第3章(その3)

「……いっそ一人残らず焼き払う方が、おれとしては楽なんだけどなあ」

「駄目。そんなのは駄目」

 リテルに言わせれば、相手がこの洞穴にたどり着く、丁度ぎりぎりの惜しいところで追い返すのが一番なのでした。魔人にしてみればそのように細々と気を配るのも実に面倒くさいものでしたが……次第に、どのくらいの勢いの炎をどの位置に出せばよいかなど、その都度事細かにリテルが横から指図するようになっていったので、魔人は言われるがままに従うばかりでした。

 そういった諸々に付き合わされる兵士達も気の毒と言えば気の毒ですが、リテルだって悪意があって執拗に兵士達を痛めつけているつもりでは全然なくて、ただ村への兵士達の滞在が一日でも長引けば……その間村人達が食べる物に困りさえしなければ、とただそれだけを考えて、彼女なりに精一杯に頑張っているつもりでした。

 その一方で、リテルがそのように頑張れば頑張るほどに、苛立ちを日増しに募らせていくのがホーヴェン王子その人でした。

「所詮、地方の駐留部隊の実力なんぞこんなものということか……ううむ」

 そのように諦め顔で吐き捨てた言葉に、あきらかに色めき立ったのが、下々の兵士達でした。

「何を申されるか!」

「殿下のような高貴なお方のご発言であっても、そればかりは聞き捨てなりませぬ!」

 彼らにしてみれば、徒労に等しい「火の山詣で」を命じられるがままに仕方なく反復しているというのに、命令を下している当の本人からそのように言われてしまっては、立つ瀬がないとはまさにこの事で、腹を立てるのも無理はありませんでした。彼らの紛糾の声の中から明らかに不敬なものが飛び出してくるよりも前に、フォンテ大尉は部下達を制止し、王子に向かって言いました。

「確かに結果が伴わぬことは認めましょう。しかし兵士達の意気は依然として揚々たるものですぞ」

 それだけ、相手の方が手強いのですよ――とここぞとばかりに話を部隊撤収の方へと持っていこうとしたフォンテ大尉でしたが、そう都合よくはいきませんでした。

 ホーヴェン王子は兵士達に向き直ると、口を開きました。

「お前達のことを悪く言ったことは、申し訳なく思うぞ。考えてみればこの俺も、貴様らをただあごで使うばかりで、ここで座して色好い報告を待つばかりというのも、何ともふがいない話ではないか。……どれ、決めたぞ。次はこの俺自身が、先陣を切ってあの火の山へと攻め上ろうではないか。お前達、無論この俺に付いてきてくれるよな?」

 この言葉に、兵士達は正直、またあの山へ行って同じことを繰り返さねばならないのか、と内心うんざりしたのですが、それを顔色や声色に出してしまうわけにもいきません。誰が先頭に立ったところで結果は同じではないか、と誰しもが思いましたが、もはややけくそとばかりに兵士の一人がときの声を上げると、他の者も同様に声を張り上げるのでした。そんな彼らの内なる思いなど知りもしないままに、ホーヴェン王子は一見実に勇ましいこの光景をみやって、実に満足げに頷いたのでした。ただ王子の傍らに立つフォンテ大尉だけが、諦めたようにそっと首を横に振るばかりでした。

 折しもその翌日には、糧食などの補給物資ともに、増援の兵士達が村にたどり着きました。彼らを部隊に加え、いよいよホーヴェン王子自身が陣頭に立って、火の山に攻め上る時がやってきたのでした。

「皆の者! 俺に続け!」

 一人威勢のよい王子と、もはややけくそになった兵士達とが、火の山の斜面をがむしゃらに駆け上っていきます。そこに戦術などという高尚なものは何もなく、ただひたすらに無為無策な猛進でしかありませんでした。さすがの魔人もこれにはうんざりといった態度を隠そうともしません。

「な、この先頭の暑苦しいやつを燃やしてしまえば、それで終わりなんじゃないのか?」

「ええと……気持ちは分からなくもないけど、それは絶対にだめ。この人はこうみえて、とても偉い人なんだから……」

 リテルも困惑気味に、そう返すしかありませんでした。

 ともあれ、増援を得て頭数が増えたこともあって、火の山へ攻めてきた王国軍の勢いは過去にない、最大の勢いでした。魔人にしてみればこれをいっぺんに焼き払って無に返す事は簡単だったかも知れません。しかし適当に追い払うには兵士の数も多く、リテルが水鏡を覗き込んであれこれと指示を出そうにも、どうにも追いつきませんでした。もちろん魔人とて全部が全部リテルの言いなりというわけでもなかったのですが……焼き殺さないように加減するのが、これが存外に魔人には難しかったのです。炎をかいくぐって、徐々にではありますが兵士達は洞穴へと肉薄してくるのでした。

 とりわけ、目覚ましい働きを見せていたのがホーヴェン王子その人でした。彼自身は部隊を率いてはいるものの軍人ではなく、厳しい日々の訓練をおのれに課しているというわけでもなかったのですが、その身体能力には決して不足はなく、何より熱意だけは暑苦しいまでにみなぎっておりましたから、言葉のあやではなくそれこそ実際に、突撃の一番先頭にいたのでした。本来ならば、いくら兵士達を鼓舞するためとはいえ、途中の適当なところで後ろに引き下がってもらって一向に構わない、いやむしろ個人の資質はともかくとして王室の一員であることは間違いなく、その身に何かあれば周囲の者達にしてみれば責任問題にもなりかねませんから、そのような迂闊な行動は慎んでもらいたかったのですが……そのような事をきちんと顧みてくれるような御仁ではありませんでした。

「大尉! 王子が危険です。お引き留め申し上げねば!」

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