月の上でも眠ってる

「今日、柊休みで自習だって!」


委員長の秋永アキナガは教室に入るや否や嬉々としてそう叫んだ。





1時間目の始業のチャイムが鳴ってから15分ほど経過したのに柊が入ってくる気配がない。各々がぺちゃくちゃと喋り出した中で、委員長が職員室まで先生を呼びに行かないと、という声が大きくなった。でも面倒なことに「呼びに行ったら殺す」などと一部の騒がしい奴らが秋永を詰め、教室に不穏な空気が漂っていた。柊の授業は受けないと厄介だし、不良の俺に絡んでくることはないだろうと思い、俺が行くかと仕方なく立ち上がった。


「じゃあ、僕が行きます」


俺の口から出るはずの言葉が、別の、聞き慣れた男の声によって発された。なぜ、と思って奴の方を見ると、俺と同じように立ち上がってこっちを見ていた。


「……じゃあ、僕が行きます!」


教室中が静まり返ったところにもう一度、よく通る声でそう言い放った。一緒に立っている俺も注目の的となっていて、非常に気まずい。


「あれ、高峰くんどうして立っているんですか?もしかして、僕と一緒に行きたいんですか?奇遇です、僕もそう思ってました!」


「ちげぇ俺1人で行くんだよ、引っ込んでろ七原!」


「えぇ……でしたら僕が行きます。高峰くん」


「うっせぇ俺が行く」


「いえ僕が行きます」


「いや俺だ」


「僕です」


「俺」


「僕」


水掛け論の末、七原はバッと秋永の方を振り返った。秋永は何となく察したようで、「じゃあやっぱり俺が」とニヤつきながら手を挙げて言った。案の定七原は「どうぞ」と口元だけの笑みを浮かべ秋永に譲った。騒いでいた奴らは白けたようで、軽く舌打ちをして黙ってしまった。


「お前って意外とクラス思いなんだな」


秋永が出て行った後、コソッと七原に話しかけた。するとなぜか、顔を一切歪めずに、お手本のような綺麗な舌打ちをされた。"舌打ちはやめよう"という啓発ビデオがあればきっと七原が選ばれていただろう。


「鈍感って、度を超えたら罪だと思うんですよ。そのうち僕爆発しますよ、ってね。高峰くん」


「んだよそれ。褒めてやったのに」


「見当違いです。高峰くん」


「ふん、あっそ」


「高峰くん」


「何だよ」


「お昼休み、一緒にご飯食べませんか。高峰くん」


「……いつも勝手についてくるだろ、ばか原」


「まぁそれはそうですけど、今日は特別なんです。高峰くん」


「何だよ、プレゼントでもくれんのか?」


「……今すぐ買ってきます」


「ばか、冗談だよ!」


血相を変えて教室を飛び出そうとする七原を慌てて引き留めた。普段冗談ばっかり、というか冗談でしか会話してないような奴なのに変なところで真に受けるから困ったものだ。


「僕としたことが……。不覚です」


「いらねぇよ、お前のプレゼントなんて怖くて受け取れねぇ」


「酷いことを言いますね、高峰くん。プレゼントにこっそり僕の体液を混ぜたりするだけじゃないですか」


「よし自首しに行こう。まだ更生のチャンスはあるぜ、七原。いや少年N」


「もう、冗談ですよ。高峰くん」


「当たり前だろ!冗談じゃなかったらもう絶交だからな」


「……僕たちって、友達でしたっけ」


キョトンとした顔で七原はそう言った。確かに、考えてみれば俺たちの関係ってなんだ?脅されて、あんなことやこんなことされて、一方的に好意を向けられ続けて。友達でも恋人でもない、これじゃあ、同じことの繰り返しになるんじゃないか。

答えに詰まっていると、七原はふぅっとやけに色気のある(客観的に見て、だ。別に俺が色気があるとか思ったわけじゃねぇ)ため息をついて言った。


「君の言いたいことは分かりました。つまり、セのつくフレンド、ということですね。高峰くん」


撤回、こんな下ネタ野郎と何かの関係である方が間違ってる。つか、


「ヤってねぇし!」


職員室から戻ってきて黒板に連絡事項を書いていた秋永が、俺の怒号に驚いて振り返った。


「え、何を?」


「……しゅ、宿題」


「それは大変ですね、高峰くん。僕のを移して貰って結構ですよ!あ、なんなら僕が移して差し上げましょうか。高峰くんの、真っ白で純潔なノートに」


水を得た魚だな、と七原の頭をはたきながら苦笑して思った。よく喋る魚は短命に決まってる。だって自らその居場所をばらし続けてるんだから。なんて、七原に限っては持ち前の強運で乗り切れるんだろうけど。




























「それで、乳首の具合はどうですか。高峰くん」


「……おかげさまでもうあんまり痒くねぇ」


「それは良かったです。高峰くん、今日はやけに素直ですね」


「そうか?俺は結構素直な方だぞ」


「まぁ確かに、僕が高峰くんの高峰くんを口に含んだ時や、君の両胸についているその愛らしい突起物を撫でてあげた時なんかは割と素直でしたね。高峰くん」


「おいセク原、ここが教室だったらぶん殴ってたぞ」


「……逆じゃないですか?普通、ここが教室じゃなかったら、だと思うのですが。あと僕は君に触れられるなら何でも嬉しいので、今殴っていただいて結構ですよ。高峰くん」


「何で逆なんだよ?教室だったら絶対誰かに聞こえるだろ。それが嫌だから殴るっつったんだよ。つか何が殴っていただいて結構ですよ、だ!俺が本気出したらどんだけ怖いか知らないだろ、ばか原」


「ふふ、あんまり可愛いこと言わないでください、高峰くん。つまり君は、誰かに聞かれていなかったから僕にセクハラ発言されてもいい、ということですね。高峰くん」


「んなこと言ってねぇだろ!二人の時だって嫌に決まってんだろうが、教室よりましってだけだ!」


「まし、ね。知ってますか?高峰くん。ツンデレの三大法則」


「そもそも俺はツンデレじゃねぇ!」


「1.ツンデレであることを認めない」


「お前絶対今作っただろ」


「2.悪くない=最高、 嫌いじゃない=大好き、まし=愛してる、という意味になる」


「何だそれ、都合の良いように変換するんじゃねぇ!世のツンデレに失礼だろ!」


「君はツンデレ代表かなにかですか、高峰くん」


「違う、俺はあれだ。ツンデレスト」


「何ですか、ツンデレストって。タバコ休憩みたいですね。高峰くん」


「はぁ?どこがタバコ休憩なんだよ?」


「レストって日本語で休憩でしょう。高峰くん」


「うん。でもタバコってどっから来たんだよ」


「ついでに休憩、なんて言う人はタバコ中毒者って昔から決まってるじゃないですか。高峰くん」


「知らねぇよ。つか俺が作った言葉を泥棒すんじゃねぇ!」


「ふふ、ごめんなさい。で、何ていう意味なんですか。高峰くん」


「ツンデレの権利を尊重し、ツンデレに対する偏見の解消を唱える人」


「……それさっき社会の授業で習ったフェミニストの意味ですよね。高峰くん」


「そうだ」


「開き直ってます?高峰くん」


「うるせぇ、俺はツンデレストのトップなんだよ。だからツンデレの三大法則は無効だ」


「3.死ぬほど可愛い」


「……可愛くねぇし」


「え、高峰くんはツンデレではないんですよね」


「……そうだよ」


「僕はツンデレの三大法則の3つ目を言っただけですけど」


「お前まじで性格悪いぞ」


「ふふ、冗談ですよ。高峰くんは可愛いに決まってます」


「そこじゃねぇ!あぁもうお前と話してると埒があかねぇ」


「僕は楽しいですけどね。君と話していると」


「……別に、俺だって楽しくないとは言ってねぇけど」


ボソッと小さな声で呟いてみたが、案の定聞き取れなかったようで首を傾げてこっちを見てくる。こんな発言、否定しておいてツンデレそのものだ。何でもないとお決まりの言葉で誤魔化して、照れくさくなって目を逸らした。


「照れ峰くんですか?」


「……うっせぇ。つか、何で急に屋上で昼飯食べたいなんて言い出したんだよ?」


「あぁはい、少し確かめたいことがあったというか。君、1年生の頃はよくここで食べてたんですよね、高峰くん」


「……食ってたけど、何でお前が知ってんだよ」


「まったく、君は僕の情報網を甘く見てますね。君が直接言わなくたって君について知ってることは山程あります、高峰くん」


「ストーカーだろ」


「情報屋って言ってください。高峰くん」


「情報モラルが欠落してんぞ。お前他の奴のそういう情報も集めてんのかよ」


「そんなわけないでしょう。高峰くんだけです。もしかして嫉妬ですか?お餅焼いてます?こんがり良い匂いがしてきますね、高峰くん」


「嫉妬じゃねぇし餅は焼かねぇ、雑煮派だ!」


「なるほど、高峰くんはじっくり煮詰めて、根に持っちゃうタイプなんですね。餅だけに」


「ばか原くん、今日は一段と親父くせぇけど大丈夫か?」


「あは、どっか打ったのかもしれませんね。その拍子にダジャレ好きのお父さんの霊でも憑いちゃったのかも」


「……どこの親父も大体好きだろ。親父ギャグって言うぐらいなんだから」


「まぁ、そうですね。高峰くん」


「で、確かめたいことってそれか?何でわざわざ屋上まで来たのか分かんねぇんだけど」


「何て言うんでしょう。えっと、現場検証的な、アレですね。高峰くん」


「はぁ?事件でも起きたのかよ」


「事件と言えなくもないですね。特に、僕にとっては。……高峰くん、いいですか?」


「……何が?」


「これから僕がすることです。いいって言ってください、高峰くん」


「それ言われていいって言う奴いると思うのか、ばか原」


「じゃないと教えませんよ、僕が確かめたいことが何なのか」


「別に興味ねぇし!」


「本当ですか?気になって夜も眠れなくなるんじゃないですか。それでだんだんお化けが怖くなってきておねしょしちゃって僕に泣きついてきても知りませんよ。高峰くん」


「お前俺のこと幼稚園児だと思ってるだろ!つか百万歩譲っておねしょしたとしてもお前なんかに泣きつかねぇよ!」


「まぁ思ってますけど。とにかく、怒らないって約束してください。高峰くん」


「なんだよ、俺が怒るようなことなのか?」


「ズボン脱いでください。高峰くん」


「……お前このくだり何回目だよ、ばか原」


「ふふ、7回目ですね。高峰くん」


「そんなやられた覚えはねぇ!」


「ダメですか?今回は本当にやましい気持ちがないと言ったらそれは嘘になるかもしれませんがやましい気持ちなんてありませんから」


「日本語勉強しなおした方がいいぞ、ばか原」


「パンツ脱いでって言ってるわけじゃないんですから、いいじゃないですか。高峰くん」


「結果的に脱ぐ羽目になりそうだから嫌なんだよ!」


「何もおち○ぽゴシゴシして雌牛くんのミルクがちゃんとビュッビュッするか確認、なんてエロ親父みたいなこと言わないですよ、高峰くん」


「おち……!!めうっ…!ビュッ…?!」


あまりの淫語の羅列に頭がクラクラしてきた。まさか七原の高貴そうな口からおち……なんて直接的な言葉が出てくるとは。


「堕ちちゃうめうビュッってことですか?飛んだ痴女ですね、高峰くん」


「お願いだから10年黙れ」


七原は俺の言葉を華麗にスルーして、とにかく、と続けた。いつもは(語弊じゃなくなりそうで死にてぇ)俺の許可なしに秒速で脱がしてくるのに、今日はどうやら違うらしい。信用できないのには変わりないけど胸の恩もあるし完全拒否できない。


「とにかく、脱いでくれるだけでいいんです。高峰くん」


「……チッ、どこまで脱げばいんだよ」


「後ろ向きに立ってほしいので全部脱いでください、高峰くん」


「はぁ?!んでそんな情けねぇ格好しねぇいけねぇんだよ!」


「君の太腿の裏に確認したいものがあるからです、高峰くん。それに、別に膝まででも結構ですけど、落ちてくるズボンをガニ股で抑える羽目になって余計無様になりますよ」


太腿の裏。脱ぎかけていた手を止め、七原をじっと見つめた。また、あの目をしていた。俺の全てを見透かしてるみたいな、ゾクっとする目だった。もう何ヶ月も経つのに傷跡がジュクジュクと音を立て、腐り始めたような感覚に襲われる。今この状況があのときとまるで同じで、嫌な温度の汗が背中を伝った。


「高峰くん」


一瞬フリーズしていた間に七原は俺の正面に来ていて、俺の両頬を手で挟みながら静かに言った。


「僕を見てください。高峰くん」


「……見てるだろうが。つかお前しか見えねぇし」


「それは愛の告白と受け取っても大丈夫ですか?高峰くん」


「大丈夫なわけねぇだろ!お前が俺のほっぺたをギュッてするから……!」


俺がそう言うと七原はクッと呻き声をあげて俺の頬から手を離した。胸を押さえながら栽培マンにやられたヤムチャの格好をしている。


「何してんだよ、ばか原」


「……いえ、何でもありません。脳汁が出過ぎて心臓が止まりかけただけです」


「脳みそと心臓に何の関係があんだよ」


「……心臓って大体の器官に関係していると思うんですが」


「脳みそは別じゃねぇの?脳死とか、脳は死んでんのに心臓動いてるだろ」


「あぁ、なるほど。君って、無しでも愛せそうですよね。高峰くん」


「……能無し?」


「脳が無いで、脳無しです」


「そんな、カオナシみたいな」


「ふふ。脳無し、カオナシ、ロクデナシ。僕、時々考えるんです。人間からどの部分を取り除けば人間扱いされなくなるんだろうってね」


「……お前は、脳無しは愛せねぇのか」


「はい。僕には無理です。だけど、高峰くんはきっと僕とは違うから、優しいなぁって、思いますよ。高峰くん」


七原は遠い目をしながら、しかし悲哀の類の表情は浮かべておらず、柄にもなく慰めてやりたくなった。なんだか分からないけど、こいつにも傷があるんだと直感的に思った。それから、七原は自分が思っている以上に優しいと、言ってやろうかと迷い、結局はそれを口にすることはなかった。


代わりに、無言のまま立ち上がって壁に手をつき、尻を突き出すような格好で、ひと思いにズボンを下ろした。恥ずかしいしスースーするし屋上でパンイチって馬鹿らしくて笑えてくるしで感情は滅茶苦茶だった。


「早く確認でも何でもしろ、ばか原。それでその辛気くせぇ顔やめろ」


「……高峰くん」


「んだよ。て、おい尻に向かって話しかけんじゃねぇ!」


「たまたま君の可愛いお尻と目線が合っただけじゃないですか。それより、これ、1度じゃないですよね。高峰くん」


「あー、やっぱ分かんだな。つかお前怖いよ、何でこの場所にあるって気付いたんだよ」


「だから、言ったじゃないですか。僕の情報網を甘く見ないでくださいってね。それにしても、一体何回やられればこんなふうになるんですか、高峰くん」


「覚えてねぇけど、最初の頃は会う度毎回だな。選べって言われたんだよ。違う箇所にいくつも傷跡作るか、1つの傷で済ませるか」


「そうですか。君はいつも選ばされていますね。まぁ僕が言えたことではありませんけど、周りの人間はそうやって君を堕とそうとしているんですね。高峰くん」


「周りの人間って、先輩のことか?」


「含め、ですね」


いきなりヒヤッとした感触が太腿の裏に走ったかと思うと、それはじわじわと熱を帯び俺の傷跡に蓋をするようにゆっくりと動き始めた。七原のさらさらした髪の毛が俺の尻に触れて、不意に喘ぎ声を上げそうになる。


「ん……お前、確かめるだけ、っん、て、言っただろうが!」


俺がそう反抗すると、七原は舌を止めて顔を上げた。どうせ満面の笑みで何か屁理屈を言ってくるんだろうと思い振り向いたけど、違った。


「傷の舐め合いってやつですよ、高峰くん」


七原は多分、静かに怒っていた。それを押し殺すような上っ面の笑みを張り付けて、静かに怒っていた。七原は、傷の舐め合いと言った。俺は初めて、七原の傷を知りたいと思い、今日はやけに喜怒哀楽が豊かだと、少し喜びさえ感じた。完全に、どうかしている。七原の俺への優しさがむず痒くて、こいつと同じ類の感情を抱きそうになる。


「火傷の跡って、皮膚が薄くなって他の部分よりも敏感らしいですね。高峰くん」


太腿の裏と言ってもほとんど尻に近い位置で、ただでさえ敏感な部分だ。やられた直後は洋式便所に座る時が1番苦痛で、クソみたいなとこにつけやがって、と恨んだのがまだ記憶に新しい。何度も何度も同じ行為が同じ場所に繰り返されるうちに、人間、いや生物共通の得意技、慣れがきてしまった。これが終わればまた前みたいな関係に戻ってるかも、と馬鹿なことを本気で考えてた。


「痛いですか、高峰くん」


「別に。お前の方が痛いんじゃねぇの」


「……どうしてです?」


「知らね」


「僕が、傷の舐め合いって言ったからですか。もしかして僕に興味でも湧いてきたんですか、高峰くん」


「ちげぇよ、ばか原」


「……君って、いつもそうですね。繊細なふりして、何にも面白くないって顔して」


「俺がいつ繊細なふりしたんだよ」


「ついさっきです。高峰くん」


「してねぇし。つかもういいだろ、離せよ」


俺の腰を掴んでいた七原の手を引き剥がしてさっさとズボンを履きベルトをする。これ以上舐められたら変な気分に(生理現象だ、決して七原だからだとかそんなんじゃねぇ)なってきそうだった。


心なしかシュンとした様子で座っている七原の隣に腰を下ろした。傷跡にはまだ熱が残っていて、痛くはないけどむず痒い。でも、胸の時とは全く違った、傷の部分を意識するとドキドキするような、そんな痒みだった。


「……昔、何かの本で読んだんですけど」


「唐突だな」


「ふと、思い出しました。そのお話では、恋人同士だった男女が事故に遭って、女性の方が植物状態になってしまうんです。男性が彼女の好きな食べ物を持ってきても、彼女のお気に入りの小説の話をしても、彼女がよく笑っていたジョークを言っても、目を覚ますことはありませんでした。ある日、男性は何をしても反応のない彼女を眺めて、ポツリと呟きました」


"あぁそっか。君はきっと、月の上でも眠ってるんだね"


「それから、その男性は月に行きました」


「え、そんな簡単に行けんのか?」


「まぁフィクションですし。猛勉強したらしいです。それで、月から無事帰ってきて、まだ眠っている彼女に言うんです」


"月に行ってきたけど、とても退屈だったよ。君が眠ってしまうのも頷ける。でも、ここよりは幾分かましだったね。今度は一緒にお昼寝でもしに行こうか"


「その後、男性はもう一度月に行くんです。そして男性は月の上で眠って、息絶えてしまいます」


「死んじゃうのか」


「はい。結局、女性が目を覚ますことなく話はここで終わるんですよ」


「……俺には難しい」


「僕もはっきりとは分かりませんでしたけど、僕なりに考えました。男性は、女性と一緒になりたかったのかなって」


「死にたかったってことか?」


「というか、生と死の狭間にいる彼女に、どうしても会いたかったのかな、と思いました。地球でただ眠っても彼女と一緒にはなれないじゃないですか。死んでも然りです。でも月なら、月で眠ったなら、地球で目を覚まさない彼女と同じぐらいなんじゃないかなって。同じぐらい、遠い」


「……あぁ、それで月か」


「はい。肉眼で見えるけど、実際はかけ離れてる。それと、植物状態の女性を重ねたんじゃないですかね」


「ふぅん。やっぱ、小難しい話だな」


「ですね。それで、君みたいだなって思い出して話しました」


「この話のどこが?」


「男性です。だって、月の上で眠ってしまうなんて、神経図太すぎると思いませんか。自分の任務とか放り出して、一人でぐうすか寝るんですよ」


「はんっ、悪かったな、図太い神経で!」


「月と彼女を重ねるなんて、繊細なふりして。まるで君ですよね、高峰くん」


「……俺は、太陽のあったかい光がねぇと寝れねぇんだよ」


半ば自嘲気味に言い返すと、七原は呆れたように目をくるっと回し、コツンと俺の肩に頭を預けた。


「まぁ、夜の月って寒いらしいですしね」


それに、宇宙服とかゴツゴツして邪魔そうだし。口に出そうかと思ったけど、また繊細なふりとか言われそうでやめた。


「寒いどころじゃねぇだろ。あれだな、月に行ったってのが、運の、つってな」


「親父くさいですよ、高峰く」


「お前にだけは言われたかねぇよ!」


七原は食い気味でツッコんだ俺に目を丸くし、やがてコロコロと笑い出した。七原の髪の毛が俺の顔の下で揺れる。くすぐったい、と文句を言うと、甘えたがりの猫みたいにぐりぐりと頭を押し付けてきた。


「甘えんぼかよ」


「甘えんぼです」


「……お前って、俺のどこが、す、好き、なんだよ」


「そういう、好きの一つも辿々しくなっちゃうとこですかね。高峰くん」


「馬鹿にしてるだろ」


「してないです。一応僕だって、好きって言う度にドキドキしてるんですよ。ほら、」


七原は俺の手を掴んで自分の胸に持ってこさせた。ドクンドクンと、確かに少し波打つ速度が早い気がする。こうしていると、七原の心音で時計の針が進んでいくような、世界中で2人きりになった気分だ。


「どうですか、高峰くん。僕のこと、好きですか」


「……嫌いじゃねぇ」






 








































七原は俺の「嫌いじゃねぇ」をスマホで録音してて、事あるごとに、というか毎秒流してきてうざいからこっそり消して代わりに「嫌いじゃねぇ、トマトのことは」っていう音源残しといたら家に10箱ぐらいトマト送ってきやがって、しばらく弁当のフルーツがトマトに占領された。by高峰

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る