◇お前のせいで


 衝撃で肺腑はいふを揺り動かされる。

 時が止まったような感覚の後、全てが動き出す。


「………………な」


 そこかしこから上がる悲鳴が鼓膜をつんざき、

 いくつもの車両をたきぎに燃え上がる業火が瞳を焼いて、

 漏れ出る血油ブラッドオイルの鉄臭さと軽油臭の混じり合った臭いが胸をつく。

 そうしてやってきたのは阿鼻叫喚あびきょうかんだった。


「そんな、嘘……⁉︎ 出雲さん、早く本部内へ! 避難しましょう!」


 伊丹さんの緊迫した言葉が耳に届くけれど、僕は呆然と立ち尽くしたままだった。

 言霊ことだまだとでも言うのだろうか。

 僕たちがテロについて話さなければ、テロは起きなかった?

 冗談なんて言ったから、バチが当たったのだろうか。

 口は災いの元とは言うけれど、こんなのあんまりじゃないか。

 そんな下らない思考が渦を巻く中、幼気いたいけな叫び声がどこからか聞こえてくる。


「お母さぁん……どこぉ……」


 弾かれるようにそちらを見れば、爆心地のすぐそばでひとりぼっちの少年が頭から血を流しながら大泣きしていた。その少年もチョーカーを付けていて、ああ、こんな子でも死妖なんだと謎の感慨を覚える。


「出雲さん⁉︎ ダメですそっちは――」


 人波の激流に呑まれて伊丹さんの声が遠ざかっていくけれど、構うもんか。


「キミ、大丈夫?」


 遠雷のようにサイレンが鳴り響く中、メラメラと燃え盛る燎火の前で少年に手を差し伸べる。少年は無垢な瞳に涙をいっぱい浮かべてこちらを見上げた。


「おねえさん、だれ……?」

「お母さんのかわりにキミを連れて行くよう頼まれた人だよ。

 ここは危ないから、とりあえず僕と一緒に行こう?」


 ここでぐずられたら無理やりにでもかついでいこうと思っていたのだけど、少年は素直に手を握ってくれた。

 ひとまず急いでこの場を離れよう、さっき伊丹さんが言っていたようにヴィーゲ本部に駆け込むのが一番安全なはず――そんなことを思いながら少年の手を引いたとき。

 業火の中から、が立ち上がった。


「……は?」


 目を疑った。

 けれど、人影が板切れのように投げ飛ばした車のトランク蓋は疑いようもなく、確かな質量と轟音を伴って僕のすぐ横を掠めていった。


「グゥゥ……」


 その人影は右腕のシルエットだけ異常に大きかった。火だるまになりながら、うめき声をあげて一歩、また一歩と燃える車両の山から降りてくる。

 どこまでも濁った赤黒い瞳がこちらにひたとえられているのがわかった時、僕は少年の手を離し、後ろ手で背中をぶっ叩いていた。


「――――逃げろ!」


 次の瞬間、人型の化け物が異形の右腕をかかげて飛びかかってきた。


「グガァァァァァァァァ‼︎」


 感覚を鋭敏化させ、わずかな彼我ひがの距離が埋まっていく中ですばやく思考する。

 こいつは人じゃない。人の形をした化け物だ。

 回避すれば少年の方に向かう可能性があり、迎撃するには懐にあるナイフ一本のみでは到底不可能。ならば残されるのは死なないことにかけての受け身しかない――。

 わずか一秒足らずで結論を出し、僕は突進を受けるように体勢を低く、最後の一瞬まで相手の動きを見ようと目を見開く。

 そうして僕と化け物が激突する寸前、別の人影が飛び込んできた。


「!?」


 流石に反応することができず、僕は飛び込んできた人影もろとも十数メートル以上ぶっ飛ばされ、横倒しになっていた車両に抱き止められる形でようやく止まる。

 窓ガラスのぱらぱらと割れて落ちる音を知覚しつつ、ひとまず意識があって動けることに安堵する。身体の節々が痛むけれど受け身を取ったことによるものだから問題はない。


「いったた……ん、」


 追撃を受ける前に立ち上がろうと手をついたら、ぬるりとした生温かい液体に触れた。手のひらを見れば、それは赤色をしていた。


「……ぅ」


 次いで、腕の中で小さなうめき声が上がる。

 麻痺した頭で腕の中を見下ろす最中、脳裏では『やめろ、見るな』と警鐘が鳴らされていたけれど、どこか他人事ひとごとのようで。


「…………………ぁ」


 果たして腕の中に沈んでいたのは、先ほどまで元気にはにかんで/今は身体を真っ二つに裂かれて/いた伊丹いたみミツキという少女だった。

 ななめに袈裟斬けさぎりされた身体から、生命の源が止めどなくあふれ出る。

 虚ろな瞳で血の海に沈む彼女は生気が感じられなくて、なんだか現実感も無かった。

 それでも、溢れ出す血の生温なまぬるい温度が、不快なほどのぬめが、脳裏に焼きつくほどの真赤が、圧倒的な質感を持って現実リアルだと告げてくる。


 お前のせいで、彼女は死んだのだ――――と。


「グルル……」


 伊丹さんを引き裂いた化け物は付着した血液をその肥大化した右腕ごと食いちぎって咀嚼そしゃくしていた。けれど血を舐め取ってもえないえに喘ぐように、雄叫びをあげる。

 そして、次の標的に僕を見据みすえた。


「グガアアアアアアァァッ‼︎」


 構える間もなく化け物が吶喊とっかんしてくる。

 一歩、また一歩と近づいてくるたび、僕の死も近づいてくる。

 死神が舌なめずりをしながら大鎌をかかげる様を幻視する。

 それでも、怒りすら浮かばない。

 だって、どう怒れと言うんだ。

 自分のせいで女の子一人死なせてしまったくせに。

 出会って三十分と経っていない新参者よそもののために躊躇ためらうことなくその身と命を投げ出せる、こんな終末おわった世界には勿体もったいなさすぎる善性を持った子を。

 この世は良いヤツから先に死んでいく、なんて言葉を思い出しながら僕はせめてもの抵抗として胸元に忍ばせていた短刀ナイフを取り出した。

 いいさ。僕の身体をバラバラにしたいならすればいい。

 でも、お前の右腕も道連れだ。

 そう覚悟を決めてナイフを構えた、その刹那。




「――――伏せて!」

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