曲独楽師

 蓮介が、海燕と初めて言葉を交わしたのは、ほぼ一年前の事だった。

 それは蓮介が、日本に貿易の話をもたらそうとしていた、ある外国船の船長を密かに病気にさせて、引き帰らせたのだが、彼が実際の任務、船の沈没とは違う方法を取ったために、本来なら今回の忍者騒動と同じく、刑罰を与えられただろう時の事だった。

 蓮介の行動は上手くもみ消されたのである。そしてそれは任務前に、当時から名前だけは知っていた海燕の使者から伝えられていた通りの展開だった。それから彼に興味を持った蓮介は、今度は自ら彼に会いに行ったのだが、その時に彼の目的、それは長になるずっと前からたった一つだけ、『祖カラクリの完全なる消滅』だと知った、当時は隠れ里の行く末などまったく興味のなかった蓮介。

 隠れ里での暮らしより外の暮らしを気に入っていて、"祖カラクリ"にも思い入れの薄い蓮介が、海燕の考えに同調するのは、自然な流れだったろう。そうして、海燕は見事に、里の外でも自由に動きやすい調査人であり、しかも自分とは違う、里の長の息子という立場の強力な味方を得たのだった。

 もっとも蓮介が、カラクリ隠れ里にかなりの思い入れがあるという母、雪奈と敵同士になる可能性を懸念するのは当然予想できることだったが、そこは賭けで、海燕はそれにも勝ったと言える。蓮介は、いざその時が来れば、たとえ母が相手でも戦ってくれると、決心してくれたのだった。

 ある契約により、海燕が、蓮介とは違い元々放棄派に傾いていた天光も味方に引き込んだのは、蓮介が海燕の下についた時期と近い。ただ蓮介の方が早かったようだが。


「キホー?」

 蓮介はそれに関しては、噂でも聞いたことなかった。

「そうだ、"祖カラクリ"の恐ろしい武器となる物だ」


 支配派のカラクリ師たちが極秘裏に開発しているという祖カラクリの兵器"キホー"。


「それを破壊して欲しい、再築の余地を一切残さずにな。やり方はお前たちに任せるが、破壊は必ずしてほしい」

 それが、蓮介と天光に与えられた任務だった。


ーー


 任務内容を告げた後、先にその場から去った海燕。蓮介ら二人は、しばらくはそのまま。

「一緒には行かない方がいいと思う」と蓮介。

「そうだろうな」

 天光も頷く。

 海燕含めた繋がりが、他の誰に知られているにせよ、知られていないにせよ、その壊すべき兵器の場所へ一緒に向かうよりは、それぞれ別々に行動するほうがいい。個々の、協力を頼めそうな友人は、蓮介と天光ではかなり違っている。それに別々に動くなら、もし片方が失敗したとしても、もう片方に任務を託せれるから。

 そうして蓮介は、天光とも別れ、先に里を出た。


ーー


 嘉永五年二月十七日(1852年3月7日)


 蓮介は江戸の街に出てきていた。

 隅田川すみだがわに架かる両国橋りょうごくばしのすぐ近く、西両国広小路りょうごくひろこうじという広場。そこに常設されてる興行場、いわゆる定小屋じょうごやに来て、蓮介はまったく普通に興行側の人かのように、裏口から入っていく。


「おお、蓮介か。しばらくだな」

 会いに来た人物は、まさに舞台で芸を披露している最中と思っていたが、舞台裏にいた。

 おかげで話は早かった。

「今は休憩中、ではないですね? 誰が?」

「今は弟子がな。才ある娘だ。お前と近い者でもあるぞ」

 つまり、その弟子もまた、"祖カラクリ"を知る隠れ里出身の者なのだろう。目の前の曲独楽師きょくごまし、三代目竹沢藤治たけざわとうじと同じく。


 江戸という時代の芸能世界における、"几カラクリ"技術を用いた業として、人形芝居の他、もう一つ有名だったのが、水カラクリと呼ばれたもの。

 その水カラクリというのは、さらに二つに分類される。一つが、水力を利用した仕掛けで人形を動かす演芸。そしてもう一つが、水芸みずげいとも呼ばれる、水を用いた奇術のような芸。

 通常、服や扇や刀や花から、突如水を吹き出させる水芸は、特にその見た目の美しさから、女芸人が得意とすることが多い。

 竹沢藤治は、そうした水芸を、大小コマを扇子に乗せたり、綱渡りさせたりする曲芸、すなわち曲独楽に取り入れた斬新な演出で、評判高い演者。


万治まんじ様。里のことで少し話があるのですけど」


 竹沢藤治という名前は代々に引き継いでいくもので、万治というのは三代目である藤治の前の名前で、蓮介はカラクリ師としての彼と話す時は今でもその名前を使う。そして彼、万治もまた、蓮介にとっては、曲独楽師でなくカラクリ師としての一時期の師であった人物でもある。


「それならば後で」

「家に伺います」

 最初からその気だったのに、わざわざ先に興行中にやってきて予告したのは、逃げないでいてもらうため。

 外の世界に馴染んでいる者としてはあまり珍しくない。藤治は、里とはなるべく距離を置いてきた。だから、里のカラクリ師がいきなり訪ねて来たと気づいたら、すぐに姿をくらませてしまうかもしれなかった。だから、まずは興行中の彼に友人として会いに来て、用があるのは自分だと伝えておく必要が、蓮介にはあった訳である。

 蓮介も、調査人という立場ゆえに、ほとんど外の存在ではあるが、里とは関わりが深い。ただし彼は、藤治にとって単に友人というだけではない。蓮介は里の長の一人である雪菜の息子、そしてその雪菜に恩を持っているカラクリ師は、外だろうが中だろうが多い。藤治もその一人なのだ。


ーー


 両国橋からそれほど離れていない、曲独楽師、竹沢藤治の家の中は、外から見た場合は江戸の町によく溶け込んでいる。ただしその内部は、カラクリ隠れ里と関わってきた一族の者の持家としても、なかなか奇妙だ。

 普通は隠されてるような"祖カラクリ"の品も、 部屋の隅に堂々と置かれていたりする。ただ芸の小道具と一緒であり、そういう意味では上手く隠されている。木を隠すなら森とはよく言ったものである。


「先に言っておきます。雪菜様とも戦うことになるかもしれません」

 膝をつき、頭を下げて、まず初めに蓮介が放った言葉。

 母と言わなかった蓮介に対し、藤治は何も反応を見せなかったが、 部屋の隅の小道具と並ぶように座っていた少女は、何か言いたそうにした。しかし結局、何も言うことなかった彼女は、数時間前に定小屋の舞台で曲独楽芸をしていた少女だった。

「他の長からの任務だな。海燕様か?」と藤治。

「はい」

 もうだいたいのことは察せられているようだった。

「キホー、というカラクリを聞いたことがありますか?」


 それがどのような兵器であるのかは、海燕すらも詳細は知らない。しかしそれがあるのは、蝦夷地えぞち空国遺跡そらくにいせきとわかっていた。

 蝦夷地は日本の最北から海を挟んで隣、後の世で北海道と呼ばれるようになる巨大な島。なぜそこにあるのかはわかっていないが、"空国"と呼ばれることもある、空人が残した唯一の巨大構造物とされる遺跡が、そこにはある。ただ、今の世においては、空国遺跡は、単にカラクリ師たちの里外最大の保管庫と言える。そしてその遺跡に残った、多くの古代カラクリによる防御機構のため、キホーのような極秘に開発される新しいカラクリの隠し場所にもなる。

 少し奇妙なことにも思えるが、空国遺跡は、隠れ里のカラクリ師たちが共有する保管庫であり、同時に最も強固な、秘密の置き場所でもある訳である。


「俺は詳しくは知らないのですけど、"雪門ゆきもん"を開けるには、里のカラクリ師が二人はいるのでしょう」


 空国の出入り口はもともと開かれていたのだが、しかしいつからかそこには、雪門というカラクリが用意された。蓮介は空国遺跡どころか、蝦夷地の地すら踏んだことがないから、具体的にそれがどういうものかは知らないのだが、その雪門を開いて遺跡内部に入るためには、"祖カラクリ"のことを知るカラクリ師が、二人は必要というのは有名な話。


「それで私を」

「この任務において、俺が一番信頼できるカラクリ師は、あなただろうと考えました」

 そう、そういう事情で、蓮介はまずここに来たのだった。

「力になってもらえますか?」

「残念ながら、私はついて行けないな」

「そう、ですか」

 予想できてなかった返事ではないが、しかし蓮介としてはやはり困る。


「私、は?」と、ふと希望を見つける蓮介。

「信頼できるカラクリ師を一人紹介することならできる」

 これは少し予想外の展開だった。

「えっと」

 そして、本来誘いたかった曲独楽師と、妙に嬉しそうな雰囲気を出しているその弟子の少女を、交互に何度か見る。

「いや」

 もう言われるまでもなかった。紹介できるカラクリ師とは、彼女のことであろう。

「あの、無事に帰れる保証もない危険な任務だという事はわかってますよね」

「その覚悟はあります。力になりますよ、私は」

 立ち上がり、彼女は言う。

「雪門を開くだけなら、カラクリ師であればいいはずだ。そして私はお前のこともよく知ってる。この子を上手く使えると思う」

「その娘はいったい」

「名前は莉里奈りりな、曲独楽に関して私の弟子だが、水カラクリ芸に関しては私の方が弟子だ。あれを考案した娘だよ、まあ、カラクリ師として、お前に比べれば未熟者とも言えるだろうが」


 日本語では上手く言えないかもしれない。ただ、よきセンス(Sense)の持ち主と、そんなふうに言えるだろう。


「でもなぜ」

 もちろん力になってもらえるのはありがたいが、それについて彼女が嬉しそうにする理由に関してはわからない。

「修行はどこでだってできますしね」

 曲独楽芸の修行のことだろう。どこからか出した独楽を、服の袖から出したシシの上で、いくつか回して見せた莉里奈。

「長の任務なんて楽しそうだし」

 まさしく、実に単純な理由であった。

「まあ、いいのか」

 理由はともかくとして、やる気があるのは助かる。

「このような娘なんだよ。だから今回のような任務、本人も望むところの話なんだ。しかしなるべくなら、お前も気をつけてやってくれ」

 藤治にとってはなんだかんだで、大切な弟子なのだろう。

「それではよろしくです。蓮介さん」

「ああ」

 その満面の笑みに、やはり少しは不安を感じるが……

「言っとくけど道中は、独楽の練習、多分そんなにできないからな」

 とりあえずそれだけは言っておいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る