第3章(その4)

「大尉! 王子が危険です。お引き留め申し上げねば!」

「言っておとなしく聞いてくださる御仁であれば、誰も苦労などせぬよ」

「では、いかがいたしましょうか……?」

「無理と分かっていてもお引き留めするより他に無かろう。何かあれば、お前や私の首が飛ぶぞ」

「失職するということでありますか?」

「場合によっては文字通り、斬首となるやもな」

「な……りょ、了解しましたっ!」

 兵士はそういって、勢いよく飛び出していったのでした。

 まああの王子の存在は宮廷でも相当に疎ましがられているということですから、命さえ無事であれば、いいところ部隊長である自分が更迭される程度で済むのではないか、と大尉は考えていたのですが、さりとて彼だって職を失いたいわけではありませんでしたので、兵士達にもせいぜい頑張って王子を守って貰わねばなりませんでした。

 ともあれ……王子当人の無駄に高い熱意、兵士達の半ばやけくそに近い思い、王子の身柄だけは役目上守らねばならぬという無茶な状況にどうにか追従しようという踏ん張り、などなど……そういった諸々が渾然一体となって、王国軍はついに、火の山の洞穴にあと一歩というところまで肉薄しようとしていたのでした。襲いかかる炎をかいくぐって、先頭に立つのはもちろんホーヴェン王子その人です。彼が今まさに洞穴に勢いよく飛び込もうとしたその瞬間、リテルが叫んだのでした。

「バラクロア様、火を消して!」

 唐突な言葉に、魔人は一体何を言われたのか訳が分からぬままに、とにかく山を覆っていた全ての炎をいったん引っ込めてしまったのでした。

 突然炎がやんで、王国軍の兵士達はもちろん困惑しましたが、一番面食らったのは他の誰でもない、ホーヴェン王子だったでしょう。何しろ炎が盛大に吹き荒れる地獄の入り口のような洞穴に勇んで飛び込んだつもりだったのに、急に炎が全て消えてしまえば、そこにはひたすらに何も見えない真っ暗闇がぽっかりと穴を開けていたのです。

 ここで思い出して欲しいのですが……最初にリテルがここを訪れたとき、彼女は下り傾斜になっている洞穴を恐る恐る下ってきたのではなかったでしょうか。山の斜面を全力で駆け上ってきたその勢いのままに、洞穴に飛び込んだホーヴェン王子ですから、リテルが慎重に下りてきたのと同じ下り傾斜を、王子は足元が何も見えないままに全力疾走で下っていく羽目に陥ったのでした。

 ……というか、最初の一歩からすでに、「駆ける」という体裁を彼は失ってしまっておりました。彼の足は最初の一歩目からいきなり着地点を誤ってしまい、そのままずるりと砂利の上でから滑りしてしまったのです。

 あとはそのまま、体勢を崩して思い切りよく転倒して、ごろごろと豪快に転がり落ちていくだけでした。勇ましい勇者の雄叫びはそのまま野太い悲鳴となって、真っ暗闇の洞穴を底へ向かって消えていくのでした。

 後から続く兵士達にしてみれば、不意に真っ暗闇になった洞穴の奥に何が潜んでいるのかなど窺い知れるはずもありませんから、奥へと消え行く王子の悲鳴が一体何を意味しているのかなど分かるはずもなく、王子を襲った非業の運命についても、ただただ想像するより他になかったのです。

 丁度その悲鳴は、まるで断末魔の叫びのように兵士達には聞こえ、誰しもがそこで怖じ気づいて足を止めてしまったのでした。勇猛にも王子を追って洞穴に続けて飛び込んでいこうという者は誰もおりませんでした。皆が皆、それは無謀であっても勇猛などとは決して呼べないだろうことを薄々感じ取っていたのです。

 そこで一度足をとめてしまった彼らをあらためて拒むかのように、次の瞬間、ひとたびは止んでいた炎がまた盛大に噴き上がって、洞穴の入り口を塞いでしまったのでした。洞穴だけではなく、火の山のあちこちで吹き荒れていた炎が、また勢いを取り戻して荒れ狂い始めたのでした。一瞬の暗闇と静寂が、まったく嘘だったかのように猛烈な炎でした。

「退却! 退却だ!」

 誰からとなくそんな言葉が飛び交い始めました。それはきちんとした命令として伝達されたものなのか、そうすべきだ、と思った誰かの考えが、自然と伝繙してしまったのか……どちらにせよ、兵士達は活動を再開した炎に追い立てられるがままに、またしても敗走を強いられるしかなかったのでした。



(次章につづく)

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