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和音が自身のノートと向き合っている隙をついて、ちらりとベランダを盗み見る。
「そろそろ日が暮れるな」
大和は部屋の入口に、和音はベランダの窓に背を向けているため、大和の方からは空の様子がよく見えた。
「……もう帰らないと」
ぽつりと呟いたような独り言は、小さな部屋ではやけに響いて聞こえる。
その言葉がどこか寂しげで。
「なぁ……泊まって行かね?」
つい口を突いて出てしまった。
「え」
大和の申し出に、和音はきょとんとした表情で首を傾げる。数秒経ってようやっと理解したのだろう、和音の頬がみるみるうちに真っ赤に染まった。
「え、いや、オレ、なに言って」
大和も釣られたように、ともすれば和音よりも燃えるほど頬に熱を持った。
(おい待てオレ!! こんなの、まるで)
帰ってほしくないみたいじゃないか、という言葉はすんでのところで飲み込んだ。
それよりも和音の誤解を解かなければ、という事で頭がいっぱいで。
「あ、えっとな、別にお前が心配だからってわけじゃないぞ!? お前があんまり寂しそうな顔してたから──」
「あははははっ!」
次から次へと
あははは、と文字通り腹を抱えて笑う和音に、今度は大和がきょとんとする番だった。
「あー、おかしっ。ふふ、こんなに笑ったの久々」
いまだクスクスと泣き笑いをする和音に、先程までの
「ありがとね、大和」
パンッと軽く膝を叩き、和音が立ち上がる。
「また明日来るから」
ニコリと太陽のように優しく微笑む少女は、この世の何よりも綺麗だと思った。
「あぁ……また明日」
そんな幼馴染みを見てか、大和はそう言うだけで精一杯で。
そうしてドアが閉まる音が聞こえてしばらく。
和音の明るい話し声がここまで聞こえてくるから、きっと母と軽く話し込んでいるのだろう。
大和はフラフラとベッドの
「──行かないでくれ、なんて言えないだろ」
一人きりになった部屋で、その声は寂しげにこだました。
◆◆◆
朝起きてすぐの事。
大和は朝食を食べながら何の気なしにテレビを観ていた。
トースターでこんがりと焼いた食パンに、母が作ってくれたスクランブルエッグとウインナーを載せて食べる。大和にはこの時間が至福のひと時でもあった。
「ここで速報をお伝えします。東京都○○区で殺人事件が発生しました」
アナウンサーが述べた場所は、大和が住んでいる所からほど近くだった。
(そういや、あそこに和音が居るっけ)
モグモグと食パンを咀嚼し、飲み込む。
それからさしてテレビに注視するでもなく、コップに手を伸ばした時だ。
ワイドテレビから、見知った顔が映る。
テレビに映った画面には、和音が満面の笑みでピースしている。
「被害者は同区の高校へ通う竹原和音さんで──」
その衝撃で手がぶつかり、コップを取り落とした。
大和は何があったのか信じられなかった。
「は……。な、んで」
フルフルと唇が、身体が震える。
なんで、どうして、と何度もその言葉が頭の中を反芻する。それほどすぐには信じられなかった。
(昨日オレと勉強してただろ。帰る時お前はまた明日、って……)
ぐるぐる、ぐるぐる。
大和は自責の念に駆られ、テレビの音も母が肩を揺さぶる振動も、遠くで起きている出来事のように思えた。
その間もアナウンサーは、原稿をサラサラと読み上げる。
「……を受け、輸送先の病院で死亡が確認されました。犯人は現在逃走中です。近隣住民の方はくれぐれもご注意ください」
アナウンサーがそう締め括ると、CMが流れる。
そうして速報が終わってからも大和は未だに信じられず、悪い夢を見ているのかと空目さえした。
「昨日、無理にでも泊まっていけって言えば良かった」
「大和……」
つっかえつっかえながらも、なんとか言葉を絞り出す。
母は大和の震える肩を抱き、安心させるように何度も撫でさすった。
──あの時の笑顔が、あの時の会話が、和音と話す最後になるなんて。昨日の自分はなんて馬鹿なんだろう。
あの時もっと強く言っていれば、大和の提案に頷いてくれただろうか。
あの時日が暮れていくことを言わなければ、和音は帰らずにいてくれただろうか。
もう戻ってこない『あの時』が、和音の表情が、何度も脳裏に浮かんでは消えていく。
自分でも知らずのうちに涙が零れ、息が上手く吸えなくなった。
「っ……ふっ、和音……」
ボロボロと温かい涙が頬を伝う。
そうして大和は今までの自分の行動を、自分が抱いていた想いを自覚した。
それから以後、大和が恋する事は無くなった。
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