第19話

 マナリィがハルクの前に姿を表すその日まで、どこで何をしていたのか?


 ことは一週間前まで遡る。

 家事をボイコットして徹底抗戦すると決めた翌朝。

 夫から謂れのない謝罪を求められた。


 朝起きれなかったのはマナリィのせいだと言われて、流石にそれはどうかと思ったのだ。

 今までだったら遅い時間までお酒を飲んでてても、それは会社のお付き合いだからと我慢できた。


 だから少しでも胃の負担が軽くなるようにと魚介のスープを作ったり、朝は優しく起こしたりと心がけてたのに、相手にしてみれば主婦ならそれはして当然だという態度に怒りが湧いた。


 だから売り言葉に買い言葉で、結構失礼な物言いをした。

 後になって言い過ぎちゃったかなと思うマナリィだったが、悪いのはハルクの方だと思えば少しは溜飲が下がる。


 と、これからどうやって籠もってやろうか。

 無計画で立て篭もり作戦を敢行したマナリィ。

 こんな時の頼れるブレーンは一人しかいない。


 マナリィは我慢は得意だが、咄嗟に頭が回る方ではなかった。



「で、あたしに頼ってきたってわけね」



 仏頂面のレイシャがマナリィの言葉を聞いて大きなため息を吐いた。それはそれはかなりの大きさだ。聞いているマナリィが滅入るほどである。



「まだそんな屑野郎とお付き合いできるあんたの精神性に心底呆れるわ。正体を知れてよかったじゃないの。早く離婚しちゃいなさいよ。マナリィの存在をその程度にしか思ってないんでしょ?」


「そうなんだけど、彼には私の苦労を知ってもらいたくて……」


「無理じゃない? 男は自分の都合の良い方にしか考えないもの。同じ屋根の下で暮らしてれば平気で頼ってくるわよ。うちの父さんもそう。仕事は雇用の関係だっていうのに父親からのお願いで何度したくもない仕事をさせられてきたか……

 最後には決まってこういうの。お前のためでもあるんだぞ、って。こっちは頼んでないっつーの。全く余計なお世話で呆れちゃうわ。

 だから今一人暮らししてるのよ。そうしたら後になって帰ってきてくれってせがんできてね? 母さんが早くに亡くなってから家事は女であるあたしがやるべきだってやってたのだけど。子供は親の奴隷じゃないって言ってやったわ。そしてようやく親離れできたの。向こうがあたしから離れられたかはわからないけどね」


「うわぁ、親子でもそんななんですね」


「そうよ。あんたは……ってごめんなさい。配慮に欠けたわね」



 レイシャはそこまで言いかけて、マナリィが親に捨てられた経緯を思い出した。児童託児所に預けられたまま引き取りに来ないということはそういうことだ。



「いえ。過去のことは吹っ切ったのでどうでも良いんです。大事なのは今ですよね? だから私は結婚を急いだの。でもその結果が、ね?」


「あんたはよく頑張った方よ。普通だったら裁判所に駆け込んでてもおかしくない内容だわ」


「そこまでではないわ? レイシャさんは飛躍しすぎですよ」



 未だ自分の境遇がわかっていないマナリィに、レイシャは言って聞かせるべきかと心を鬼にする。



「あんたは我慢慣れしすぎてるから感覚が麻痺しちゃってるのよ。普通はね、酷い横暴だって思うものよ。あんたは理想のために頑張ってるけど、相手がそれに応えてくれたことはあった?」


「あるわ」


「たとえば?」


「えっと……」



 マナリィはハルクの良いところを必死に思い出そうとした。

 しかし考えれば考えるほど出てこない。

 そんな一生懸命なマナリィを呆れたように見つめ、レイシャは無慈悲な宣告を告げた。

 


「はい時間切れです」


「えー! 短いです。後三十分ください!」


「そこまで待たなきゃ例えを出せない相手って事よ。いい加減理解したでしょ? あんたの一目惚れにかける思いは凄まじいとは思うけどね、どこかで休息を入れなきゃ先にバテるのはあんたの方よ?」


「う~~」


「唸ってもダメ。ともかく、ハルクの正善性を信じたいのなら一度距離をおいたほうがいいわ。あんたが近くにいるからつけあがるのよ。物理的にいなくなれば文句を言う相手もなくなってより虚しくなるでしょ? そんでマナリィの有り難さを嫌でも思い知るの。どう、完璧な作戦でしょ?」


「でも、それだとあの人は起きることも着替えることもできないわ。ご飯だって満足に食べられないし」


「ねぇ、話聞いてる限りじゃ、あんたはハルクの妻なの? 母親なの?」


「えっと、妻よ。一応?」



 困り眉ではっきりしない返事をするマナリィ。

 そこは嘘でも言い切るところだろうに、自分でも自覚できていないのだろう。だからレイシャがその真実を告げる。



「あたしの見立てじゃマナリィは子離れできない母親にしか見えないわ。だからいつまで経ってもハルクが子供のままなのよ。もっと突き放しなさい。二人でやるって意味を思い出させてやるのよ。結婚てもっとお互いが苦労するものなのよ? それをあんたが何でもかんでもやってしまうからハルクが自立できないんじゃないの?」


「そんな……!」


「やっぱりあんたは結婚生活を勘違いしてるわね。そうね、普段主婦がどんな生活をしてるか見せてあげるわ」


「えっと、でも」



 ここに来て戸惑いを見せるマナリィ。



「この際だからこのまま家を出ちゃいましょう? あたしも今一人暮らししてるし。一緒に暮らせば良いわ。どうせあんたの事だし取りに帰る荷物なんてそこまでないでしょ?」



 立て篭もるための手段を聞きに来たのに、いつの間にか家出計画を立てられていたのだから。その上で主婦業をボイコットするのなら好都合と趣味の時間を拡張する提案を打ち出された。



「……はい」


「そこでそんな答え出せるのはあんたぐらいよ? ハルクには現実を見てもらう良い機会じゃない。どうせ引きこもるつもりだったんなら、中にいようが、外に出ようが距離を取るって意味では同じでしょ?」



 同じではない。が、気分が参ってるマナリィは言われるがままに行動する。今はもう、レイシャしか頼れる相手がいないのだ。



「大丈夫、きちんと置き手紙も用意するわ。一応着替えくらいは持っていきましょ」



 言うが早いかレイシャはマナリィ宅へと足を向ける。

 絶対に来ないでくれと嘆願したのはマナリィなのに、自分の都合で呼び込んでしまうのは不甲斐ないとおもっていた。

 ズカズカと入り込むレイシャに変なところ触らないでと焦るマナリィ。



「って言うか、あんたの部屋なんもないわねー。どんだけ節約してるの? リビングから見てここだけ生活空間別次元よ。普通ここまで切り詰める? え、貯金切り崩してまでハルクにお小遣いあげてるの? バカねー」


「え、普通はしてあげないんですか?」


「しないわよ。妻は夫の奴隷じゃないのよ? あんたのそれはただの奉仕だわ。それにあんた、いつから主婦からメイドになったのよ。あんたは何でもかんでもやりすぎなのよ。もっと堂々と旦那の稼ぎが悪いことを追求してやんなさいよ。これじゃ相手がつけあげるのもわかる気がするわ」



 そんな風に言われて、確かにそうかもと思うマナリィだった。

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