5ー52

 3月末

 ツアーも残り1ヶ月ちょっと、終盤になってきた。

今日は、久しぶりの地元 長野。

会場は、長野オリンピックの競技会場でもあった、ビッグハット。

ここは、長野駅にも近いし、リハの後にちょっと抜けて、昔バイトしてた駅ビルの店に行ってこようかな。

明日のライブには、姉ちゃんと父さんが観に来る。

だからと言って、別に緊張することでもないし、普段通りやればいいだけだけど。

どっちかって言ったら、今日のサプライズナイトの方が多少 緊張する。


マネージャーの木村さんが、関係者出入口付近に車を横付けしてくれた。

車から降りると、キャーーーーー!!!!って声が聞こえた。

まぁ、これは大体いつものこと。

有り難いことに、どこへ行っても、入り待ちをしてくれるファンが何十人かいる。

俺らが何時に来るのかもわからないのに、どのくらい待っててくれたのか。

50メートルくらい離れたフェンス越しに2、30人くらいの人達がいた。

軽く手を振って、俺は歩き始めた。

その時、


「けーーごーー!!」


えっっ!!


みんなそれぞれ大きな声で叫んでいたけど、

その声だけは、クリアに耳に飛び込んできた。

立ち止まり、振り返った。


「けーーごーー!!ありがとーー!!」


いた!!


相変わらずのデカイ声。

ありがとうじゃなくて、そこは、

“けいご大好き” じゃねーのかよ?

久々にそう思って、笑っちまった。


強い風が吹いて、彼女は髪を押さえ耳にかけた。

ミディアムボブって感じの、落ち着いたトーンの栗色の髪。

軽くふんわりとウェーブがかかってるみたい。


俺はにっこり笑うと、大きく息を吸い込んで、

大きな声で

「サンキューー!!」

と、拳を振り挙げて言った。


キャーーーーーー!!!!!!

悲鳴のような絶叫が響いた。

みんな自分に言われているような気になるんだろう。

俺はたった1人に対して言っていた。

彼女は、笑っていた。


俺はシャッターを切るみたいに目を閉じて、彼女の姿を目に焼き付けた。

そして踵を返して、また歩き出した。


俺の前にいた龍聖も、ちょっと先で立ち止まっていた。

「いいの?」

龍聖も彼女に気がついたようだ。

「いいよ。もう、願いは叶ったから。

もう これ以上は、欲張りだ」


この10年の間、ずっと神様に願っていたこと。


【一目でいいから、彼女に会わせてください。

それ以上は 決して 望まないから 】


10年頑張ってきたから、神様がご褒美に願いを叶えてくれたんだ。


彼女がRealのライブを知っててくれた。

俺に会いに、わざわざ入り待ちをしてくれた。

ありがとうって、俺に伝える為に。

ありがとうは こっちのセリフ。

もう充分だ。

充分過ぎるくらい。

嬉しい。

嬉しくて、ほんと もう何も、

これ以上 何も望まない。

ありがとう。

本当に、ありがとう。



 今日は、サプライズナイトだから、パターンCのリハーサル。

今回のツアーの5回あるサプライズナイトの最後の日だ。

ほんの何時間か前に、彼女に10年ぶりに会えて、でも意外なくらい気持ちは落ち着いている。

取り乱すようなこともない。

リハもきちんと出来た。


開演までまだ2時間以上ある。

「俺、出かけてくんね!1時間で戻るから」

みんなにそう言ってタクシーに乗り、長野駅の西側、善光寺口の方へ廻ってもらった。





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