◇〈終局都市〉と終末時計


 商業区のホテルから目的のヴィーゲ本部がある行政区へ二人で歩くこと十数分。行政区へと繋がっている大通りに差し掛かった。


「うぉぉ…」


 目の前の光景に思わず感嘆の息が漏れる。

 そこはいわゆるスクランブル交差点というやつだった。

 人波で先が見えない大通りには何十メートルもあろうかというガラス張りの高層建築ビルディング群が居並び、その下をチョーカーを付けた人々――人種も年齢も多種多様な老若男女だ――がさんざめきながら歩いている。

 ほどなくして信号が青から赤に変わると、歩道と車道の間に幾筋もの光線が浮かび上がった。そうして歩行者のいなくなった交差点に図鑑でしか見たことの無い大量の血動車がエンジンをうならせながらまじっていく。

 街灯や電光看板、信号機や車のヘッドライトなどで街には光が溢れていて、真夜中だというのに――いや真夜中だからこそ、暗闇は存在していなかった。


「すごいな」


 様々な色の光や音で満たされる街並みに、再び感嘆の息を漏らす。世界にこんな景色が存在しているなんて知らなかったし、生きてる間に見られるとも思わなかった。

 これが〈終局都市〉なのか。


終局都市ターミナル〉――終着駅ターミナルの名で呼ばれる、文字通り人類の終着点。

 広大な大陸からすら追い出され、極東の島国の、その東の果てまで追いやられ、それでもこれ以上は逃げられないと悟って、決死と絶死の覚悟で反抗に出ると決めた。

 非力で無力な非感染者ニップと彼らをむさぼるだけの資源ではないと愛した博愛主義者の死妖たちが生力きりょく死力しりょくを尽くして守ってきた最後の楽園。

 建都から半世紀以上たった現在までその希望は受け継がれており、百平方キロメートルほどの都市内部には五十万人近い人々が暮らしていた。


「出雲さ〜ん? 何かありましたぁ?」


 僕がついてきていないことに気づいた伊丹さんが引き返してくる。


「目の前の光景に驚いちゃって。故郷と全然違ったから」


 伊丹さんは僕の言葉に目を見開き、返答を迷うようにキュッと眉根を寄せた。


「あ……出雲さん、燎原りょうげん戦役せんえきの難民なんでしたっけ」

「うん――って、そんな顔しないでよ。僕自身は何にもなかったんだし」


 僕が慌てて手を振ると、伊丹さんは口元に手を当てる。


「いえ、ちょっとくしゃみが出そうになりまして……」

「ウッソでしょ、僕の気遣いなんだったの?」

「お気遣いには感謝してますよぉ――へっぷし!」


 思ったより可愛いくしゃみをしていた。その後も立て続けにくしゃみを繰り返し、四回ほどしたところでようやく止まった。死妖なのに花粉症なんだろうか。


「失礼いたしましたぁ」

「いや、うん、大丈夫……」


 車両信号が青から黄色へ移り変わる。


「そういえば、」


 ふいに伊丹さんが僕の袖を引いた。


「出雲さんは何かやってみたいことってありますか?」

「やってみたいこと?」


 話はさっきのくしゃみと一緒に吹き飛んだと思っていたのに。


「友だち百人作るとかぁ、新しい趣味を始めるとかぁ、そんなことです!」

「唐突だなぁ……」


 でも、これが伊丹さんなりの気遣いだということはわかる。

 辛い過去のことばかり考えないで明るい未来のことを考えよう、という。

 僕は少し考え込んでから答えを出す。


「…………人探し、かな」

「ひ、人探しですか?」


 伊丹さんが怪訝な顔をする。


「うん。姉さんがここに来てるはずなんだけど……探す手立てが全くないんだよね」


 僕は首をすくめながら笑う。当然だ。

 僕が姉と最後に会ったのは五年も前の話なんだから。


「……すぐ見つかりますよ、きっと」

「そうだといいな」


 楽しい話題ではなかったけれど、伊丹さんは笑ってくれた。

 やっぱり、良い人だ。


「――ところで、あれがヴィーゲ本部でいいんだよね?」


 僕は安堵しつつ、すぐそこまで迫っている抜きん出て大きな建物を見上げる。

 いくつもの建物を合体させた要塞のような威容を誇るそれは終末統合機関ヴィーゲと言い、行政区の中央に君臨しており、同時に〈終局都市〉の中心でもあった。


「はい。あそこの時計盤がある棟で統括事務総長が待ってます」


 伊丹さんが視線を向けた先、天高く突き抜けた摩天楼まてんろうのような中心部は大きな時計塔になっている。あの尖塔部分だけはホテルの部屋からもずっと見えていた。


「東洋のビッグ・ベンって呼ばれてるんだよね」

「おぉ、よく知ってますねぇ」

「色々と有名だからさ」


 本当は昨日もらった資料で知ったばかりなのだけどそうとは言わずに僕も時計盤を見上げる。現在時刻はすでに一時を回っているというのに、時計盤は十二時ちょっと過ぎを指して止まっている。

 けれど、故障ではない。


「今ってなんだっけ?」

「マイナスです。ついこないだまで百四秒だったんですけど、燎原戦役で二十二年ぶりに四秒戻ったんですよぉ」

「うへえ」

 思わず苦笑いが出る。

 二十二年ぶりでたったの四秒とは、ゼロ秒に戻るまであと何年かかるのやら。

 それまでにあの終末時計が錆びつかなければいいけれど。

 

 終末時計。

 正式な名称を世界終末時計と言い、世界の終末を午前○時になぞらえ『終末まであと何分』という形で象徴的に示している。

 終末時計の現在指標はマイナス百秒。


 つまり、ということ。


 百秒というのは間違っても現実の経過時間じゃない。

 そんな取り返しのつくような時間はとうに過ぎ去った。

 現実で終末時計がマイナスに振り切ったのは実に五十年以上前。

 世界保健機関WHOが死妖病の感染爆発パンデミックを宣言してから五年後、合衆国が無政府状態に陥って事実上滅亡した時のことだ。


 車両信号が黄色から赤に変わり、目の前に浮かび上がっていた線も消えて僕たちは人波の一滴となって歩き出す。


「まあ、マイナス百秒からスタートしていま六十八秒まで来てるなら、百年後にはゼロ秒になってるでしょ」

「いやぁ、どうでしょうねぇ」


 てっきり今回も『なりますよ、きっと』なんて返ってくると思っていたのに伊丹さんは苦笑しながら肩をすくめる。


「なにか困りごとでも?」

「困りごとというか心配事ですね。燎原戦役以降、不穏な話ばかりでして。妙な宗教組織が復活しただとか、連続失踪事件ですとか、最近も大きなテロが起こったばかりですし」

「テロだなんて物騒な」

「いえいえ、ここじゃ日常茶飯事ですよぉ。ただでさえ世紀末な時勢で国家ですらない自治都市に治安なんて存在しません。終末らしく『オワってる』ってヤツですね」


 冗談めかしてやれやれと首を振っているけれど、声音からは苦心がにじむように伝わってくる。〈終局都市〉の住人の一人として真剣に悩んでいるのだろう。

 けれど、新参者にできるのは同じように冗談めかすことくらいで。


「じゃあ今この瞬間にもテロが起きる可能性があるわけだ」

「普通にありますよぉ。ま、流石にこんな中心部じゃ起きないですけどね」

「それもそうか」

 そう言って踏み出そうとした、その瞬間。


 ――――爆発音がとどろいた。


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