第39話 遭遇

 初めて訪れたキラーニーレイクは、思いの外大きく、少し大きめの池程度のものを想像していた苗は驚きを隠せなかった。

(大濠公園よりでかいんじゃない?)

 ポカンとして湖を見詰める苗の横で、盛んに咲がお腹を摩っている。具合でも悪くなったのかと思い尋ねたところ、「お腹が減って……」と即答された。

 確かに、ここまで来るのだけでも、森の中を歩き回って結構疲れていたし、苗自身も空腹で直ぐに動く気にはならない。湖畔で遅めの昼食を摂ることにして、二人は目に入ったテーブル付きのベンチに腰掛けた。

「さーて、一服するか」

 どこぞの親父よろしく、咲が豪快におにぎりにかぶりつく。その様を見て、苦笑しながら苗が弁当を広げようとした時、少し先の別のベンチに座っている二人組の女性が目に入った。

 すらりといた黒い髪の女性と、背の高い金髪の少女。苗には、それが「キセツ」で見た写真の女性達であることが直ぐに分かった。

「あ!」

「ん? どした苗?」

「ねえ、あの人達じゃない? さっきのお店の——」

 話終わらぬうちに、既に咲は後ろを振り向き、「おお」と感嘆の声を上げている。

「あのう、すみません」

 離れた所からいきなり咲が声を掛ける。苗はその躊躇のなさに戸惑った。

「はい?」

「間違ってたらすみません。『キセツ』のスタッフさんですか?」

「あ? ええ。そうですけど。あなたは?」

「私は咲、こっちは苗と言います。さっき、お弁当を買った時、店長さんからお話しを伺って——」

 そう言ってから、咲は「紡さん」と言い直し、一人で照れ笑いを始める。隣に居る苗まで何だか恥ずかしくなってしまい、慌てて、写真を見せて貰った件を説明した。

「ああ、そうなんだ。毎度」そう言って、日和がペコリと頭を下げた。何だか咲みたいだなと苗は思った。

「私は日和。こちらはブレンダ」

「初めまして」ブレンダがお辞儀すると、咲は「ホウ」と梟の様な声を上げた。「凄い! 日本語お上手なんですね」どうやら感心していたらしい。

「私、日本人なので」ブレンダが言うと、横から「多分ね」と日和が追い討ちを掛ける。


「それ美味しい?」

 日和とブレンダが合流してすっかり打ち解けた四人は、いつの間にか一つのテーブルを取り囲んで座っていた。

「ええ、本当に美味しいです。お姉さん達も作るんですか?」

「うん」と肯定してから、「手伝い程度だけれどね」と日和が付け加えた。

「これからどうするんですか?」ブレンダが尋ねる。

「今日は、この島に泊まるんです。この先のゼニア・ラビリンスって所のコテージに」

「ああ、あそこ」日和が何かを思い出したような目付きをする。

「紡さんに伺いました。皆さんが止まったのと同じコテージだって」

「え? そうなの」

「ええ、少し一緒に行きません?」社交辞令か本心からか、少し小声になって咲が尋ねた。

「——ああ、でも。今日はね、ここで人に会うの」やんわりと日和が断りを入れる。

「そうなんですか。残念。誰かと待ち合わせ?」

「んーと、そうとも言えるし、そうでないとも——」

 日和はブレンダを見た。ブレンダはクスッと笑い。「ごめんなさい。誰と出会うのか私達にも分からないの」と言った。咲と苗はキョトンとしている。

「説明しようにも複雑でね」日和がそう言うと、「なるほど」と言って咲は頷いた。

 何がなるほどなんだろう? 相変わらず適当なんだからと、意味が良く分からないまま、苗はテーブルの側のペットボトルを取ろうとして立ち上がり、腕を伸ばした。

 チャリンと音がして何かが地面に転がり落ち、皆の視線を集める。

 落ちたのは鍵だった。苗が祖母の病室で見つけた古くて厳つくて錆びついた鍵。あれ以来、何となくこの鍵が苗にとっての御守りのようになっていた。

「あっ、しまった!」苗がそれを拾い挙げた瞬間、ブレンダが苗の手を握った。真剣な表情で苗を見詰める。

「ブレンダ? どうしたの」

 不思議そうな表情で日和が尋ねる。前に座っている咲も動きを止めて、その様子を凝視している。

「見せて」

「は?」

「これ、どこで?」

「え、あ、これ? これは、日本の祖母の病院で——」

「ごめん! 見せて!」

「あ、はい」

 言うが早いか、苗から手渡された鍵を手に取り、ブレンダはそれを注意深く観察した。表を見てからひっくり返し、更に指先で触って、つぶさにその感触まで確かめている。

 

『——ほら見て、あの小屋の左手に樫の木が見えるでしょう。あそこの根元がいいわ——』


 ブレンダの耳に、夢で見た少女の声が響いた。

「日和さん。これ、この鍵——」

「この鍵がどうかしたの? ブレ——」

「樫の木の根元に埋めた鍵」意外なほど静かにブレンダは呟いた。

「鍵? って。埋めたものって……、この鍵?」

 その間、確かに時間は止まっていたに違いない。他の三人が正気に戻ったのは、それから数分が経過してからだった。

「確かなの?」日和が聞くと、ブレンダは首を大きく縦に振り、間違いないと答えた。

「どうしてあなたが?」日和は振り向き、苗を見た。

「どうしてって……、私にも分かりません。その鍵は私の祖母が持っていたもので。それ、何かあるんですか?」

 苗が尋ねると同時に「一緒に行く」と、突然ブレンダが口走った。

 他の三人は黙って顔を見合わせる。

「一緒に行って欲しい所があるんですけど、お願いできませんか?」

 いきなり立ち上がり真剣な目差しでそう言うと、ブレンダは苗に向かって深々と頭を下げた。

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