第27話 岩橋さんが『ぼっち』だった本当の理由

 岩橋さんの額には第三の眼が開眼して……って、んなわけあるか! 岩橋さんの額と言うか、右の眉から生え際にかけて長さ五センチ程の深い古傷が刻まれていたのだ。しかもその傷は見事に眉を分断している。

 まあ、おしゃれ感覚で眉に剃り込みを入れる人もいるのは知っているが、おとなしい岩橋さんのイメージとはあまりにもかけ離れている。って言うか、あんな所を怪我したのだから一歩間違えれば失明の危機だったんじゃないか? 大きくて可愛い目が無事で良かったと思った時だった。


「見た……わよね?」


 岩橋さんは前髪を下ろしながら小さな震える声で言うと、涙を流しながら学校とは反対の方向へ走り出した。もちろん俺はダッシュで追いかけた。男の足と女の子の足だ。すぐに追い付きはしたもの、何て言葉をかけたら良いのかわからない。


「岩橋さん、ごめんね」


 許してもらえようがもらえまいが謝るしか無い。悪いのは俺なんだから。

岩橋さんは子猫を見つけた公園に入るとベンチに座った。俺はどうしたら良いかわからず岩橋さんの前に突っ立つしかなかった。


「座ったら?」


 岩橋さんに促されて隣に座るが、何を言って良いのかわからない。俺はひたすら謝り続けるしか無かった。


「もういいよ」


 岩橋さんは涙を止めてポツリポツリと話し出した。

額に刻まれた大きな傷は小学生の時にブランコから落ちて出来たらしい。また、その傷のせいで多感な中学生の時に心無い誹謗中傷を受けた岩橋さんは心にも傷を負い、前髪を眼に被さる程までに伸ばして額と心、両方の傷を隠してきたのだと。そして額の傷の事など知られていない転入先の高校で友達を作りたかったのだが、抑圧された中学生時代を送っていた為に内気で臆病な性格となってしまった岩橋さんは友達を作る事が出来ないままで寂しい思いをしてきたのだと。


「醜いでしょ? 嫌よね、こんな女の子なんて……」


 岩橋さんは、古傷を俺に見せ付ける様に自ら前髪をかき上げた。あらためて良く見ると、右の眉を分断して歪な線が髪の生え際に向かって走っている。俺はそれを醜いと言うより痛々しく思い、撫でる様に手を当てた。


「嫌なんかじゃ無いよ。かわいそうに、ずっと苦しんでたんだね」


 その場しのぎの慰めなんかじゃ無い。心からそう思った。しかし岩橋さんは小さな声で俺に尋ねた。


「じゃあ加藤君、この傷を晒した私と一緒に歩ける?」


 岩橋さんはよっぽど傷付けられたのだろう。だが、口で言っても信じてもらえないのなら行動で示すだけだ。


「もちろん」


 だがしかし、今から街をぶらつくわけにはいかない。何せ本来なら学校に行ってる時間だからな。かと言って今から学校に行くのも……って言ってる場合じゃ無い。ダッシュすればホームルームはともかく一時間目にはなんとか間に合う。俺は迷わず岩橋さんの手を取り、学校目指して走り出した。


 学校に着いたのはホームルームが終わる直前だった。俺が忘れ物を取りに家に戻った為に遅刻した事にして、先生からはちょっと注意されただけで済み、この日はなんとか乗り切る事が出来たのだが、この時は夢にも思わなかった。次の日、岩橋さんが思い切った行動に出る事など。


          *


 翌朝、いつもの様にマンションのエントランスで待つ岩橋さんが遠目に見えた。しかし雰囲気が何かいつもと違う。その理由は少し近付くとすぐにわかった。岩橋さんは前髪を上げ、目も額も隠していなかったのだ。もちろん岩橋さんを苦しめている古傷も。


 ――岩橋さん、凄いかわいいよ。その大きくて綺麗な目を隠していたなんて、なんてもったいない! ――


 声には出さない(出せない)が、それが俺の素直な感想だった。今は前髪を完全にアップにしてるから傷が目立つけど、眉にかかるぐらいの前髪にすれば傷は隠せると思うんだけどな。


 いつもの様に二人で並んで歩く。もちろん俺は普段と変わらない態度を取ったつもりだったが、岩橋さんはいつもとは違い、俺の話にあまり笑ってはくれなかった。


 しばらく歩き、例の公園に差し掛かった時、岩橋さんがおもむろに口を開いた。


「加藤君、恥ずかしく無いの? こんな傷が顔にある女の子と一緒で」


 やはり岩橋さんは俺を試すつもりなのだろうか? いや、岩橋さんの目はそうは言っていない。

 岩橋さんの目は不安に怯えている様な気がする。ここは正直な気持ちをぶつけるのが一番だろう。俺は即答した。


「全然。でも、前髪がある方が好みかな」


 しまった、つい要らん事まで言ってしまった。おでこ萌というカテゴリーはあるが、俺は圧倒的に前髪派なのだ……って、ちょっと正直過ぎたか。


「そうなんだ……」


 呟いた岩橋さんがほんの少しだけ笑った様な気がしたが、それは俺の思い過ごしなのだろうか。


 教室に入ると和彦と由美ちゃんが俺達に気付いた。


「あれっ、沙織ちゃんよね? 今日は髪の毛上げちゃって。やっぱりその方が可愛いじゃない」


 言いながら近付いてきた由美ちゃんは岩橋さんの額に刻まれた傷に気付いた。


「あらっ、どうしたのその傷……あっ、それでこの間……ごめんね、知らなかったから」


 由美ちゃんが謝ったのは、以前岩橋さんの前髪を払った事についてだろう。今、始めて岩橋さんの額の傷に気付いたという事は、どうやら昨日、岩橋さんの傷を見てしまったのは俺だけだった様だ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る