案内役

 嘉永五年二月二十四日(1852年3月14日)


 蓮介は、蝦夷地の空国遺跡へと共に向かう仲間として、江戸で誘った二人。見習い曲独楽師でもあるカラクリ師の莉里奈と、少年侍の弥空を連れて、一旦琉球へと戻っていた。"祖カラクリ"に関連するテクノロジーをひとつも利用しなかったために、なかなか時間もかかってしまった。

 その日のかなり朝早くに、三人がいたのは那覇の港。まだ辺りは暗く、近くに他の人影もない。

「なあ蓮介のあんちゃん」

 ずっと一緒に行動しているとはいえ、出会ってから、まだほんの五日目くらいというのに、弥空はもう、一応は自分の倍くらいは生きている蓮介に対し、かなり打ち解けていた。

「なんだ?」


 蓮介は(気に入ったとして)莉里奈の控えめな反対を却下し、子供とはいえ幕府に追われる罪人である弥空を、カラクリ師以外の敵と戦う場合の護衛となってもらうための仲間として勧誘した。しかし実際のところ、蓮介自身はむしろ、莉里奈以上に弥空のことを警戒してもいた。彼が自分の目の届かない所に行くことをほとんど許さず、一方で必要最低限以上に彼と関わりを持とうともしなかった。しかし、そうした本音を隠さない蓮介の態度はむしろ、自分の実力をとても評価してくれていることの証明でもあるため、弥空としては嬉しいようだった。そしてとても博識で、話していて楽しい彼のことを、弥空の方はすぐに好きになったのだった。


「おいらは地図のことはよくわからないけどさ、目的地って北の方なんだろ。で、ここは逆(南)に来て、しかも結構長い道のり。普通に北に行けば今頃目的地についてたってことない?」

「まあ、普通に行けばついてただろうけど、でもそれはちょっと危険が大きすぎたから」

「江戸に来るのに、隠れ里使ったからですか?」

 莉里奈も一応、里出身のカラクリ師だが、最後にそこにいたのはもうほとんど覚えていないくらい幼い頃のことなので、その内部の様々な機構などについては知らないことが多い。

「それもあるけど、そもそも問題は、俺が自分で選んだ道だと、先読みされる可能性が高いことだ。雪菜様は俺のことを、もしかしたら俺以上によく知っているし」

「そういえばお母様なんでしたね、その長の人」

「長、て偉い人だろ。あんちゃん、でもその人と敵対しちゃってるの?」

 蓮介は、母の名前を出す際に、なるべく自分の感情を見せないようにと努めたが、莉里奈も弥空も勝手に、彼が悲しんでいると思ったらしく、同情が垣間見えていた。

 しかし、それは完全に見当外れだ。

「敵だなんて思ったことないよ。ただ、時々大事なことで意見が違うんだ。それだけだよ」

 その言葉は本心のようでいて、願望でもあった。

 そして、おそらく実際には敵になんてなれないだろう。蓮介は、少なくとも彼の方は、母に対して強い愛情を持っている。だけど母が、同じように自分のことを、それこそ子供に対するような愛情をもってくれているのかは、自信がなかった。

 最初にそういうことを感じたのがいつのことだったかわからない。だけど、そのいつかの時からずっとそうだ。蓮介は母、雪菜の心がまるきり読めなくて、そしてどうしようもない恐ろしさを感じ続けてきた。

 莉里奈も弥空も彼の本心を読めなかったが、彼が隠れ里と直接に繋がっているような日本列島で、カラクリ師としての秘密の任務を遂行するにあたり、恐れていたことのほとんどは母の手だ。それからはただ、なんとか隠れるか逃げるしかないと、それだけは何よりはっきり理解していた。


「でも蝦夷地までは行かないとなんですよね」と莉里奈。

「案内役を雇うことにした。おれも、雪菜様だって知らないだろう道を知ってる案内役を」

 そこまで言ったところで、いつの間にかすぐ近くにいた漁師。

あんちゃ」

「弥空」

「ひいっ」

 弥空の途切れた叫び、彼の名を呼んだ蓮介、莉里奈の悲鳴、それらが連続したわずかな時間でのこと。抜刀しようとした弥空の、刀の柄を掴んだ手を、袖を破らずに右手から伸びたカラクリ手のシシで押さえた蓮介。さらにほぼ同時に、漁師に扮していた忍者が懐から出したクナイも、蓮介は、シシの間接部から飛ばした小さな三角状の飛び道具カラクリにより、弾き、衝撃に怯んだ彼にクーホウを向けた。

「亜花も落ち着け」

 平然と、漁師に化けている彼の名も口にする蓮介。

 さらに彼は続けた。

「どうしようとしたのかわからないけど、それが出来ないことはもうこの時点でわかるだろ」

「なぜ」

 抵抗の意思がないことをはっきり認めるかのように、まだ隠していたのも含め、彼は持っていた全ての武器を一旦地に落とした。忍に特有の武器であるクナイ、小さな麺棒みたいな木製の偽装簡易鉄砲。切り札だろう、戦国時代によく飛び道具として利用されていた武器、棒状手裏剣。すべて1つずつ。

 実質一国であるかくれ里に侵入してきて、大暴れするための道具としてはかなり物足りないが、むしろ敵を倒すことよりも、その先の目的を達成することを常に最優先し続ける忍者の装備としては、見事に厳選されたものと言えるだろう。

「私は解放された?」

「解放できる立場の者が俺の味方にいて、俺が頼んだ。あなたに道案内を頼もうと思って」

「はい?」と、亜花本人よりも、おそらく弥空の時よりも、かなり驚きを見せた莉里奈。

「待ってくださいよ。囚われの身だった忍者、てことはあれですよね、どう考えても彼が里への侵入者なんですよね」

「ああ、だから実力は確かめるまでもなく知ってる」と、やはり平然と言う蓮介。

「戦闘力て意味じゃなく忍者としての技能。蝦夷地まで、隠れ道を使わせてほしい。おそらくあなたなら知ってるだろ」


 忍者の使う隠れ道。ある地域からある地域へと、なるべく誰にも知られずに移動するための特別な道。民間にもほとんど伝説のような噂としてあるが、それが実際にあるということを、蓮介は知っていた。


「それで私を」と、納得した様子を見せながら、木製棒鉄砲を拾う亜花。

「大丈夫」

 すぐさままた、離していた刀の柄を握ろうとした弥空を、今度は言葉だけで止めた蓮介。

「忍者は」

「一つの道具を十の目的に使う。それが忍の者として受け継いできた教えの一つだ」

 蓮介が何か言おうとするより先に、自分でそう語った亜花。

 そしてその自分の言葉を証明しようとするかのように、彼は、何がどうなっているのか、偽造鉄砲から放出された液体で、適当な模様みたいにも、文章かのようにも見えるものを、いつのまにか足元に置いていた紙に描いた。

「それ、始めから鉄砲じゃなかったんですか?」

 "祖カラクリ"でもないだろうそれが、もはや鉄砲の機能を持っているということなど、莉里奈には信じられなかった。

 実際にその通りだ。それに鉄砲としての機能などないのである。ただの、文字を書くための道具だ

「使用せずに持ち続けている限りは鉄砲だ」

 亜花はそんなふうに言った。

「忍者は騙すのが上手い」

 蓮介は、実はわかっていたのか、わかっていなかったのか、少なくとも明らかな関心を、亜花の、偽装鉄砲に偽装した文字書き道具に向けていた。

「お前、蓮介というんだったな。私のこの暗号はわかるのか?」

「わかる」

 亜花が紙に書いたのは、囮記号おとりきごうとも呼ばれる、もっとも基本的で、本来は意味があるように見せているだけの、囮の暗号文のために使われていた文字体系によるもの。


 そう、まさに忍は一つの道具を十の目的に使う。もともとは意味すら必要なかったろうその暗号文字も、場合によっては使えるよう、しっかりと意味、使い方が決められている。そして蓮介がその暗号文字を知っていたのも、彼がそれを知っているかもしれないと亜花が考えたのも、この暗号文字はすでに、世間に広く知られていたから。もちろん、それを理解して扱えるような者となると少ないが、そのような忍が使う暗号文字があるということだけは広く知られていたわけである。それが主流であるということは完全に嘘なわけだが。


「条件は全てのむよ。蝦夷地の目的地の遺跡まで無事に着けたなら、あなたは自由の身。それにあなたを利用した者を探すの、俺に可能な範囲で協力するよ。あかたが望んでるような"祖カラクリ"を利用した忍道具も、俺が責任持って造ってやる」

 亜花が暗号で提示してきた条件は全て予想通りであり、蓮介にとっては特に問題のない内容であったが、わざとなのか、彼は、せっかく亜花が暗号を使ってまで隠したその内容を、いちいち口にした。

「ほんとに信頼できます?」

 莉里奈はますます不安そうにする。

「正直なところ、信頼できそうな相手より信頼できるかもしれない。隠れ里であんな騒動があった後で、まさかその騒動の中心で 争った二人が、すぐ後に手を組むなんて考えられにくいだろうし」

 蓮介自身、自分がもし逆の立場で、かつ外のこと、というよりも忍者という存在に関しての知識などがあまりなかったとしたら、そんな展開想像もしなかったことだろう。 

「仲間であるうちは、忍者というのは必ず裏切らないものだ」

「そう、なのでしょうか」

 どこかまだ納得いかない様子の莉里奈。

「まあ、そうなのですね」

 しかし結局のところ、立場的に、彼女としては納得するしかない。


 もっとも、忍者が用いる技、すなわち"忍術"には、例えば追放されて行き場を失くしてしまった者を演じる"山彦やまびこの術"や、後に敵になるものを事前に予測し、あらかじめその者に近づく"桂男かつらおの術"など、間者として偽りの仲間になるものがいくつもある。蓮介は、かなり忍者に関して詳しい方で、もちろんそれらのことをしっかりと知っているが、別にあえて説明はしなかった。

 ただ一つだけ、その忍者である亜花に警告はしておいた。

「言っておくけど、俺に忍術は通じないよ。口伝のみの内容まで含めて、俺はそれらについてよく知ってるから」

「今はもう戦の世じゃない。忍としての生き方も昔とはずいぶん違う。蓮介、お前が私の条件のことを約束してくれるなら、私の方も約束する。ただお前たちを蝦夷地の、望みの場所まで連れていってやる」

 そして、それはまた何かに使うのか、おそらく中身の液体がなくなったのだろう棒を二つに割って、懐になおした亜花

「まあ、おいらとしてはあんちゃんがいいと言うならいいけどさ。忍者、もしお前裏切るようなことがあったら、おいらだって容赦しないぜ」

 そもそも自分がまだ、完全に信用されているわけではないだろうに、亜花に対して弥空も警告しておく。

「よく考えたら物騒すぎると思う。物騒すぎる、怪しまれる」と、無駄だとわかってはいるものの、また控えめな反対を一応表明する莉里奈。

 案の定、そんな妹弟子の意見は聞いてもいない様子で、蓮介はここに揃った旅の仲間三人に告げた。

「三人とも頼りにしてる。少しの間かもしれないけど、あらためてよろしくな」


 こうして二人のカラクリ師と、一人の侍、一人の忍者という、実に風変わりな一行の、北への、そして先に待ち受ける大きな戦いへの旅路が、幕を開けたのだった。

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