狂犬侍

 嘉永五年二月十九日(1852年3月9日)


 蓮介はまだ江戸にいた。旅の道連れとなった、一応はカラクリ技術に関して妹弟子である莉里奈を連れて、甲良屋敷こうらやしきという町に来ていた。その奇妙にも思える町名は、かつてその土地を所有していた甲良家の名前がそのまま残っているもの。

 江戸では、若い男女だけが連れ歩く様は目立ちがちだから、蓮介の隣を歩く莉里奈は男装しているが、それは実に見事で、さすがに人気の芸能者の弟子であった。

 そして、とある剣術道場を見いだしたところで、二人は足を止めた。


[「蓮介さん、別に欲しい仲間って、もしかして剣客とかですか?」]

 普通に喋るとごまかしてる性別がバレるかもしれないので、集約した音の振動を狭い経路で運ぶことで、特定範囲だけに音声を送る伝達機となる、(服の内側に隠していても使える)首飾り型カラクリ、"コゴエ"を介して、気になったことを聞いてくる莉里奈。

[「まだ言ってなかったな」]

 蓮介も、自身のコゴエで答える。もちろん普通の声で返すと、周囲には、ぶつぶつ独り言を言うおかしなやつに見えるだろうから。

[「おそらく俺たちは、目的地まで少し危険な道を行くことになる。だけどなるべく"祖カラクリ"技術は使いたくないから、それを使わないで戦える助っ人が欲しいんだ」]

[「用心棒というわけですか?」]

[「まあ、そういうことだ」]

 そういう訳で蓮介は、テクノロジーではなく、もっと古くからの武器で戦える仲間を求めて、試衛館しえいかんという道場を訪ねたのだった。


 試衛館。1840年にこの道場を開いた、天然理心流てんねんりしんりゅうの三代目宗家、近藤周助こんどうしゅうすけ(1792~1867)は、雪菜と古い友人であり、蓮介も幼い頃だが、彼と面識があった。

 外国船が近海に出没しはじめ、外国人上陸の事件も増えてきた18世紀の日本では、防衛の意識から、民間人の間でも剣術熱が高まっていた。当然、学ぶ動機が防衛という実用的なものであったから、特に実践的な流派が人気を集めていた。天真正伝神道流てんしんしょうでんしんとうりゅうから派生した流派であり、多摩地方を中心として勢力を拡大していた天然理心流も、そのような実践的剣術流派のひとつ。

 集中により自らの力を研ぎ澄ませ、気力によりそれを物理的威力として放出する。実践的戦法にもそうした精神論を交えた天然理心流を、古くさい田舎剣術と評する者はけっこういて、実のところ蓮介もそんなふうに考えている。ただし実際問題、直接的な武器同士での戦いにおいて、あらゆる敵にも恐れずに立ち向かえる勇気は、それだけで優れた武器となりうることも、蓮介は理解している。



「近藤周助さんはいますか? 秋吉雪菜の子、蓮介が会いに来ましたと伝えてほしいのですが」

 道場に入ってすぐに、出迎えてくれた若い男に頭を下げる蓮介。男のふりした莉里奈も同じく頭を下げるが、ややぎこちない。

「師範は、えっと今は。島崎しまざきさん、島崎さん」

 周助は留守のようだった。代わりに呼ばれたのは、まだ少年のようでもあったが、妙に威圧的な風格もある、島崎なる男。

「私は島崎勝太かつたという者です。あなたは父とお知り合いで」

「近藤さんの息子でしたか、秋吉の名前は聞いたことがあるでしょうか?」

「秋吉、ということは、あなたは雪菜様の」

「息子です。名は蓮介と言います」


 近藤周助は別の道場に出稽古に出ていたが、おそらく帰ってくるのは夜とのことで、蓮介は道場で待つことにした。

 莉里奈には、別に用事があると、先に道場から出てもらった。実際には、ずっと黙っているのは退屈だからという、彼女自身のお願いだった。


ーー


 勝太は養子のようだったが、単に周助の子というだけでなく、天然理心流の次期継承者として、やはり非常に優秀な剣士のようだった。

 後の世で活躍した剣士集団、新撰組の局長近藤勇こんどういさみとして知られることになる彼は、宮川家の第四子として生まれ、幼少の頃より、三国志や水滸伝などの英雄活劇に親しみ、実家の道場で子供用の防具をつけ、よく竹刀をふるった。近藤周助の門下となったのは1848年のことだが、それから1年ほどで養子として近藤家に迎えられる。周助は、それほどに彼のことを買っていたわけである。

 年上の兄弟子たちと連続で試合をして、遠慮なく次々打ち負かす彼の戦いぶりを見てると、それも納得できよう。

 しかし五試合目……


(これは、驚きだ)

 少し意外だった。大柄な方ではあるものの、十歳くらいであろう少年に、少しばかり苦戦させられた勝太。

「やはり恐ろしいやつよ、惣次朗そうじろう

(惣次朗、か)

 すぐに聞かされたことだが、周助も、勝太も、道場の誰もが最初は、浅黒い肌のその小僧の才に驚かされたという。


 白河藩しらかわはんで足軽の小頭をつとめていた沖田勝次郎おきたかつじろうの子、沖田惣次郎。しかし若くして勝次郎が亡くなり、沖田家は、姉ミツが結婚した井上林太郎いのうえりんたろうが継いだ。

 その林太郎が、天然理心流の門人である井上源三郎いのうえげんざぶろうと親戚であった縁から、この剣の神童は、ちょうど半年ほど前から、試衛館に預けられることになったのだった。


(でも、これは)

 蓮介には一つ、惣次朗の戦い方に関して気になることがあった。おそらくは我流のクセと見られる、天然理心流にはないいくらかの動き。

 そして蓮介は、あるメッセージを持たせた、カラクリカエルを密かに放った。


ーー


「了解、です」

 道場から出るのはいいが、そう遠くに行くなと言われていた莉里奈は、数分後には、カエルの中の手紙を確認した。

 それは、間もなく道場を出るらしい少年、惣次朗の見張り役。


ーー


(なんで、わかったんだろ)

 莉里奈にはさっぱりわからなかったが、試衛館近くの神社で、似たような年代と思われる子供たちと遊んでいた惣次朗を観察していたところ、他の子供らが帰った後に、惣次朗は蓮介がかなり予想していた通りの人物と会っていた。

 もっともその容姿に関しては、腰に剣をさしているところ以外は彼も予想外だったかもしれないが。

 蓮介が、惣次朗が会うかもしれないと考え、実際に合っていた外部の剣客は、惣次朗自身とそう年の変わらないような、目つきの悪い少年で、乞食のように汚い身なりだった。


弥空やっくう

 惣次朗が口にした彼の名前。詳しい事情はまだわからないが、その少年、弥空は、おそらく泥棒とかだろうが、追われてる身らしかった。そして、惣次朗は彼を手助けしてやっている。

 そしてしばらくの話の後、弥空は、今日のところはと、不満そうな惣次朗をさっさと帰らせた。なぜかはすぐにわかった。


「あんたは誰だ?」

 彼は見られていることに気づいていたようだった。

(気配、なの?)

 とっさにごまかす方法も思いつかないので、大人しく物陰から姿を見せる莉里奈。

「男じゃ、ない。女。何者、おいらを殺しに来たのか、暗殺者?」

「へ、いや、何か誤解」

 まず、女だと見破られたことからして驚きだったが、とりあえずそれどころではなかった。殺気をみなぎらせ、その刀の柄を握った少年を前に、莉里奈は思わず後ずさる。


(こんなの、ごめん蓮介さん)

 言われるまでもなく、莉里奈も、"祖カラクリ"の武器は使うべきでないとわかっている。しかし、自分の命の方が大事である。

(う、そ)

 おそらく、本物の銃と勘違いしたのだろう。クーホウを構えようとした莉里奈に、それよりも早く即座に近づき、同時に抜いていた剣で、その武器、つまりクーホウを突こうとした弥空。

 だが、反応もできない莉里奈の代わりに、彼女の右腕の服の袖を破って、その突きを受けたセイテ。だが、 その小さな体の秘めた怪力は大きく、莉里奈はそのまま後ろに飛ばされる。


「くっ」

 何がどうなってそうなったのか、莉里奈にはわからないが、とにかく一瞬、その手が痺れてしまったらしく、動きをほぼ止めてしまった弥空。

 莉里奈はもうほとんど必死で、その隙を逃さず、今度こそクーホウを撃ち、自分が飛ばされた数倍は彼を吹き飛ばす。そしてその勢いのまま鳥居にぶつかった彼は、意識を失ったようだった。

「はあっ、はあっ。やば」

 息を切らしながら苦笑いし、まず冷静になって、頭を抱えた莉里奈。


「あちゃあ」という蓮介の声が聞こえてきたのは、ほんの数秒後のこと。

 予定よりも早く帰ってきていた近藤周助も一緒であった。


ーー


 実のところ、当の本人を除けば、事情を一番わかっていたのは蓮介だった。それも当然といえば当然。彼は調査人カラクリ師として、幕府に関連する様々な情報を持っている。だから、二年ほど前に、幕府内組織の大目付おおめつけが起こした、ある極秘任務の失敗の責任を取らされた剣客とその弟子が、死罪とされたが逃亡したことを知っていたのだ。


 江戸幕府は、下につく各藩、一定の権力を持つ諸侯たちの支配域に、不正がないかを探らせるため、古くは公儀隠密こうぎおんみつという、忍者の組織を持っていた。

 やがて平和な江戸の時代が続き、政権が安定して、大名の反乱の心配も減ってからは、監視任務も公に行われるようになり、組織内の忍者はその数を減らし、組織自体、公的な大目付というものに変わった。

 もっとも秘密主義の風潮がすっかりなくなってしまったわけではなく、公式記録に残されることもなかった、隠密の任務はいくつか残っていた。


「極秘任務の失敗は重大です。責任があるとされたのが忍者でなく侍だったということは、失敗したのはおそらくは暗殺任務」

 門人たちもみな帰り、すっかり静まり返った夜の道場の部屋。まだ意識を失ったままの弥空の隣で、その場にいた、もう男装もしていない莉里奈と近藤周助に、自分の知っていることを説明していた蓮介。

「まあ、後は本人に聞こう」

 ちょうど目覚めることを察知したのだろう、その本人、弥空の胸を、蓮介はシシで押さえる。

「お前たち、くそ、ちくしょう」

 子供にしては本当にすごい力ではあったが、所詮は"祖カラクリ"の道具を強引には突破できない。弥空は押さえつけられ、背中を地についたまま、それでも必死にその手で、ぎりぎり届かない蓮介の足をつかんでやろうとあがきにあがく。

「噂通りの狂犬だな。ちょっと落ち着け」

 蓮介はあくまで冷静。

 同じように平然としている周助と、わりとおどおどしてる莉里奈は、口は出さずに成り行きを見守る。

「ああ、やああっ」

「弥空、お前の師は死んだのか?」

 蓮介のその問いに、一瞬、全身を震わせ、彼はようやく暴れようとするのを止めた。

「あんた、幕府の刺客じゃないの?」

 その反応でだいたいの察しはついた。師の方はやはり死んでいて、そして幕府側はそのことを知っているのだろう。

「逃げられたのはお前だけなのか? 俺の持ってた情報は少し間違いだったわけか?」

「そうだよ、師匠は、師匠は死んだ」

「弥空、お前は」

 ただでさえ暗い雰囲気となっていたのに、次の蓮介の問いは、その場の緊張感を非常に高めることとなった。

「幕府に対して復讐する気があるか?」

「おいらは、恨んでない。憎しみは駄目だと師匠に言われたから」

「よし、気に入った」

 そして、シシも収め、少年剣客の体を自由にしてやった蓮介。

「弥空、お前の、いやお前の師の技、無住双心流むじゅうそうしんりゅうだろ。古流五剣術こりゅうごけんじゅつの」

「知ってるの?」と口にした弥空だけでなく、周助もかなりの驚きを見せる。

 ただ、剣術流派のことなどさっぱり知らない莉里奈は、急に驚きを見せた二人に驚いていた。


 古流五剣術、正式には古流内道五剣術こりゅうないどうごけんじゅつ。古流剣術の中でも特に異質性が高く、しかし極めし者にとっては非常に実践的であったという、気功術を取り入れた今や幻ともされる五つの剣術流派。

 無住双心流は、相手の攻撃に合わせて反撃をぶつけることで、つまり完全なる相殺そうさいによって敵の攻撃全てを無力化する、相抜あいぬけと呼ばれる奥義を目指す、防御に長けた剣術。達人は敵の手や足に対する手受け、足受けにより、素手でも戦えるともされる。

 相抜の失敗を相打あいうちと言うが、その相打ちが少しあったものの、弥空が莉里奈を吹き飛ばしたのは、敵にのみ衝撃を与えるかえしによるものだった。


「て、気に入ったって、蓮介さん、まさかこんな子供を連れて行く気なんですか?」

「だが修羅場は潜ってるよ、おそらく俺よりも、命懸けの修羅座だって。だいたいお前をぶっ飛ばしたあの力。クーホウを撃つのがあとほんの少し遅れてたらどうなってたか」

「じゃあ、言い換えますね。こんな危険な子を連れてく気ですか」

「まあ、根は悪いやつじゃないだろ。だからこそ惣次朗も彼をかばってたんだろうし。それに危険って言うなら、俺たちにそうなら、それは俺たちを襲ってくるかもしれない奴らにとっても危険てことだ」

 そもそも二年間も幕府から逃げれたのは、幕府もそれほど彼を危険視していなかったからだろうと蓮介はかなり確信していた。

「いったい何の話なの? おいらを護衛にとか、そういう話に聞こえるけど」

 しかし弥空からすれば、それは奇妙なのだろう。蓮介らの謎の機械武器があれば、自分の護衛なんて必要ないとしか思えないから。

「いろいろ事情があるんだよ。例えば俺たちの武器はむやみには使えないとかな」

「でも、おいらは」

「いい生活はできてないんだろう。報酬はたっぷり弾むし、お前が望むなら、幕府が定めたお前の罪を帳消しにしてやってもいい。方法は秘密だけどな、俺ならそれができるから」

「蓮介、この話」と、そこで話に加わってきた周助

「ああ、えっと、聞かなかったことにしといてください」

「わかった。私は何も聞かなかった」

「あと、惣次郎には上手く」

「ああ、説明しておくよ。私からすれば、あの子にも少し反省が必要だ」

 しかし周助は、どこか安堵したような、しかし物足りなさそうでもあり、なかなか複雑そうだった。

「あの、蓮介さん、でもまだ彼自身が「任されてやるよ、護衛」

 莉里奈を遮る弥空。

「ただ逃げてばかりいるよりも、楽しそうだし」

「前向きなのは助かる」

 そして、苦笑いの妹弟子を見て、蓮介は笑みを浮かべた。

「多分、似た者同士だな、お前たち」

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