龍宮へ呼ばれた男(巻第四「声よきものをば龍宮よりほしがる事」)

 尾張国の熱田の宮に、常日頃から謡曲が好きで、夜昼なく謡っている男がいた。

 少し海上に突き出た海岸の土地に、ひとつの東屋を建てて暮らしていた。

 彼の亭から謡が途切れる日はなかった。


 ある夜、夜更け過ぎまで唄っていたところ、海上を一町ほど離れた沖から、大音声で、

「いや、いや」

 と褒める声がした。

 この声は男の耳にこびりつき、ひどく耐えがたい状態になり、遂にはそのまま患いついてしまった。


 程なく、精神的にも錯乱するようになり、末期に及ぼうという容態なので、男の一門眷属は集まり、嘆き悲しんだ。

 その時、沖の方から俄かに震動して、身の丈一丈もあろうかと思しき男が現れたので、一同は身の毛のよだつ思いがした。

 男は、眼は日月のように光り輝き、顔は朱を差したような色で、左右の眉は漆を塗ったように黒々として、面と向かえば魂が吹き飛ぶような、本当に恐ろしい姿をしていた。

 そして、男が臥せている座敷に、ずんと座り込み、

「どのように養生したとしても、明日の日暮れには必ず迎えに来るぞ」

 そう云うなり、かき消すように姿が見えなくなった。

 兎にも角にも、何かを云うまでもなく、

「そういうことならば、明日は番を置くぞ」

 一門眷属は、弓矢や胡簶なぐいを装備して、それぞれ宿直して待ち構えることにした。


 翌日、子の刻(午前0時)と思しき頃、海上が鳴動して、光が満ちたかと思うと、再び例の大男がやって来た。

 それまでは、足止めして、射殺してやろうと押し合いへし合いしていた者たちも、男を目の当たりにした途端に心が呆然として、足も萎えて、前後不覚になり、ふらふらとしてくる。

 その間に大男は病人を抱えると、海中に没した。


 連れていかれた以上はどうしようもない、力及ばぬことだと、一同は亡き跡を弔い、嘆き悲しんでいたところ、その日の戌の刻(午後八時ごろ)、

「欲しければ返してやろう」

と声がすると、突如、さらわれた男が、身体をずんずんに引き裂かれて、一同のいる座敷に投げ込まれた。

 どういうことだったのか理解しにくい話である。

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