第21話

「いけないわ、もうこんな時間……ってそうか。ここはレイシャさん家だったわ」



 朝、野鳥の鳴き声と共に目覚めたマナリィは、朝のやることを思い出して騒然とする。

 しかしベッドから起きようとして、すぐ隣から寝言が聞こえてきて正気に戻る。

 そう言えば私、家出してたんだったっけと。


 それでもぐっすり眠れて気分もいいし、再度寝る気持ちも湧かなかった。すぐに部屋の扉を開けて、外の風を室内に入れると、日が高いうちから掃除と洗濯を始める。



「これが、洗濯機。本当にここに入れておくだけで汚れが落ちてくれるのかしら?」



 とはいえ、普段使ってる洗濯板も石鹸もここにはない。

 習うより慣れろとレイシャから言われた通りに洗濯機を回す。


 次にお掃除だ。

 レイシャは結構脱ぎ散らかす癖を持つのか、足の踏み場がない部屋が多い。一人暮らしなのに部屋数が多いのだ。

 半分くらい衣装で埋まってる部屋もあった。

 今も現役のモデルをしてるのかと思うほどの量だった。


 あまり衣装を持たないマナリィからしてみれば驚くべき量である。一着一着拾い上げてハンガーに吊るし、窓を開けて空気の入れ替えをした。


 部屋が綺麗になっていく過程は気分が晴れるようだ。

 ハルクもよく部屋を汚すので、そういうところは似てるなと思うマナリィだった。



「さてと、お掃除も終わったわ。そろそろ朝食かしら? レイシャさんはあるもの使っていいとは言ってたけど……お酒しか入ってないわ」



 棚にはインスタント麺ぐらいしか見当たらなかった。

 ゴミも随分と溜め込んでいる。

 マナリィは見て見ぬふりはできない性格上、それもまとめて出すことにした。ちょうどゴミの日だったので、一気に部屋がスッキリして居心地がいい。


 ついでに買い出しに行って八百屋さんで値切り交渉もしてきた。マナリィだって使えるお金ぐらいある。

 ただしそれを自分のことだけに使う気は無いだけだ。



 朝食の準備を始めてもう少しで出来上がると言うところで、レイシャが起きてきた。



「マナリィ、おふぁよぉ」


「おはようございます、レイシャさん。もうすぐで朝食できるから食べちゃいましょう」


「え? ありがとう。なんだか悪いわね、あたしがやろうと思ってたのに」


「まだ眠気まなこですか? 先に顔を洗ってきてください。もうすぐで出来上がりますので」


「ええ、助かるわ。手料理なんていつぶりかしら?」


「ちょっと、普段から何食べてるんですか? インスタントだけだと栄養偏っちゃいますよ?」


「ごめんなさい、一人だとどうしても手を抜いちゃうのよね。人が居た時は頑張らなくちゃって思たんだけど」


「あー、たしかに私も一人暮らしの時はそういうことありましたありました。でも結婚してからは動いてないと落ち着かなくて」


「そう、少しは落ち着いた?」


「お陰様で。なんとか自分を取り戻せました」


「それは良かったわ。じゃあさっさと顔洗ってくるわね。すぐくるから待っててくれる?」


「はい。ごゆっくりでいいですよ? 料理を出すタイミングはいくらでも変えられますから」


「悪いわね、気を遣わせちゃって」


「いえ」



 寝起きの悪いハルク相手に朝食を作っていると、起こしても二度寝することなどしょっちゅうだった。

 最初はタイミングの悪さを謝ってくれたが、いつしかマナリィが悪いと言って聞かなくなっていた。

 マナリィの中でもそれが当たり前になって、タイミングを相手に合わせるのが上手になってしまったほどだ。



 レイシャが戻ってきたタイミングでトーストを焼き上げ、その上にバターを塗る。二度焼き上げることでトーストはサクサクとした食感になるのだ。合わせるピーナッツバターも用意して。

 そこに野菜屑と薄切りのベーコンを浮かせたスープ、ゆで卵と茹でたじゃがいもをマッシュして混ぜたポテトサラダを用意して、自家製マヨネーズとマスタードで味を調整してサラダボウルに盛った。

 周囲にレタスやプチトマトを添えてトッピングは終了だ。



「わぉ、随分と豪華ね」


「これでも手抜きですよ。ハルクなんて特に感動もせずに口に入れるだけですもん」


「は? あいつ毎朝こんな朝食食べて出勤してんの」



 途端、レイシャの口調が悪様にハルクを貶める。

 それに苦笑しながらマナリィは言葉を続けた。



「普通の家庭でもごこれくらいはご用意してますよね?」


「うーん、ワンチャンスープはあるとしてもポテトサラダを一から作ったりはしないわね。スーパーで買い置きくらいはするだろうけど。今の時間は空いてないでしょ?」


「スーパー、行ったことないんですよね。便利とは聞きますけど、お高いじゃないですか。値引き交渉もしてくれないと言う噂ですし。私は断然地元の八百屋さん派ですね。仲良くなればオマケもしてくれますし」


「ハァ、なんでこんな出来た嫁を蔑ろにするかな~。理想以上の待遇のどこに不満があるってのよ。あ、このサラダ美味しいわ。スーパーのはもっとごろごろしてて食べ応え重視だけど、これは口の中でほろほろと溶けていく感じ。トーストもサックサクでこんなに美味しいのは初めてよ!」


「喜んでもらえたら良かったです」


「それよりマナリィは食べないの? あたしばかり食べてて悪いわ」


「あ、その事でしたら私は朝食を抜いてるんです。一応、サラダとハーブティーは頂いてますけど。お腹いっぱいまで食べると胃もたれしちゃって」


「そうなの。まぁ無理したって仕方ないしね」


「食後のハーブティーもどうぞ。消化促進の効果があるんですよ」


「わぉ、何この至れり尽くせり感。座ってるだけでなんでも出てくるじゃない」


「なんでもは出ませんよ。出せれるものだけです」


「でもこれは勘違いされても仕方ないわよ。もっと忙しいアピールしないと誤解されるわ」



 レイシャはずいっと身を乗り出してマナリィを嗜める。



「そうでしょうか? 私にはこれくらいは出来て当たり前と言う環境でしたし。出来ないと体罰を受けたので」


「そう、これは本格的に病気ね。今日のことがいい刺激になればいいんだけど」


「そういえば今日出かけるんでしたっけ?」



 そういえば昨日、そんな誘いを受けていた。

 浴場での出来事でその日はパニックに陥ってしまったけど、元からその集まりに参加するのが目的だったような気がするとマナリィは思い出す。



「ええ、レイリィブランドの株主総会をやるのよ。といっても株主のほとんどが主婦だし、ああ言うのが欲しいとか、過去にマナリィが作った作品のここが気に入ってるとかそんなアレコレで盛り上がるお茶会ね。あんまり堅苦しい集まりにしたくなくて、でも名目上そう名乗っておかないと資金が動かせないのよね」


「そこに私も?」


「ええ、スペシャルゲストとしてねじ込むわ。それ以前に前々からオファーが来てたのよ。一体どんな人がこれを作り上げてるのかって。だからお互いにとっていい刺激になると思うわ。それと、」


「………?」


「あなたに共感してくれる仲間は増やしておいた方がいいと思うの。あたしだけでもいいけど、あたしだって忙しくていざという時に動けない時だってあるもの。そんな時、相談できる相手があたし以外にいた方がいいでしょ?」


「レイシャさん、そこまで私の事を考えて……」


「まぁ、最終的にそうなればいいなとは思ってるわよ? こんないい子が報われない世の中なんて間違ってるもの。これはね、マナリィに助けてもらったあたしからの恩返しなの。本当はこんなもので返し切れるほど安い恩じゃないけど、あんたは一気に送っても受け取ってくれないからちびちび返すことにするわ」


「はい。私にはそれだけでも大きなお返しです」


「ま、それでいいって言うんなら返す方は楽でいいわよね。でも甘える時はきちんと甘えないとダメよ? あたしはハルクと違ってあんたに完璧は求めてないから。失敗したからって何よ。人間なんだから失敗して当たり前なの。それをあーだこーだ言い訳がましく喚き立てて、自分が失敗したからって当たってくるような奴のことは今は忘れたほうがいいわ」


「ええ、今は株主の皆さんとお話しすることに注力するわ」


「よし、その意気よ。まぁあの人達のことだから身の上話すればころっと同情してくれるわね。なんてったってあたしの身の上話だけで同情してくれるような人たちですもの」


「確か偽物騒動の皺寄せでしたっけ?」


「まぁそれもあるわ。でもその前にあたしは実家で家政婦の如くこき使われてた経験があるのよ。あんたの苦労話からすれば恐縮しちゃう内容だけど、世のおばさま方はそんなあたしでも苦労したのねと慰めてくださったわ」


「それは、今から会うのが怖いですね」



 レイシャでさえそれなら自分はどうなってしまうのだろうと萎縮するマナリィ。



「臆した?」


「少し」


「でもパワフルなのは間違いないわよ。今から気圧されないように気をつけなさい」



 レイシャは貸切にしている喫茶店のドアを押し開けて、入ってきなさいとマナリィを呼び込んだ。

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