第4章 招かれざる客

第4章(その1)

 さて、兵士達がそうやって退却していくさまは、もちろん洞穴にいる魔人とリテルも、例の水鏡で見て把握していることでした。洞穴の外では炎が盛大に燃えさかっておりましたが、近づく者がそれ以上いなくなったという意味では静かになったといえるわけで、リテルと魔人は恐る恐る、洞穴にやってきた――転げ落ちてきた椿入者の様子を見に行くことにしました。

 入り口の斜面を、てっぺんから底まで一気に転げ落ちた格好になるわけですから、実際にはそこまで険しい傾斜ではないにしても、もしやということも有り得るわけで、とくにリテルなどは心配で気が気ではありませんでした。これという物音も声もせずに妙に静かだとなればなおさらです。

 無論、魔人にしてみれば相手の身を案じる由縁などまったくありませんでしたが、これまでリテル以外に許してこなかったこの洞穴への予期せぬ来訪者の存在は、彼にしてみればやはり迷惑なものでした。

 そんな次第で……洞穴の入口の斜面の一番下を、魔人とリテルが二人して恐る恐る覗き込んでみますと、そこに鎧かぶと姿の中年男が倒れ伏したまま、小さなうめきをあげていたのでした。

「ううむ……」

 気を失っているのかと思いきや、そうではありませんでした。倒れ伏したままの姿勢で、ぼんやりとした視線で周囲を見回して、おのれの前に立つ二つの人影――魔人とリテルの姿を見出したかと思うと、不意に形相を険しくして、二人を睨み付けてきたのでした。

「貴様が火の山の魔人、バラクロアか」

 いかにも忌々しげに口にしたその言葉に、当の魔人はその通りだとも、いや違うとも、何も言い返さぬままにいかにも迷惑げな表情でホーヴェン王子を見おろすばかりでした。

「おい、こいつをどうしたものかな……?」

 まるでぼやくような口調でリテルに問いかけましたが、彼女だってこれには返答に窮するばかりで、どう答えてよいのかうまい答えがすぐには見つかりませんでした。

 が、そんな二人の短いやりとりは、王子の目を魔人ではなくリテルの側に向けさせるに充分でした。魔人を睨み付けたとき以上の険しい表情でリテルをくわっと睨み付けると、歯噛みするように口元をゆがめたまま、リテルを詰問するのでした。

「小娘よ、お前は一体何者だ? 何故このような場所にいるのだ。……それともお前の方が、火の山の魔人だとでもいうのか」

「いえ、あの、えっと……それは」

 困惑したリテルが思わず後ずさった次の瞬間、ホーヴェン王子の口から突然罵りの言葉が飛び出してきて、リテルは怖くなって魔人の小さな背中に隠れてしまいました。

「畜生めが! そういうことだったのか! ……お前だな、魔人に焼き殺されたという村の娘というのは。それがどうして、当の魔人と連れだってこのような場所に隠れ潜んでいるというのだ!」

 どうして、という言葉が、実際に理由を問うているので無いことは明白で、いかに呑気者で考え無しのホーヴェン王子でも、事の次第は充分に察しがついたようでした。王子はその場でまるで地団駄を踏むように、岩場の上を転げ回り始めたのです。……まあ無理もなかったかも知れません。いたいけな少女が魔人の犠牲になったと聞いてわざわざ兵を動かしたというのに、その少女が何食わぬ顔で当の魔人の隣に立っているのですから。

 王子は悔しそうに一通りわめき散らしたかと思うと、急に痛々しい苦悶の呻きを上げて、そのままうずくまるような姿勢で固まってしまいました。

 リテルが恐る恐る、様子を窺いました。

「ど、どうしたの……?」

「足が……あ、足が」

 何とか言葉になったのはそこまでで、あとは声にならぬうめき声を、まるで猟師の罠にかかった鈍重な獣のごとくに繰り返すばかりでした。次第にその声も、まるで諦めがついたかのように不意に止んで、そのままぐったりと動かなくなってしまったのでした。

 一体どうなったのかと心配になってきたリテルでしたが、まさか王子様ともあろう御仁を、爪先で小突いてみるわけにもいきません。どうすればよいかと逡巡していると、魔人がすたすたと王子の側に歩み寄って、うずくまったままの王子の身体を、よいせとばかりに無造作に仰向けにひっくり返したのでした。見れば、ホーヴェン王子は見るも無様に、白目をむいて気を失ってしまっておりました。

「よし、今のうちに外に放り出しちまおうか」

 魔人の言葉に、そうするのが一番だ、と思わず頷きかけたリテルでしたが、急に思い直して、強くかぶりをふるのでした。

「それは駄目」

「どうしてだ?」

「……だ、だって、この人は私が生きてここにいることを知ってしまったのよ? 私達が兵隊さんたちをずっと騙していたこともばれちゃったわけだから、このまま帰してしまったら私たちだけじゃなく、村の人まで罰をうけることになったりするかも知れないわ」

 思い詰めた表情でリテルはそのように語るのでした。魔人にしてみれば、そういう諸々はリテルの企みであって自分はあまり関係ないし、どうせ企みが露見しようがしまいが、魔人として討たれることになるのは変わりがなかったのですが、まあそれはそれ。

「魔人様、このまま奥に運び入れてしまいましょう。ささ、早く」

「……へいへい」

 人使いの荒いことだ、と魔人はため息を付くと、渋々リテルの言葉通り、気絶したホーヴェン王子を担ぎ上げるのでした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る