第43話 集う縁
「姫様。お久しゅうございます。ご健勝のことと拝見致し、この坊主、悦ばしゅうございます」
「は、はい。天海様もお元気そうで」
困惑気味に答えた沙羅姫に「はい」と
「使いをご苦労だったねえ、白夜。星の巡りがここ数日怪しいと思うてはいたが、やはり悪しき事態を招いてしまったようだねえ」
白髪交じりの眉毛を八の字にすれば、朱門が駆け寄り、主の前に跪く。
「和尚。江戸の留守を任されていながらこの始末。すべては拙僧の未熟さが招いた事態にございます。面目次第もございません」
「なあに、これも
天海は袖を後ろに払う。いよいよ透夜と目を合わせれば破顔した。
「光明は差した。そう悲観することもなかろうよ」
「……あ、あの」
声を発してみたものの、透夜はなにから口にすればいいのか分からない。とにかく様々な感情が体の内に湧いていた。せめて思いの一欠片でも相手に伝わるようにと言葉を掬い上げようとして、しかし両手の隙間からみるみる零れていってしまう。
すると、そんな透夜の心情など容易く察したように天海大僧正は透夜の前へとやって来て、深く頷く。
「言葉とは厄介なものだねえ。それがいつだってほんの少し足りぬばかりに、人は互いを見誤る。疑い、憎しみ、争う。一方でたった一言。心より紡げば希望を与え、その者の生を豊かにすることも叶う。……ほほ。まるで誰もが使える方術だねえ。祝福と呪いをもたらす。ならばこの坊主、是非とも祝福のために使いたいものだあ」
そう言うと天海大僧正は透夜の右手を救い上げた。
皺だらけの両手でしかと包み込む。
「そなたと相見えるこの時を、ずっと、ずっと、夢見ておったよ。こうして我らの下にやって来てくれたこと、心より嬉しく思う。黒須透夜殿。この星の下に生まれてきてくれて、そして我らと出会うてくれて、どうもありがとう」
老人にしては力強い握手。
あまりに光栄で恐れ多い言葉に透夜の涙腺が緩みかける。
すると天海大僧正は加減を見計らうようにして透夜の手を離した。
「さて。みなと語りたいことは多くあれど、今はどうにも時がない。祭礼が無事に終わり体が空いたとはいえ、形代に己の精神を宿すにも限界はあるのでねえ」
「和尚。やはりこのお姿は式なのですね」
朱門が問い質せば「いかにも」と天海大僧正は頷く。
ムジナが「これが式じゃと!」と鼻をひくひく言わせて怪訝そうに彼の周りを付き纏う。
そんな様子など歯牙にもかけず、天海大僧正は己の意見を告げる。
「すでに多くの寺社が被害に遭い、既存の結界を修復することは困難。ならばこの子の言う通り、新たに強力な結界を施して相手ごと封じるといたそうか。不動明王様のご加護を頂くそなたらの力を持ってしてのう」
「しかし、今は蒼馬がおりません」
白夜が代表して応えれば、天海大僧正の薄い唇がわずかに持ち上がる。
「天に祝福されし子らよ。どうかこの国を安寧へと導いておくれ」
この状況で一体どうしてそこまで落ち着いていられるのだろうか。
その場に居合わせた誰もが疑問に思っていた。
すると――、
「おお。こりゃすげえ」
イヅナが立ち上がってなにやら空を仰いでいる。
戸の隙間から光が差し込む。徐々にその明るさは増していく。
その出所を追うようにみんなで廊下の際へと寄れば、いつの間にやら喜多院の上空が暖かな光で染め上げられていた。
眩い光を全身に纏うは、境内上空を覆ってしまうほどに巨大な一匹の龍――。
「あれは……龍……? すごい。本物だ。おとぎ話みたいだ……」
鈍色の鱗の迫るような力強さ。筋肉質の肢体。雄々しく美しい金色のたてがみ。猛禽のような爪に、鋭い眼光――。その神々しさに誰もが圧倒されていた。
すると龍のたてがみの割れ目からひょこりと二つの影がこちらをのぞいた。
透夜は目を凝らす。するとそこには見慣れた友の姿があった。
「蒼馬!」
透夜が呼びかければ、蒼馬は「おうい」と手を振って、横にあった巨大な猫にまたがった。猫は龍の背から地面へと華麗に着地を決める。
「これはどういうことだ。そなた小田原にいたはずでは……」
蒼馬は空を泳ぐようにして優雅に去っていく龍に向かい頭を垂れている。
やがてその姿が見えなくなると、こちらを振り向いた。
「小田原の土地神様に仕える川神様だよ。ここまで送り届けてくださったんだ」
「そうか。あの龍神様は土地神様の
「うん。囚われていた土地神様をお助けすると騒動は収まったよ。……とはいえ現場はなかなかに酷い有り様でね。今も
「では何故そなただけ戻ってきたのだ」
「土地神様がお教えくださったんだ。城にいた多くの妖が、ある人間に率いられて少し前に城を去って行ってしまったとね。そいつらによって土地神様は囚われていたんだ。どうも土地神様の神通力をおぞましい儀式に利用するつもりだったらしい」
「儀式か……」
白夜と朱門は苦い表情を揃って浮かべる。先ほど二人が話題に出した《
蒼馬は続ける。
「それでさ、やつらが向かった方角が
「……なるほど。そうであったか」
「ご苦労だったねえ蒼馬。やはりそなたを遣わして正解だったようだ」
「和尚! それに姫様も! どうしてこちらへ」
その場にいるはずのない大事な二人の姿を見つけて蒼馬は驚く。慌てて跪いた。
「こら、
隣で呑気に首元を掻いていた巨大な猫のヒゲを引っ張って屈ませようとすれば、
「痛いですう。ご主人たまあ!」
彼の使妖らしい大きな猫が大声で喚く。
「ほっほっほ。これで無事、五色が揃うたわけだねえ。よかった。よかった」
その一言で蒼馬は察したようで、努めて真剣な表情で天海大僧正を仰ぐ。
「和尚。一大事なのですね」
「……さよう。今宵その者どもが向かう本命こそは結界最後の砦にして江戸の産神、
「しかし多勢に無勢。和尚と言えどご無理が生じます」
「老いぼれとはいえ、足止めくらいはまだこの坊主にも出来よう。ほほ。案ずるでないよ」
「しかし」
すると、じれったいとばかりに
「だあから! もうぐだぐだ言ってる場合じゃねえんだよ。戦はすでに始まってんだ。とっとと動きなあ!」
「そぞろ」
「まあそうだろうなあ。ならこんな茶番はさっさと終わらせてみんなで一杯やろうぜえ?」
「イヅナ」
「宴。いいですねえ。おしゃけは僕だめだから、またたびを用意してくれますかあ」
「又兵衛、お前ねえ……」
個性の滲む使妖の発言にそれぞれの主人が呆れたように口を開く。
そして天海大僧正の使妖も二人の主と目を合わせれば艶っぽい息を一つ漏らした。
「――そうですね。皆様は江戸の人々を守るため天より遣わされた方々。その真のお役目を果たす時が今ということなのでしょう。ご安心ください。我らはもちろん、事情を知る多くの妖たちがあなた方を支援いたします」
「泰葉?」
沙羅姫が不思議そうに侍女を見上げれば、ふっ、と境内に大小様々な炎が灯った。妖しくも美しい紫紺色の炎が。
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