第20話
レイシャに言われるがまま、マナリィは家を空けて置き手紙を残した。
書いたのはレイシャであるが、どこもおかしな点はなかったのでそれでよしとした。
今は少しもハルクの顔を見たくないという意味では確かに効果的だろう。
そもそもハルクの方が悪いのだ。
自分の肩を持ってくれるレイシャを悪様に言えないマナリィは、誘われるがままにアパートにたどり着く。
欠陥だらけのマイホームに比べればこじんまりとしてる分、居心地は良い。
ここにレイシャが一人で住んでるのか、と何故か周囲が気になって仕方がない。
レイシャにだって我が家を見られたんだし、見てまわっても大丈夫だろうとマナリィは部屋を確認した。
しかし、ボロを探そうにも出てくるはずもなく。
いかに自宅の方がボロいかを再確認する羽目になっていた。
「なーに泣いてんのよ。言っとくけどうちのアパートは安い方よ? あんたんとこの家がボロすぎるだけ。よくあんな物件見つけてこれたわよね。安いからって流石にあれは不動産を訴えたら勝てるレベルだわ。お人好しのあんたのことだから、言われるがままに頷いたんでしょうけど」
「うっ」
図星だった。
多少ボロくても、この安さの土地付き住宅は他にはないと不動産会社の店員に強く言われて購入した経緯がある。
マナリィは強く言われると抵抗できない性格だったため、よく騙されていた。本人は騙されていないと思っているのがまた不憫なのだが。
「言わんこっちゃない。ま、今日からはここで暮らすんだから気になるなら色々見て回りなさい。あんたの普通がどれだけ頭おかしいか思い知ると良いわ」
「お世話になります」
「はい、お世話してあげる。つってもウチは待ってても食事は出てこないから、食べたかったら自分で作りなさい。食材は好きに使って良いから」
「それはもちろん……その前にお風呂に入りたいのだけど、薪は何処かしら?」
マナリィの家は釜炊き風呂なので、風呂の準備といえばそれを沸かすことから始めるのだ。
が、現代においてそんな全時代的な風呂など見つけることの方が難しい。一体どれだけ時代に取り残されているのか、レイシャが呆れるのも無理はなかった。
「蛇口ひねればお湯が出るわ。それをバスユニットに溜めればいつでも入れるから。あとおトイレも風呂場と併設してるわ」
「えっ」
「言っとくけど、これが普通だからね?」
「はい、すいません」
「いちいち謝らないの。使い方教えたげるから来なさい。あたしも一緒に入るわ。お湯代の節約にもなるし裸の付き合いと行こうじゃないの」
「それは流石に……」
「何よ、同性なんだし恥ずかしがることないでしょ?」
「いや、あの」
「ははーん、見られたくない場所があるのね? 大丈夫大丈夫、そう言う場所は見ないであげるから。あんたは気にせず身体洗われてなさい」
「そう言うのじゃなくて、あっもう!」
勢いのまま、服を脱がされてマナリィは風呂場に放り込まれた。レイシャもすぐに裸で浴場へと入ってくる。
そして体を洗ってる間にバスユニットにお湯を溜めた。
「本当にお湯が出るんですね」
頭にシャンプー、リンス、トリートメントを順番につけられてマナリィは横目で溜まっていくお湯にため息をつく。
「なーに当たり前のこと言ってんのよ。あんたんとこはどうなの?」
「まずは裏の井戸から水を組むことから始まりますね。これが結構な重労働で」
「ちょ、ちょちょ。いつの時代よ?」
「これがうちの普通ですよ? 水道は通ってますけど節約してるので。ガスもそうですけど、大体炭を作って炭火でお料理作ってますから。あ、でも。電気にはお世話になってますよ? 蝋燭も雰囲気があって良いんですけど、ハルクが嫌がったので」
「いや、嫌がるって言うか普通に怖いわよ。えっ、過去からこの時代にタイムスリップしてきたの、あんた?」
「これがうちの普通です。やっぱり変ですかね?」
「変ていうか……呆れて物も言えないわよ。と、お湯流すわよ」
「はーい」
プラスチック製の桶でバスユニットに貯めたお湯を掬ってマナリィの頭の上からかけていく。
シャワーもあるが、ついつい使いすぎてしまうのでレイシャ曰く封印中とのこと。
節約生活をしてるのは本当だったのかと、自分から見たら羨ましい生活を送ってるレイシャも苦労してるのだなと感心するのだった。
そして髪を洗い終わったら次は体と泡をつけたスポンジに手を取り、レイシャの手が止まった。
白魚のように白い肌から、熱に浮かされて古傷が浮かび上がってきたのだ。
それがとても痛々しくて、レイシャは表情を歪める。
「何よこれ! あんた虐待受けてたの?」
レイシャの言葉にマナリィは答えない。
そして人前で肌を晒せない理由が痛いほど分かった。
「誰? あたしのマナリィをいじめた奴は。まさかハルク?」
「違うの! ハルクじゃないわ。これは……」
問い詰めるレイシャにマナリィはただ体を震わせるだけだった。壮絶な過去の記憶を思い出し、何もできなくなっている。
この症状は医療に専門知識のないレイシャにもすぐわかった。
PTSD。俗に心的外傷後ストレス障害と呼ばれる物だ。
幼少期に負ったトラウマがいまだにマナリィを縛り付けているのだ。
マナリィはターナー商事で働いている際、そんな兆候は見られなかった。
そして最近まではずっと平穏でいた。
暑い日もずっと長袖のシャツを着てるのが不思議だったけど、そうだと分かればレイシャも納得がいく。
「そう、辛い思いをしたのね。でもあんたは乗り越えたって言うけど、いまだにこんなに震えてる。無理してたんじゃない。ハルクはこのこと知ってるの?」
レイシャは背中からギュッと力を込めるくらいに抱きしめた。
そのハグにすら体をこわばらせるマナリィ。
一体どんな目にあったのかレイシャには想像もつかない。
けどやたらと自分に自信がないのも、自分の腕を過小評価するのも全ては過去のトラウマが見せる現実。できて当たり前なのもそこに問題がありそうだった。
「勿論知らないわ。知られたくなかったの。私が両親から捨てられたことも、託児所で虐待されてたことも内緒にしておいて? ずっと胸の内に秘めてお墓まで持っていくから。そんな事実、幸せな結婚生活に不要な物だもの」
「そんな震えた声で言われてあたしが吹聴する人間だと思ってんの? 舐められたものね、天下のトップモデルのレイシャさんもそんな下衆な人間と同じように思われてたかー」
「あ、ごめんなさい。別にそう言う意味で言ったわけじゃなくて」
ちょっと意地悪に言いすぎたか、マナリィは目の色を変えて焦り出す。
「大丈夫よ、口が裂けても言わないわ……言えるわけないじゃない、親友の心の傷をこれ以上深く抉るなんて出来ないわよ。でもハルクだってあんたの身体の傷知ってるでしょ? なんで気がつかないの?」
「それは……電気を消してもらって、布団の中で手探りでして貰ってるから」
「あーはいはい。そう言うプレイね」
惚気話かと話を切る。
レイシャが呆れたように痛々しい肌にそっとスポンジを載せる。ゆっくりと体に力を入れながら、気を遣ってマナリィの体を泡だらけにした。
「痛いところはない?」
「うん、平気。傷はもう痛まないわ」
「でもその時の傷を負った記憶が残っているのでしょう?」
レイシャの語りかけに、マナリィはコクリと頷いた。
「今日はあたしがもてなしたげるから、あんたはゆっくり心と体を癒やしなさいな。たまにはこうやって誰かの世話になるのも良いものよ? そもそもあんたが誰かの世話になったことなんてあるのかしら?」
「…………」
「そこ、黙り込まない。一応勤続時代に目をかけてあげた自負はあるのよ?」
「はい、あの時は大変助かりました。レイシャさんのおかげでこうして結婚も出来ましたし」
「その結果がこれじゃあ、世話を焼いた意味がないわ。もっと幸せになってくれなくちゃ。独身のあたしが焦るくらいに幸せになりなさい。今まで頑張ってきたあんただからこそ、幸せになんなきゃ許さないんだから!」
体に湯を流しながらレイシャは語る。
マナリィはすっかりPTSDの恐怖を乗り越えることができていた。本当にかけがえのない親友を持ててよかった。
結婚して終わりではないのだと知れた。
幸せは自分の力で掴み取らない限り絶対に向こうからやってくることはないと言うことも知れた。
その日マナリィはレイシャの言葉に励まされて眠りについた。
ハルクのことも、過去の出来事も、眠りにつく頃には綺麗に霧散していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます