第21話 許せない心

 佐野が院長室前に到着すると二回ノックしてドアを開ける。

「恒川さん、お疲れ様です」

 佐野は、院長である亮一郎の秘書の恒川に挨拶をした。

「佐野先生、お疲れ様です。皆様お待ちです」

「はい」

 佐野は、もう一つのドアをノックすると、応答を待って中に入る。

「遅くなってすみませんって、え? あれ? 何で拓三が居るの? え! もしかして、拓三の会社にまで飛び火してる、とか?」

「よう、壮太。その反対。俺の会社、否、俺が火の元だわ。ごめん」

「どう言う事? あれ何で僕達だけ? 副院長とかいいんですか? 亮さん」

「まぁまぁ、壮太座って。コーヒーでいい?」

 亮一郎が、院長室にあるソファに腰掛けたままで、佐野に座るように促す。

「は―い。では、失礼します」

 佐野が、拓三の隣に腰を下ろすと、恒川がコーヒーを運んで来た。


「で、火種が拓三ってどう言う事?」

 前に座る亮一郎と隣の拓三をチラリと見ながら尋ねる。

「メディカルシーの営業担当の名前に聞き覚えがあってね。調べてたんだけど、気付くのが一歩遅かった」

「亮さんが知ってる人だって事?」

「彼女、昔、美津子さんが、あ? 壮太分かるよな、美津子さん、うちのお手伝いさん。今は母の茶飲み友達」

「うん。知ってるよ」

 田村美津子の事を佐野に確認した後、亮一郎は再び続けた。


「美津子さんが産休の時に、臨時で来て貰ってた、小野玲子おのれいこさんの娘さんが、五百蔵彩乃さんだよ」

「え? それって拓三の・・・・」

「そう、俺の昔の彼女、渚沙なぎさの妹さん」

「あの事件以来、小野さん離婚されたみたいで、五百蔵は旧姓」

 佐野は、随分前の話を持ち出して来た亮一郎の真意が分からずに、頭を掻いた。

「その拓三の彼女の妹が何をしたの?」

「これ」

 そう告げた亮一郎は、白黒の用紙を佐野に差し出した。


 ≪医薬品卸販売会社メディカルシーの営業担当が、

 大手製薬業者KTMの販売促進部部長から強制わいせつを受ける

 KTMと加瀬総合病院との不正取引を告発≫


 佐野が目を通した紙は、週刊誌か何かの見出し様だ。


「何ですかこれ? 有り得ないでしょ」

「今、調査中。でも丸っきり嘘でもないようだね」

 そう告げると、亮一郎はコーヒーカップを持ち上げ、一口喉に流し込んだ。


「うちの販足部長の大田君がさ、ターゲットにされていたみたいで、会話録音されてたんだわ。大田さんって、陽引ひびきメディカルの時からの社員で、まぁちょっと癖のある人でさ、多分俺の会社に愛着なんて全く無かったと思う」

 不甲斐ない自分を戒めるような口調で拓三は語った。


 拓三が経営するKTM社は、祖父の潤一郎が小さな製薬会社であった陽引メディカルを、当時の社長に頼み込まれて買収したのだ。拓三が、社員として入社して以来、会社の業績は向上し、社長に就任してからは、彼の優れた力量で、現在の大手製薬会社の一つにまでに育て上げたのだ。

 問題とされるKTM社販売促進部の部長である大田雄平おおたゆうへいは、陽引メディカルの社員で、当時の社長に恩を感じている人物だったのだ。


「その録音された会話に、ここの整形外科部長の渡部わたべさんの名前も出て来て、不正取引や便宜供与を疑われているみたいだね」

「亮さん、どうするんですか?」

「先ずは、事実確認。万次郎曰く、出版会社もちょっと疑っているみたいで、掲載保留になっているらしい」

「それなら良かった。まぁ確かに渡部部長って、僕の上司の横山さんと同系の人なんで、信用してはいないですけど」

「あはは、壮太君厳しいね。ま、僕の代になったんだし、お爺さんからの柵を整理するのも良案だけど、難しいんだよね」


 問題になっている整形外科部長の渡部幸雄わたべゆきおと、佐野の上司である心臓血管外科部長の横山雅臣よこやままさおみは、どちらも創業者である亮一郎の祖父潤一郎の友人関係である。

 心臓血管外科の横山は、昔は外科の腕前は優れていたらしいが、ここ数年は自身の知名度が上がる手術しか施さなくなり、腕前も佐野に劣るとの噂だ。以前は、佐野を助手に付けていたが、彼の技量に嫉妬してか、横山の手術は闇オペと呼ばれる程に、あまり皆に知らされないのだ。しかし、それでも祖父の関係からか、部長の椅子は不動であり、佐野は万年副部長だろうと言われている。


 移植手術を多く手掛けている病院で研修していた夏樹を、無理やり加瀬総合病院に入れたのも、これらの問題が、夏樹によって改善されるかもしれないとの期待もあったのだ。この事は、夏樹の知る所ではない話である。


「給料泥棒ですよ!」

「まぁまぁ、壮太君」

 亮一郎は、少しムッとした顔の佐野に苦笑いを見せた。

「そんな事より、これらの出何処が、五百蔵さんなんですね」

 佐野は、気持ちを切り替えると、本題に意識を戻らせた。


「そう、間違いないな。だって、こうやって俺の会社だけでなく、ここの病院や、万にぃの所にまで飛び火してる。完全に加瀬兄弟狙いだな」

「万次郎さん大丈夫なんですか?」

「今の所は、全てが事実とは、みなされていないからね。だから、五百蔵さんにも話を聞くつもりだよ」

「亮さん、その役目、僕に任せてください。直接加瀬家が聞いても本当の事を話さないと思いますよ。僕だったら、拓三の元カノの事を知っていますから」

 佐野が、自信に満ちた目で亮一郎に申し出ると、隣に座る拓三が驚いた顔でそんな佐野を覗き込んだ。


「そんな大役任せられないよ。俺の責任だし、俺が聞いた方が良いと思う」

「拓三、任せろって。多分誤解しているんだと思う。僕はお前がどれだけ苦しんだか、良く知ってるからさ」

「そうだね。壮太に任せるのが良いかもしれないよ。拓三」

 二人の会話を聞いていた亮一郎は、腕を組み少し思案すると口を挟む。


 拓三は、佐野に背負わせる事になった自身の問題に、心苦しさから眉を顰めた。

「壮太、面倒な事に巻き込んで、ごめんな。どうぞ宜しくお願いします」

 佐野の横に座る拓三は、佐野に身体を向けると頭を下げた。

 その後、病院や新薬について三人で話合った後、佐野と拓三は、再度秘書の恒川に挨拶をすると、院長室を後にした。


「そうだ壮太、すずちゃんはどうだ? 俺、この後お見舞いに行っていいか? 最近、ここに頻繁に来れなくなったからな」

「すずは、未だ眠り姫だよ。ああ、有難う。彼女もきっと喜ぶよ」

 そう語る佐野に、拓三は少し寂し気な面持ちで微笑んだ。

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