第42話 少年、悟る。
柱をすり抜けて透夜たちの前に現れたのは一人の老婆だった。
「そぞろ。なにか掴めたのか」
白夜とのやり取りに言葉を失くしていた朱門。しかし舞い戻った使妖を認めて当初の目的を思い出したように口を開いた。
「じゃなきゃ戻ってくるかよ」
ふん、とそぞろは主人の顔に鼻息を吹きかける。相変わらずの塩対応である。
「言う通り新たに調べてきてやったよ。今回多くを襲ってやがったのが地方の小物どもさ。なんでも江戸の守備が手薄な今、寺社の破壊に向かえば土地神の霊力を食らって、たちまち大妖に出世出来ると何者かに
「そうか。やはりな。ご苦労だった」
「……これは困ったことになりましたね」
そぞろの報告を聞いた泰葉がその整った顔を歪ませる。
「ああ。こりゃあうちらの世界でも戦がおっぱじまるかもなあ」
室内をのぞき込むイヅナの瞳はどこか面白そうに丸まっている。
「うむ。地方に住むやつらを焚きつけられては、江戸に住まうやつらも己の陣地を守ろうと躍起になるだろうのう。弱いやつはたちまち強いやつに取り込まれてしまうからのう」
「お前みたいな畜生は直ぐにも餌食だろうねえ」
「あべべべべ! 山姥、もういっぺん言ってみろ!」
「そっか。結界が壊れてしまえばもう人間だけの問題じゃなくなるんだ……」
弱肉強食。それは人間よりも彼らの世界の方がよほど活きた道理のようだ。
例の天海大僧正の敷いた結界は西国と東国の妖を住み分ける、一種の境界線のような役割も果たしていたらしい。
「はん。頭が少しでも回る連中なら気づくのさ。人間がいなくなっちまえば、おまんまの食い上げだってことにね。だがそれ気付かない馬鹿も多いから困ったもんだ。目先の餌にほいほいと釣られちまうのさ」
「直ぐにも妖たちを止めなくてはなりません。江戸で百鬼夜行が起これば人々は、人々は!」
夢で見た戦慄の光景が蘇ったのだろう。泰葉の袖を握る沙羅姫の手がわななく。
「はい。次に妖どもが狙うであろう寺社に目星はついております。……しかしそこを抑えたとして、地力を弱めた各寺社に再びやつらが群がれば今度こそ後がありません。蒼馬もいない今、我々の戦力はあまりに乏しい」
「だが止めなければならないぞ。どうするっ」
白夜の語気が強まる。
焦るのも無理はない。夜は次第に深くなっていた。闇が増せば奴らの勢いも増し、いつ各所に攻め入られるとも限らない。
みんなが口を閉ざし必死に考えていた。
一方で怒ったり、悲しんだり、面白がったりする妖もいて。
そうして色んな感情が一つの部屋に
でもそれはあまりに当たり前のことだった。
だって彼らは今、この時を生きていた。
自分はそれをこの期に及んでどこか他人事のように眺めていたのだった。
何度も命のやり取りをしておいて、国の危機だと言われて尚実感が湧かないのは、結局、自分一人が違う時を生きてきた存在だからだろうか。それとも単に心が冷たいからか。
けれどこの危機を乗り越えた先に、たしかに自分が生まれるのだ。
彼らが繋いでくれた命のバトンがこの手へと託されて、今ここに黒須透夜として存在しているのだから――。
この尊い真実をなんとしても守り抜かなくてはならない。
そのためには自分も必死に考えなくてはいけない。
なぜ不動明王が未来の自分をこの時代へと招いたのか。
なぜ五色の守人として彼らと引き合わせたのか。
「五色の守人。俺たちだから出来ること。俺だから出来ること」
その言葉を自らに言い聞かせるようにひたすらに繰り返せば、やがて言葉は呼び水となり記憶はみるみる遡る。
そして
カチリ。
たしかに頭の中でなにかがはまる音がした。
そして透夜は悟ったのだった。
「――そうだ。五色不動だ」
突然その場を立ち上がったものだから、みんなの視線が透夜に集中する。
「どうしたのだ。透夜」
朱門が訝しげに問えば、透夜はその場に集まる一人一人の顔をじっくりと眺める。
「天海大僧正が結界を敷いた寺社は俺がいた時代にもきちんと存在していた。その中にね、五色不動と呼ばれる五つの不動尊があるんだ」
「五色不動、ですか」
沙羅姫が聞き慣れない様子で復唱する。透夜は「はい」と頷くと再び腰を下ろした。目の前の地図を指差して説明する。
「皇居……えっと、千代田のお城を囲うように目黒、目白、目赤、目青、目黄の五つの不動尊が江戸の各所に配置されていて、今でも人々に親しまれているんです」
「まあ。そうなのですか。目黒不動尊といえば瀧泉寺のことですね。ですがその他にもそのようなお名前の不動尊が各所に存在しているとは。私、とんと聞いた覚えがございませんが」
「まだこの時にはなかったはずです。けれど
「それが五色不動……」
「やいやい透夜。どういうことじゃ。分かるように説明せんかっ」
ムジナが透夜の背をよじ登って定位置につくと、鼻先をぐいぐいと頬へ押し付ける。
すると一早く理解したように「そうか」と口を開いたのは白夜だった。
「その結界を俺たち五色の守人が敷いた。そういうことなんだな?」
赤い瞳が鋭い光を放っていた。
透夜は今度こそ臆する事なくその瞳と向き合って言った。
「兄者。どうして俺が不動明王様に
「なんと」
これこそが試練だったんだ。透夜はすでに確信していた。
そしてこの最大の危機を脱するためには五色の守人が一丸となって事に当たらなければならない。
結界の張り方も分からなければ蒼馬だっていないが、なんとかしなくては。
そうでなければ自分がここにいる意味がなに一つない――。
「うむ。いよいよ五色の守人の真の力が試される時。そういうわけだねえ」
天から響いたのかと、そう思った。
しかし実際その声は廊下の隅より響いたのだった。
「か、
朱門と白夜が弾かれたように立ち上がってその姿を呆然と見つめる。
「いつお戻りになられたのです」
「私が式を飛ばしたのはつい今しがたのはずでしたが」
二人が競うように問いを投げたのも無理はない。
目の前に立っているその人は幽霊なんかじゃない。きちんと質量を伴っていた。
緋色の法衣の奥で鼓動は鳴り打ち、両足は地に引かれるようにして床に縫われている。
妖が化けているならば邪気も漂うが、纏う気配はどこまでも澄んでいて。
これは自身を正確に模した式神なのだろうか。
使いの狐すら狐につままれたような顔で主人を見上げている。
「我が主。なぜこちらへ」
天海大僧正は向けられる多くの視線をさして気にする様子もなく、ゆっくりと歩を進める。そうして室内へ入るとまずは沙羅姫に向かって頭を垂れた。
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