運命仕組まれてたまるかってんですよ!」

「それはどうだろうね。

 ワタシは一連の流れが出雲サヨによって仕組まれた必然だと言われても納得するが」

「えぇ? なに言って……偶然に決まってるじゃないですか。

 姉さんがただの人間であることは学長だって知っているはずでしょう」

「もちろん知っているさ。

 十年間続いた戦役をたった一人で終わらせた、ただの人間だということをね」

「…………」


 再び返す言葉のなくなってしまった僕に、学長は微笑んで「君もそろそろ行くといい。久世くんを待たせないようにね」と先に出て行ってしまった。


「なんだか〈終局都市〉に来てから振り回されてばかりいる気がするな……」


 伊丹さんにも、アリシアにも、学長にも。


 ……なにより、姉さんにも。

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