外伝:朝焼けの章

名由多正真は、その名前の通り全く正直な人間だった。そしてその正直さは、差はあれど彼の三人の子供たちにも受け継がれているように思える。正直な彼は、嘘をつくのが苦手だった。それが例え小さな子供相手だとしても、彼はいつでも真実を伝え続けた。


だからこそ、きっとあの悲劇は起こったのだろう。


正真は襖を見つめながらそう思った。彼の寝室の襖ではない。廊下と、彼の息子の一人の部屋を繋ぐ襖である。その襖には赤黒い血液がすっかり染み込んでしまっていた。

襖を見つめる目を反対側へと向ける。同じように血を吸った畳を伝い、彼の視線は積み上げられた本の山へと向かった。城壁のように築き上げられたその山は、彼の息子と外界を隔絶するための仕切りなのだろうか。

正真はその山の中に不自然な白い紙を見つけた。動転していた子供たちに気づくことすらされずに、ひっそりと本の山の中へと放り投げられていたその紙は、やや血を浴びてはいたがそれでも周りの古本よりは新しい紙だった。

束になっていたその紙を山から引き抜くと、正真はそれを裏返したり卓上のランプに透かしたりして確かめる。そして、とうとうその紙をそろそろと広げた。



あの日も正真は普段通りの時間に起き、朝餉を摂ると散歩へ出かけた。彼の可愛い真二や真理も普段通りの生活をしていたに違いない。そうして真二が高等学校へと向かい、真理が彼の嫁と買い出しに行ったところで彼はもう一人の子の元へと向かった。

もとより長兄の一真は起きる時間が不規則であった。だからこそ、流石に起きろという時間になれば彼が起こしに行くのが通例だったのだ。そういうわけで、正真は普段通り何も気にかけずにあの襖を開けたのであった。

襖を開けた彼の目に一番に飛び込んできたのは、夜明けを通り越した朝日に照らされた物言わずに投げ出された身体だった。そしてゆっくりとその部屋を見回した正真の眼は、その息子の周りに広がる、彼の頸動脈から迸ったであろう最期の生命の飛沫を認めた。



そんな血塗れの部屋の中央で、正真は長兄の書き遺した手紙を読んでいた。

誰も彼も悪くない、己のみが悪いのだと叫ぶ彼の中心にあったのは、今も昔もきっと正真が幼い彼に放った凶悪な真実。

日も沈みきり、一真が死んでから何度目かの夜が訪れようとしている。しかしこの夜がいくら明けようとも、きっと一真の夜は永遠に明けることはないのだ。そして、おそらくは自分も、この家も、永遠に夜の闇の中で明けることはないのだろう。あのよくできた兄の死は、それほどまでに彼の弟妹の心を掻き乱していった。

「お父さま。真二さまは一体、何時ごろ帰って来るのでしょうか」

「……さあ、私には判らぬ」

いつの間にか彼の後ろに音もなく立っていた娘が問いかける。

「もしも……もしも真二さまが帰らなければ、鈴葉さまは」

「それ以上語るな。あのお嬢さんに聞かれたら可哀想だ」

夕暮れ時を過ぎても帰ってこない次男を案じ、正真は縁側へと目を向けた。こうして人の一生は、連鎖的に狂ってゆくのだろう。


「悪いのは、俺なのだ。書斎の襖を開け、日の差す外へと踏み出さなかった俺が悪いのである」

「……その襖を立て付けてしまったのは、きっと私なのだろう」

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名由多の深淵 巡屋 明日奈 @mirror-canon27

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