TB効果

「どうせ叶わぬ恋ならばって言うだろ。お前のやりたいこと、やってみれば?」


例えば、とその人は隠しきれていない薄笑いを浮かべながら続けた。


「色々想像したんだろ?高峰の体で。恥じることじゃない、普通のことさ。お前ぐらいの歳だと余計にな」


「……何が、言いたいんだよ」


「そうだな。じゃあ、人を騙すのに、大事なことは何だと思う?」


「何がじゃあなの」


「いいから、何だと思う?」


「…演技力、とか?」


「惜しいな、いいとこついてる」


「正解は?」


「人を騙すには、真実とか事実じゃなくて、真実っぽさ、なんだってさ」


「へぇ。誰かの受け売りですか」


「休暇が欲しい殺し屋が言ってたんだよ」


「からかってんの?」


「いいや?悩める少年のために、協力してやろうと思ってな」


「妙な言い方するなよ」


「このまま終わるのは癪だろ?」


「……何の話してるのか分からないんだけど」


「ふぅん。じゃあ、いつも仲良く昼飯食ってる高峰くん、今日はどうしていないのかな」


「……休み」


「すぐばれる嘘は何のメリットもないって、知らない?」


「別に、あんたには関係ないでしょ」


「振られたんだろ」


その人はポケットからライターを取り出して、俺に向かって放り投げた。不覚にもしっかりと手のひらに収めてしまい、意図が分からなくてその人を見る。煙草を口に咥え、俺の手元の方へ顎をしゃくった。俺はただ、阿呆みたいに突っ立っていた。


「可愛い可愛い後輩の高峰くんに一世一代の告白して、振られたんだろ。しかも、さっそく避けられてんだ、可哀想に。変わらず友達のままでいるって、言ったくせになぁ」


「……あんた、何でそんなこと知ってんの?」


その人はほんの少ししまったというように黙り込み、まだ火のついていない煙草を貧乏ゆすりみたいにぶらぶらとさせた。それからすぐにまた薄笑いを浮かべ「なんとなくだよ」と続けた。


「人生経験ってやつ。あいつが言いそうなことだろ。まぁその反応は、当たったってことだな」


「別に、避けられてるとかそんなんじゃない」


「じゃあ何で来てないわけ?」


「急用でも、できたんじゃないの」


「急用ねぇ。いいね、都合のいい言葉だ」


「だから、何が言いたいんだよ?男に告ったってのがそんなにおかしい?」


「まぁ、そんなムキになるなよ。短気は損気って言うだろ」


「……もういい」


「待てよ、話は最後まで聞け」


「俺のこと馬鹿にしたいだけでしょ」


「ここ来る時に見かけたんだけどさ、高峰、女子と話してたよ。楽しそうだったなぁ」


「……そりゃ、女子とぐらい」


「もしかしたら、お前のこと言ってたのかもな。2年のあいつ、男のくせに告白してきたんだぜ。俺のことずっとそういう目で見てたのかよ、ホモ野郎が。気色悪いな、俺は普通に女の子が好きだってのに……」


「高峰は、そんなこと言うやつじゃない!」


「だから話は最後まで聞けって。実際、本当のことなんか分かんないだろ?ただ、男のお前を振ったっていう事実と、今お前を避けてるっていう現状があるだけでさ」


その人は、俺を哀れみや蔑みの類の目で上から下まで値踏みするように見た。握ったままのライターが発火するんじゃないかと思うぐらい、怒りで頭がどうにかなりそうだった。


「そう睨むなよ。俺、何か間違ったこと言ってる?いっつもこの屋上で一緒にいたもんな。コソコソ鍵開けて入ってきてたのも、見て見ぬふりしてやってたんだ。屋上は俺の管轄だからな。川西くんさ、バレたら俺の首が飛ぶんだけど、分かってやってたわけ?」


「……今それは、関係ないじゃん」


「お前そればっかだなぁ。まぁいい、じゃあ話を戻してやるよ。もう1回聞くけど、このまま終わっていいの?」


「……だって、そうするしかないし。これからも友達のままでって、そう言ったんだよ」


「だから、それすらもう無理って気付かないかな?現実を見ろよ。せっかく持ってる脳みそ使ってさぁ」


「じゃあ何?このまま終わらない方法があるって?惚れ薬でもくれんの?」


「惚れ薬ってお前、おとぎ話でも嗤われる。そんなんじゃない、もっと現実的な方法だよ」


「……なに」


「刻み込むんだよ。高峰の体に。罵倒して、傷付けて、自分が間違ってるって錯覚させて、一生消えない傷を残してやんだよ」


「……なにそれ、本気で言ってる?犯罪じゃん?頭おかしいよ、あんた」


「おいおい、随分な言いようだな」


「わけ分かんないこと言うからじゃん」


「分からないことないだろ」


「……分かんない。何で俺が好きな奴を傷付けるとか、しなきゃいけないんだよ」


「何でってそりゃ、お前がそれを願ってるからだろ。善人面してても、腹の底では汚ねぇ、ぐっちゃぐちゃの性欲かかえてんの丸分かり。お前も、同じ穴の狢だよ」


「……きも、そんなのあんたの妄想でしょ」


「あ。じゃあさ、明日もここ来いよ。それで高峰も一緒だったら、もう何も言わない。せいぜいお友達ごっこ楽しめよ」


「……あんたに言われなくても来るし。約束してんだよ」


「その約束が守られるのかって話だよ、貧脳くん」


その人は心底馬鹿にしたセリフを吐き捨て、ギィと不快な音を奏で屋上から出て行った。耳障りだと悪態をついて、俺もその後に続いた。予鈴なんてとっくの前鳴っていた。それでも腰を上げる気にならなかったのは、まだ期待してたから。というか、今だってまだ期待している。明日はいつも通り、「先輩」って、生意気な口調には似合わない呼び方で俺に話しかけてくるってさ。


































「……中学の時から、ずっと、どうしようもなく好きだったんだよ。何をするにも高峰がチラつくの。呼吸して、生きてるだけで、ずっと恋だった、と思う。それでよかったのに、俺が自分で壊したんだよ」


「お前は悪くないよ。悪いことなんて何一つしてない。そうだろ」


「分かんないよ、もう」


「やっぱりあいつは、そういう奴だったんだよ。お前の気持ちなんて考えずに、あくまで自己中心に生きてんだ」


「そうかな」


「今日も来ないってことは、そういうことだろ」


「……うん」


「じゃあ哀れな青年に、一個アドバイスしてやるよ」


「いちいちムカつく言い方するよな」


「お前が性欲をぶちまけてる時、まかり間違っても"好き"なんて言うなよ」


「何で?」


「好きなんて薄っぺらい言葉と暴力じゃ、高峰の心の中に何にも残せないからだよ。可哀想な人、でおしまい。ザ・エンド」


「ふーん。でも、ザ・エンドじゃなくて、ジ・エンド。ジ、だよ」


「……細けぇな。ザもジも変わらないだろ」


「ザ・エンドっていかにも頭悪そう」


「それはお前がジ・エンドが正解だって思い込んでるからだろ。固定概念だよ」


「思い込んでるも何も、正解はジ・エンドなんだけど」


「うるさい、そう言う話は文系の眼鏡とでもしてろ」


「偏見じゃん」


「違う、実際いるだろ」


「あぁ、赤沢のことか」


「あいつはお前みたいに揚げ足取るのが大好きだから話合うよ」


「揚げ足じゃないし。事実を伝えただけだろ」


「言っただろ。大事なのは、真実とか事実じゃなくて、真実っぽさなんだよ」


「あっそ。まぁあんたが恥をかこうがどうでもいいし」


「ふん、教えてやるよ。真実っぽさを出すためにはな、嘘を真実にしちまうのが一番手っ取り早い方法なんだよ」


「……それって結局真実だろ」


「正解であり不正解だな。真実っぽい真実さ」


「あんたの言うことはよく分からない。というか、休暇を欲しがる殺し屋の言うことなんて信用できない」


「これは俺の持論だよ、馬鹿」


「で、つまり?」


「高峰に非を作っちまえってこと。でっちあげて、罪悪感背負わせて、言うこと聞かすんだよ」


「……例えば?」


「高峰がお前に告られたってこと言いふらして馬鹿にしてる。噂になっていじめられてんだけどどうしてくれんの、みたいな」


「それを高峰に言うってこと?」


「そう」


「そんなでっち上げで、言うこと聞かせられると思えないけど」


「お前の脳みそは鶏以下だな。嘘を、真実にするんだよ」


「……でも、そんなんでほんとに、」


「まぁ?今ならまだ、そんなことはやめられるよ。そうだろ、お前はまだ引き返せる」


その人は、俺の言葉を遮り、何かを返せとでも言うように手のひらをこっちに向けてまた顎をしゃくった。


「自分で選べないのか。16、7年生きてんだろ、もうガキじゃないんだからさ」


「……何その手」


「ライター。持ってきてるだろ?」


「あぁ、うん。昨日返し忘れたから」


ポケットから取り出し、差し出された手のひらに乗せた。その人がライターを握ったとき、几帳面に整えられた爪とそれにそぐわない傷の多い指先がチラリと見えた。その人はカチッと軽快な音を鳴らし、手元に小さな炎を揺らしていた。そして次の瞬間、何故か俺の手のひらにはライターが戻っていて、ジュワッという不吉な音とともに皮膚の焦げる臭いがした。


「っ、はっ?あんた何してんの?!」


「引き返せないところまで連れて行ってやろうとしてんだよ」


「いやいやいや、意味分かんないし。熱くないわけ?こ、根性焼きって言うんだっけ、それ」


「あれは大体煙草でやんだよ、馬鹿。共犯にでもなってやろうと思ってな」


「共犯って、あんたが勝手にしたんだろ!」


「そうか?現に今ライターはお前の手の中にあるじゃないか。俺は、お前に渡されたライターの火を、つけただけ」


「こじつけにもほどがある。……痛そ」


「見た目ほど痛くない。仕事上、こんなのはよくある。お前も一発やっとくか?」


「やんないし。一発とか、変な言い方やめろよな」


「はっ、さすが性少年だな。ちょっとしたことで過敏に反応する」


「そんなつもりで言ったんじゃないし。あんたが過敏に反応してんじゃないの?」


「はいはい。ししししうるさいね、お前。暗に死ねとでも言ってるのか?」


「被害妄想きついよ」


「あっそ。じゃあライター返せ」


「……何で?」


「俺はお前と無駄話するために左の手首焼いたわけじゃないんだよ」


「分かってるよ」


「へぇ。分かってるのか」


「うん。何かさ、その痛々しくてジュクジュクになってる火傷の跡見たら、踏ん切りついた」


「それは、やめるってことか?」


俺は首を横に振りながら、その人の左手首を掴んだ。ほんの少しだけ苦痛に顔を歪めたのを確認し、それが脳内で高峰に置き換わってるのに気付いた。黒いもやもやした何かで頭の中がいっぱいになる。


「根性でも試してやりたくなってさ」


「……ガキだなぁ、お前」


長方形の小さな箱が宙を舞う。予鈴が鳴って、ドアノブに手を回して、後頭部に太陽の強い熱を感じて死にたくなった。死にたくなったけど、どうせ死ねないから、もういいや。だって、海底の人魚姫は、高峰の中にさえもういないし、泡にすらなれないんだから!






























「TB効果って知ってるか?」


「……テレビの効果?」


「違う。ま、知ってるわけないか」


「何でそんな言い方すんだよ」


「だって俺が作ったやつだし」


「そんなの分かるわけねぇだろ」


「だから、そう言ったじゃん」


「……で、どんな効果なんだよ」


「TBってのはトレジャーボックスの略。同じ贈り物でも箱に入ってるやつを貰った方が人は喜ぶ、みたいな」


そう言って小さな箱を高峰の手に乗せた。高峰はきょとんとした顔でただそれを見ている。


「何だよ、これ」


「見りゃ分かるだろ、プレゼント。なに、お前のことそういう目で見てる奴からのプレゼントは気色悪くて受け取れないって?」


「……はぁ?そんなわけねぇだろ!意味分かんねぇ」


「ふーん。じゃあ早く開けろよ」


理解できないというふうな目で俺を睨みながらも素直に箱を開いた高峰は、中身を確認して、もう一度俺を見た。俺はポケットからライターを取り出して、ニコッと笑った。俺が思う限り、1番の笑顔だった。


「どう、トレジャーだろ」


「先輩、煙草吸うのかよ?」


「吸う、とはちょっと違うな」


「吸う以外に何するんだよ」


「知りたい?」


「知りたいって、そりゃこんなもん渡されたら」


「俺さ、知らなかったよ」


「……何を?」


「お前が、こんなに最低な奴だったなんて」


「……え、はぁ?どういう、」


「散々可愛がってやってたのに、こんな仕打ちあるかよ?なぁ、楽しかった?俺のこと気持ち悪いって言いふらして、楽しかった?」


「何言ってんのか全然わかんねぇんだけど、」


「いい、しらばっくれなくて。お前以外に誰がいんだよ、馬鹿」


声が震えそうになるのをカチッカチッというライターの音で掻き消した。胸のあたりを強めにつくと、高峰はふらつきながら壁にぶつかりそのまましゃがみ込んだ。ケホッと咳をして顔を上げた高嶺と目が合った。


「なぁ、今から俺が何するか分かる?」


「……分かんねぇ」


「馬鹿だなぁ、ちょっとは考えろよ。お前、ズボン脱げ」


「何で?」


「目立つとこにやるとまずいだろ」


「やるって、何を?」


「うるさいな、脱げないなら脱がしてやるよ」


「やめ、触んなっ」


拒絶の言葉とともに、ズボンにかけた手を思いっきり払われた。俺の中の哀れな俺が、しゃくりをあげて泣き始めた。次の瞬間には高峰の頬に張り手を食らわせ、呆然としている隙にベルトを外し始めていた。しかし、サイズが合っていないのかベルトを外す間もなくズボンがずり落ちてしまった。


「何すんだよ!」


ライターの火を煙草に移し、叫ぶ高峰の太ももに近づけた。流石に危険を察知したのか身をひるがえしうつ伏せになって逃げようとする。色素の抜けた、高峰の茶色い髪を掴んで引き戻した。


「お前好きだろ、根性とかそういうの」


高峰の程よく焼けた綺麗な太ももの裏に、火を押しつけた。その瞬間ビクンッと高峰の体が跳ねて、低い呻き声が聞こえた。それでもグリグリと、しつこく抉るように、完全に火が消えるまで押しつけた。


「俺は、大嫌いだけどね」


髪の毛と煙草から手を離して、高峰の様子を伺った。心臓がズクンズクンと不規則に鳴っているように感じた。高峰の口から、きっと俺を罵る言葉が飛び出るだろう。もしくは酷く怯えたように、許しを乞うかもしれない。どうだったらいいのかは俺にも分からなかったから、しばらくの沈黙がとてつもなく怖かった。


それから高峰は不意にパッとうつ伏せから起き上がり、服装を整え始めた。生々しい傷跡が隠されていく。高峰は、何も言わなかった。


「どうだった?煙草の味は」


わざと煽るような口調で話しかけた。すると赤く腫れた頬をした高峰が振り返って、不器用な笑みを浮かべた。幻覚かと思ったけど、どうやら現実らしい。泣きそうにも見える、笑顔だった。


「TB効果って、日本語にも対応してんだな」


「……は?」


「トレジャーボックスって宝箱だろ。たからのTと、ばこのB」


まるでいつもと変わらない、くだらない会話の時の口調だった。それで、分かった。高峰はなかったことにしようとしている。訳も分からず酷いことをされたのに、俺を許そうとしている。


「……あれだな、お前。ザ・エンド」


「何で終わりなんだよ」


ほら、間違いにも気付かない。気付かないから、直せない。もう遅いよ、高峰。俺はぐっちゃぐちゃになったお前が見たくて見たくてたまんないんだよ、頑張ってき止めてたのに、お前のせいで溢れ出しちゃったんだよ。友達の、くだらない関係のままで、よかったのに、よかったのになぁ。全部お前のせいだよ。

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