No.8 宛先不明の物語 作者:ヨシカワ さん

教室




「君が書いてる話、面白いと思うんだけどなあ」


 あいつがそんなことを言ったのは、いつだったか。他に誰もいない教室でそう言われた事は憶えている。夕日が差し込んでるわけでも、土砂降りの雨に降られているわけでも無い。よくあるような風景。だから、別にそこから何かが始まる事は無かった。特別、仲が良かったというわけでも無い、たまに顔を合わせて軽い雑談をするくらいの間柄。そもそも、こんなことを言われたのもちょっとした事故で俺の原稿用紙を見られたからだ。馬鹿にされなかっただけマシだと思って、自分が感じていることを素直に口にすることにした。


「オチがついてない物を面白いかどうかなんて判断できないだろ」


 それは今でも変わらない信念というか、ただの事実として自分の中にある身勝手な決まり事だった。オチがついていない、完結していない物は作品じゃない。完結しないなら意味が無い、ただの文字の羅列だ。出来かけの物を人様に見せて得られる価値なんて、何もない。


「そうかなあ?出来かけでも面白い物は面白いでしょ。だって、オチがついてなくても意味自体はあるじゃん。もう、存在はしてるんだし」


 どこか、ムッとしたような顔でそう言われた。それに、なぜだかやけに踏み込んだことを言われていた。なんでそこまで言われるのかは分からなかった。ただ、そのまま適当に流すにしてはもったいない話題だと思ったから、付き合う事にした。


「存在してるだけじゃ意味は無いだろ。骨組みだけの建物とか、使えないし、それ自体に価値はないだろ?書きかけの小説に意味が無いのはそれと同じだよ」


 書きたいものがあって、手を動かすんだから。書きたいものが形にしきれないのであればそれは意味が無い。それこそ、骨組みだけ組んだ家とか、誰も住めないし、そもそも道具としての機能を果たさない。


「骨組みだけでも価値はあるよ。組み上げられる過程自体に意味はあるし、作る過程も含めて作品なんだから、オチがついてないから価値が無いってことは無いでしょ」


 そこまで言われて、おそらく起きているのであろう錯誤に気づいたので、それを指摘する事にした。


「……なあ、創作物なんて自分の為にやるもんだぞ。過程を人に見られるためにやってる訳でも無いし、それで評価されてもうれしくねえよ」


 こいつは、多分。作る過程まで含めて、作品でそこも評価されるべきだと思っているんだろうけれども、俺はそうじゃない。


「完成しないんなら、どんなものにも意味は無いよ。努力してますって言っても完成品が出ないんならどんな奴だろうと評価は受けれねえよ」


 あいつはそれを聞いて、溜息をついてから笑った。


「努力をしてる人間は肯定したいってだけだよ。君だって頑張ってない訳じゃないでしょ」


 なんだか、眩しい物を見せられているような気持ちになって、そのまま見ている事に耐えられなくなった。


「そうかよ。じゃあ、結果が出たら見せるよ。努力の評価はそこでしてくれ」


 そこで言葉を切って、その日は分かれた。表情は見えなかったけれども、多分とんでもない笑顔で。


「うん、そうだね。じゃあ、私が待っててあげる。君のファン第一号って感じで」


 それ自体は、悪い事ではないと思った。少なくとも、書きたいと思う理由が一つ増えたなと思うくらいには。


「そうかよ。じゃあ、書きあがったら見せる」


 そして、そのままあいつと、二度と顔を合わせる事はできなくなった。




葬式




二度と顔を合わせる事は無かった。というのも、別れた後の帰り道にあいつが死んだからだ。交通事故だった。遺体は損壊が激しかったせいで見せられないと言われた。暴走した車が歩道に突っ込んできてブロック塀との間で挟まれて即死。病院に運ばれた時点で手遅れだった。


 遺体の解剖や各種手続きの関係で葬式はあいつが死んでから、それなりの時間が経過した後になってしまった。俺は、その間になにかしていたかというとなにもしていなかった。できなかった、の方が正しいのかもしれない。ずっと自分の部屋でうずくまって、涙を流すわけでも。事故が起きたであろう場所を見に行くわけでも無く、ただ。今まで通りに学校に通っていた。流石に、机の上に花を置くようなやつは居なかった。それだけが、せめてもの救いだったように思える。とりあえず、喪失の痛みを先延ばしにすることができた。教室での雑談がなくなった事実はそれなりにきつかったけれども、もしかしたら、病欠かもしれない。とか、そんな意味の無い現実逃避に浸る事が出来たから。


 一週間後に葬式の通知が届いたところで、現実逃避は終わった。元々分かっていた事だったけれども、書面による通知で現実がやっと追いついてきたような気がした。葬儀に参列するまでの間に、現実を確認する為に、あるいは甘ったれた期待を捨てる為に、あの日から、特に中身が変わったわけでも無い鞄と花だけを持って事故現場に向かった。


 それなりに車も人も通る道路に、崩れ落ちたブロック塀と、タイヤが路面にこすれた跡が、まだ残っていた。花と缶ジュースが備え付けられていた場所にはとっくに黒ずんでしまった血液だけが残されていた。何かを感じる事があるかと思ったけれども、ただ、失くしたものがそこにあったという事くらいしか分からなかったし、その感情を処理する事は出来なかった。献花だけを置いて、鞄の中身は特に取り出すことも無く、逃げるようにその場を後にした。その後の事は自分でも覚えていない。ただ、何も考えたくないとだけ思いながら自分の部屋に籠って、そのまま意識を手放した。


 告別式は初めて参列するわけではなかったから、今までと同じように参列者に求められることをして、逃げだすことも出来ずに現実を飲み込むことにした。葬式はそうする為の時間だという文章や主張の意味を初めて飲み込めたと思う。少なくとも、学校に行ってまた会えるかもしれないなんて言う期待を砕かれるには、十分な時間だった。やけに、うるさいなと思いながら聞いていた読経もいつの間にか止んで、あいつがどんな人間だったかを他のクラスメイトが話していた。それを聞くのは、どうにも退屈というか、不愉快な時間で、早く終わってくれないかと思ってしまった。俺が知っているあいつよりも幾分か陰気だった事や、友達がそんなに居なかった事とか、俺の中にあったあいつとの像の乖離が気持ち悪かった。そんな事を考えているうちに出棺の時間になった。火葬場に行けるほどの間柄ではなかったから、俺にとってのあいつの葬式はそこで終わった。




自室




葬式が終わった後は誰かと話すことも無く自分の部屋に逃げ込んだ。結局、俺は俺から見たあいつ以外の姿を知りたくなかったのかもしれない。今更知ったところで、それが俺にとって意味のある事になるとは思えなかったし、知りたくなかった。最後にした話の事を考える。


 あいつは組み上げようとすること自体に意味があると言っていた。その時の俺は結果が出ないなら意味なんてないと返した。そもそも、自分の為に書くんだから自分の為の行為を他者に評価されることなんて望んではいなかった。だから、あいつの言っていた事は俺にはあまり納得できるような論理ではなかったと思う。今でも、納得していないがそれをあいつに言う機会は永遠に失われてしまった。床に放り投げたままの鞄が視界に入る。


「……書かねえと」


 少なくとも、俺が今やるべき事はそれだと思い込むことにした。パソコンやスマホでも文章は書けるけれども、俺は手で書く方が好きだった。どこまで進められたかが分かりやすいし、手を動かしながら考える時間は嫌いじゃなかった。使いかけの鉛筆と消しゴムを机の上に置いて、原稿用紙に続きを書こうとした。


 したんだけれども、結局何かを書くことは出来なかった。何か書きたいものがあったはずだったけれども、手を止めてしまっていた間に忘れてしまったのか、思い出そうとしたくないと無意識下で拒んでいるのか、それすら分からないで結局、その日はそのまま放り出して眠りについた。




墓前




葬式が終わってからしばらくした後に、墓参りに行くことにした。墓の所在地はあいつの家族が教えてくれた。抽選とかの関係で墓が建ったのはそれなりに時間が経過してからだった。結局、葬式が終わった後に何か劇的な変化があったかと言われたらそんな事は無かった。今まで通りに学校と家を往復するだけの日々。居なくなった事はしばらくすれば存外すんなりと受け入れられて、そのまま少しだけつまらなくなった毎日を受けいれていった。墓参りに来たのは、単に俺にとってそうする必要がったからだ。結局、自分が失ったことを認めるには、あいつの事を偲ぶのであればそうする事が一番早いように思えた。


 鞄と、供える為の花だけを持って、墓場に向かった。他に墓参りをしているような人間がいなかったのはありがたかった。今からやろうとしている事を考えれば。誰にも見られていない方が気は楽だし、誰かに見られてしまったら死にたくなるような事を今からするつもりだからだ。些か、気が重くなった。やらないままの方がしんどいのは目に見えているからどうあがいてもやった方がマシだというのが自分の中で出た結論だったし、それを誤魔化す事だけはどうにも出来なかった。だから、最後に自分がやるべきだと思ったことをやる事にした。




火葬




 最後にあいつへの手向けと、自分なりの決別をする事にした。結局、あいつが面白いと言ってくれた小説は見られた時から進まないままだった。進めたくなかったのか、進められなくなったのかは分からないが、何度書いても納得がいかない。オチがつかない。結局、自分の為だけに書いていたのならきっと。あいつが死んでも何も問題はなかったはずだ。だって、自分が納得する為に書くんだから、誰がどうなろうとそれは問題にならない、手を動かさない理由にはならないはずだった。


『うん、そうだね。じゃあ、私が待っててあげる。君のファン第一号って感じで』


 そんな言葉一つで、あいつの為に書こうなんて思ってしまった自分自身のバカさ加減に今更呆れ返った。要するに、そう言われて『いつか見せる』なんて返した時点で、俺は本当に自分が納得する為だけに手を動かすことは出来なくなっていた訳だ。だから、その返事をしてしまった時点で俺は、表現する為の術を無くしていたんだろうなと他人事の様に結論を出した。


 そこから、何かが始まる事を期待していたのかもしれない。結局、何も始まらずに、そこから立ち上がる事すらできなくなってしまったのだから酷い笑い話にすらない何かだけが残っている。


 鞄から、書きかけの原稿用紙と安物のライターを取り出す。少なくとも、これからする行為にはそれが必要だった。正しい順番に揃っていることを確認して、最後に一度だけ通読する。結局、書き出しも書き出しで終わってしまった物語。あいつに見られてから、誰かの為に書こうと思ってからは結局、少しも進められなくなった物語の残滓。それを墓石の上に置く。


「別に要らねえだろうけどさ」


 そう言いながらライターを着火させる、些か頼りない炎が着く。それを原稿用紙に当てる、当てた端から原稿用紙が燃えていく。それなりの焦げ臭さと煙が鼻と目を刺激する。最後にした話で言うところの骨組みは完成を迎える前に燃え尽きて行った。


 少なくとも、供えるだけならこうする必要は無い。しばらくの間、ここにおいてから回収するだけで良い訳で。だから、これは自己満足の為の行為だ。それこそ、葬式でやるような、死者はもういない事を受け容れる為の通過儀礼。俺にとってのあいつはファン第一号を自称したやつで、それと別れる為には自分が書き上げられなかったことを認めて、全部投げ捨てる事しか、俺には思いつかなかった。


「……いや、本当にダサいな」


 結局、俺は自分が納得する事が出来ないままに痛みを切り離すためにそうする事を選んだ。あいつへの手向けだとか、言い訳は付けたけれどもこんな事をしてもあるかどうかも分からない死後の世界に何かが届くわけでも無い。だから、これは。


「……届きやしない物語に価値なんてないじゃねえか」


 誰かに届けられたかもしれない物語を灰にする事が俺なりの最後にする表現だったと思うと、随分と酷いオチがついたような気がする。自分が信じていた事がそれなりに正しかったことに今更気づいて、そのまま、俺は二度とこの事を思いださないようにしようと誓って、墓場から逃げ出した。


 それで、この話は終わりだ。

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