第44話 渡りに船

「これは……」


「こやつらはかつて喜多院ここに助けを求めたことのある妖たちじゃな。わあの顔見知りも多い」


「ムジナ」


「結束など持たないやつらがこうも集まったということは、いよいよもって自分たちの安息の地が侵される危機を間近に感じている証じゃ。これはやるっきゃないぞ、透夜」


「妖が俺たちを助けてくれるのか……?」


 昔、擦り切れるほどに読んだ『妖怪大図鑑』。そこに載っていた多くの妖たちが今、目の前に在った。圧巻の光景に目をごしごしと擦っては、「これは現実だ」と突きつけられる。

 

 朱門が意を決したように「よし」と透夜の肩を叩く。


「では透夜は瀧泉寺として、我らは具体的にどの地を抑えるべきか」


「それならばこの坊主が見繕ったところだよ。いずれも廃寺となっておるが、秘仏として今なお不動明王様が祀られておる。結界を成す方位としても、これが最善であろう」


 天海大僧正がたった今書きつけた巻物を朱門に手渡す。


「かしこまりました」


「あの……」


 透夜の後ろに隠れるようにして立っていた沙羅姫が遠慮がちに朱門に声をかける。


「私も……向かわせていただけますか?」


 先ほど朱門が声を張り上げたのが相当堪えている様子だった。沙羅姫は着物の裾をきゅっと握り締めている。


 事情を知らない蒼馬が「なにかあったの?」と言いたげに透夜を見やる。

 どう答えていいか分からない透夜は、外国人の仕草を真似するように肩を竦めた。


 朱門はもう一人の主人の意向を訊ねるように目配せする。

 すると天海大僧正は相変わらずの笑顔のまま、わずかに顎を上下に揺らす。


 その仕草を受けて、朱門が沙羅姫の前に立つ。丁寧に膝を折って彼女を見上げる。


「姫様。どうか我らとともにこの国をお救いください」


 蕾が綻んだようにぱあっと明るくなって。

 沙羅姫が「はい!」と元気よく応えた。


「皆様、お任せくださいませ。姫様は我が一族が命に代えてもお守りいたしますゆえ」


「ああ。道中頼んだぞ」


 

 みんなで境内へ降りる。守人を代表として朱門が声を張り上げた。


「お前たち。江戸に住まう同胞たちに伝えてほしい。今宵、守人が千代田城の周りに大規模な結界を張る。消滅を免れたくば守人われらの庇護下に入るか、速やかに退くようにと!」


ごおおぉと。地鳴りのような喊声が湧き起こった。

奇妙なときの声に煽られるようにして、透夜の鼓動も早くなる。頬が、熱い。


しかし実際にはまだ大きな問題が残されていたのだった。


「――やるべきことは決まった。しかし今から将軍家にこの事をお伝えし人々を避難させている余裕はないぞ」


「そうだね。それにそんな事を伝えれば混乱は必至だ。不安や恐怖が伝播すれば攻めてくる敵を勢い付けることにもなっちゃうしね。さて、どうするか」


「そうは言うが朱門、蒼馬。この事態、せめて将軍家にはお伝えしなければならないのではないか? 敵の企みを看破したところで肝心の後継者を失くしては、俺たちは生きる指針を失くすも同じこと。とにかくお城の方々を安全な場所へと避難させ、守備を固めることこそ肝要ではないか」


 幕府を守人の誰よりも近い場所から守ってきた白夜にとって、それはとても難しい判断のようだった。その声音は苦渋に満ちている。


「そうかもしれないな。だが事は内密に運ばなければならない。そなたならよく理解しているだろうが、敵はなにもその者だけとは限らない。内部に謀反を企てている者が他に潜んでいたとして、この機に乗じて動かれてはまずかろう」


「だが。真夜中に事を成すとはいえ、騒げば必ずや万人に気付かれてしまうぞっ」


 みんなの言う事はそれぞれもっともだった。


 どうすれば江戸の人々に内緒で決着をつけることが出来るだろうか。

 そもそもそんな事が可能なのか――。

 これにはさすがの天海大僧正も薄い唇を尖らせて黙考していた。


 

 そんな時だった。

 境内にあった妖の群れの中から、


「透夜の兄貴い~」


 透夜を呼ぶ間の抜けた声が聞こえてくるのだった。

 妖どもの隙間を掻い潜るようにして、ひょこりと見覚えのある三つの頭がのぞいた。


「ただいま帰りましただもんよう」


「んだんだ」


「こんなに妖が集まって大繁盛なんだナ。透夜の兄貴の力を頼ってもうこれだけの数が集まっちゃうんだから、さすがなんだナ。オイラたちも鼻が高いんだナ。これ間違いない」


「お前たち……」


 小鬼の三兄弟はたった今到着したのだろう。事の詳細を把握していないようで、意気揚々とやって来て、透夜の前に一列に並んだ。そしていつかのように兄貴分の活躍を祝うように拍手するのだった。


 緊迫した現場にパチパチと拍手が空しく響く。

 けれど三匹はどこまでも楽しそうで――。



「あああああああ!」



 透夜は三匹を指差して大声を上げる。

 

「透夜どの? い、いかがしたのですか」


 沙羅姫が透夜を覗き込むように声をかける。


「……もしかしたら出来るかもしれません」


「はい?」


「江戸の人たちに気付かれずに結界を張ることが!」


 透夜がそう告げれば、沙羅姫は黒目がちな瞳をきゅっと丸める。

 蒼馬が呆れ顔で透夜に近づく。


「そんな都合のいい話あるわけないでしょうが。和尚だって悩まれているんだよ?」


「いや。なにか策があるのだろう。そうだろう、透夜」


 蒼馬の声に白夜が被せれば、みんなの視線がまたしても透夜へ収束する。

 透夜は拍手を止めた小鬼の兄弟を見下ろし、次に境内に群がった妖どもを眺めた。


「……うん。ここにいるみんなが力を合わせれば、きっと、出来る」


 透夜はポケットに手を突っ込むと小さな巾着を取り出した。それを胸元でぎゅっと握り締める。


「おお、があったか!」


 悟ったムジナが透夜の肩に跳び乗った。

 透夜は「うん」と頷いて三匹の前に膝を折った。


「お前たち。戻ってきたばかりで悪いんだけど、ばば様のところに案内してくれないか?」

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