第28話 岩橋さんの勇気

 岩橋さんが前髪に触れられるのを嫌がった理由を理解し、素直に謝った由美ちゃんは鞄から剃刀と櫛を取り出した。


「本当の自分を見せようと思ったのよね。でも、そこまでしなくっても良いのよ」


 由美ちゃんは岩橋さんの前髪を下ろすと剃刀で削ぐ様に整え始めた。普段から自分でやっているのだろう、慣れた手つきで少し切ってはバランスを見て、最後に櫛を入れると仕上がりに満足したらしく、自画自賛気味に声を上げた。


「沙織ちゃん、すっごいかわいい!」


 左目をしっかり出した上で前髪を作り、右目付近は長めに残して古傷を完璧にカバーする左右非対称の所謂アシンメトリーカット。しかも走ったりしても傷が露見しない様に右側の前髪は二本のヘアピンで留めるという念の入れようだ。

こんな言い方をしたら何だが、俺の好みに正にストライクだ。すると由美ちゃんの声で他の女子も集まってきた。



「あっ、ホント!」


「岩橋さん、かわいい!」


「もしかして、隠してた?」



 そんなちょっとした騒ぎを野郎共も遠巻きに見ている様で、あちこちでコソコソ言っているのが聞こえる。



「うわっ、マジか!?」


「岩橋さんって、あんな美少女だったんだ」


「プールで見たのは夢じゃ無かったんだ!」



 男連中のウケも良いみたいだ。良かった……のか? これじゃライバルが増えてしまうではないか。岩橋さんの美少女ぶりが発揮されたのは嬉しいんだけどな……

 俺はちょっぴり複雑な心境だったが、由美ちゃんは笑顔で言った。


「これできっかけは出来たわね。あとは沙織ちゃん次第よ」


 大勢の女子に囲まれてわたわたする岩橋さんだったが由美ちゃんの言葉を聞くとヘアピンを外し、前髪に手をやっておでこを出した。途端に額の傷跡が露になった。


「私、この傷のせいで中学生の頃虐められてたから……人と上手く話す事が出来なくなって……でも、やっぱり寂しいのは嫌で……でも、由美ちゃんのおかげでみんな仲良くしてくれて……」

 岩橋さんは涙ながらに訴え、そして遂に口に出した。この数ヶ月、一番言いたくて、言えなかった事を。


「私、大勢だと上手く話せないけど、みんなに仲良くして欲しいです」


 一瞬教室は静まり返ったが、その静けさはすぐにかき消された。


「なーにを今更」


「私達、もう仲良くしてるじゃない」


「そんな傷なんて関係無いわよ。岩橋さんは岩橋さんでしょ」


 女子が口々に言い出した。どうやらクラスの女子は既に岩橋さんを完全に受け入れていたみたいだ。

これで岩橋さんの心の傷は完全に癒えただろう。岩橋さんの流す涙が嬉し涙に変わり、由美ちゃんはもらい泣きしながら岩橋さんの髪をもう一度整えるとヘアピンでしっかり留めた。


 昼休み、四人で弁当を食べていると岩橋さんが言い出した。


「加藤君、谷本君、由美ちゃん、本当にありがとう」


 岩橋さんは凄く嬉しそうだ。聞けば岩橋さんは額の傷を見られるのが嫌で髪はずっとお母さんに切ってもらっていたらしい。もちろん岩橋さんのお母さんも出来るだけ傷を隠し、顔を見せる様にカットしようとしたのだが、岩橋さんはそれを頑なに拒み、前髪で顔を隠す様にしか切らせなかったのだと。肉親である母の言葉は慰めにしか思えなかったが、多くの友達の言葉によってようやく岩橋さんの閉ざされていた心が解かれたのだった。


 しかし正直な話、俺の心は相変わらず複雑だった。せっかくクラスの女子と仲良くなれたんだから俺達とばかり一緒に居させてはダメだよな。そろそろ男の友達も……って、俺自身、由美ちゃん以外に女の子の友達なんか居ないじゃねーかよ。そもそも由美ちゃんにとって俺は和彦のオマケみたいなモンなんだからな。第一、その『男の友達』が岩橋さんに言い寄ってきたら……これはいかん。そろそろ勝負に出ないといけないのかな。


          *


 翌日、マンションのエントランスで俺を待つ岩橋さんは遠目で見てもとてもかわいかった。はっきり言って予想以上だ。しかし、俺の心は重かった。


「昨日、前髪切って帰ったでしょ、お母さん、また私が虐められたんじゃないかって心配して大変だったのよ」


 岩橋さんは屈託無く言うが、それ、聞きようによっては結構ヘビーな内容だぞ。まあ、乗り越えた岩橋さんだからこそそんな顔で話せるのかな? それにしても本当にかわいいなぁ。しかも家はお金持ち(多分)だ。俺なんかが釣り合う相手じゃ無いのかもしれないな……などといつの間にか俺は情けない事を考えたりしてしまっていた。


 昼休み、俺は岩橋さんを弁当に誘わなかった。岩橋さんは俺の方を見て、不思議そうな顔をしていたが、俺は敢えて目を逸らして黙々と弁当を食べ始めた。しばらくして横目でちらちらと岩橋さんの姿を探すと、他の女子に誘われて五人で弁当を食べているのでほっとしたが。その日は帰りも和彦にも黙って一人、ダッシュで帰った。岩橋さんが誰か友達と帰る事を願いながら。


          *


 翌朝、岩橋さんはマンションのエントランスで俺の事を待っていた。少し寂しそうな顔をしている様に見えるのは気のせいだろうか?


「加藤君、おはよう」


 やはり声に少し元気が無い。俺が昨日弁当に誘わなかったせいなんだろうか? だとしたら正直嬉しいが、それでは岩橋さんの為にならない。


「おはよう、今日も待っててくれたんだね。でも、せっかく友達が出来たんだから、そっちも大事にしないとダメだよ」


 俺が口にしたのは、あくまで良い友達としての言葉。建前だ。本音はもちろん……


「それで昨日、お弁当に誘ってくれなかったんだ。ありがとう、気を使ってくれて」


 岩橋さんは微笑んだが、その笑顔が少し寂しそうに思えたのは俺の思い上がりなんだろうな。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る