第21話 ゾンビからの逃亡

 俺達は十人組では無く、五組のカップルを装って列に並んだ。そうしないと係員に十人まとめて誘導されちまうかもしれないからだ。俺と岩橋さんの前では三組の急誂えのカップルが微妙な空気感を出しながらも各々楽しそうにやっている。まあ、絶叫マシーンに並んだ時点で誰が誰を狙うかは決まってたんだろうな。後はどう攻めるかってトコか……まあ、俺としちゃ誰が誰とくっ付こうが構わないんだけどな。もっとも皆が皆上手くいくと言う保証は無いんだけど。


 などと思っている間も岩橋さんは不安そうに俯いている。いかんいかん、こんな事考えてる場合じゃ無い。岩橋さんの不安を少しでも減らしてあげないと。


「岩橋さん、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。作り物なんだからさ」


 俺は言ったが、正直俺だって怖く無いと言えば嘘になる。何しろこのホラーハウスのテーマとなった『エスケープ・フロム・レジデンス・オブ・ゾンビ』はタイトルこそセンスの欠片も感じさせないが、恐ろしく作り込まれたクリーチャーが評判の大ヒット映画で、このアトラクションはその世界を再現しているのだ。恐ろしくリアルなゾンビが待ち受けているに違い無い……リアルなゾンビったって、本物のゾンビなんか見た事無いけどな。


「……うん。でも、怖かったら目を瞑っちゃうかも……」


 コレってアレか? 手を繋いで欲しいってコトなのか? 岩橋さんの言葉に俺の胸は期待で膨らんだ。


「きゃああぁぁぁぁっ!」


「うわあっ!!」


 待っている間にも洋館の中から悲鳴が聞こえ、その度に岩橋さんはビクッとして身を強ばらせる。岩橋さんにこんな思いをさせるなんて……ゾンビ共め、天誅を下してやろうか……いやいや、アレがゾンビの中の人の仕事なんだ。

 怯える岩橋さんの肩をそっと抱き寄せて慰めてあげたいところだが、さすがにそれは出来無い。今の俺には慰めの言葉をかけるのが精一杯だ。


「大丈夫だよ。本当にダメだったら、途中でリタイヤしても良いんだからさ」


「でも、それじゃ加藤君が面白く無いでしょ? せっかくGSJに来たのに私のせいで加藤君、全然楽しめて無いじゃない」


 いやいや、岩橋さんと一緒だったらGSJどころか駅前のショッピングモール、いや通学路ですら楽しいですよ。なんたって俺が一日で一番幸せなのは岩橋さんと二人で登校してる時なんだから。


 なんて言える訳も無く、俺はかわいい事を言う岩橋さんを抱き締めたい衝動を抑えるのに必死だった。そんなうちに遂に俺と岩橋さんが案内される番が来てしまった。


「ようこそ当館に。さあ、どうぞお入り下さい」


 この洋館の執事という設定らしい係員に誘導され、俺と岩橋さんがゾンビ共の巣食う洋館に足を踏み入れると係員は扉を閉ざしてしまった。薄暗い中で岩橋さんと二人っきりだ、俺はドキドキしてしまってゾンビの事なんか頭から吹き飛んでしまったが、岩橋さんはどうなんだろう? あ、肩が小刻みに震えてるよ。やっぱり怖いんだな、俺がちゃんと守ってあげないと。


 俺が思った矢先にガタっと音がした。多分、ゾンビが襲って来る前兆だな。ビクっとした岩橋さんを庇う様に身構えた俺の数メートル先にゾンビが天井から落ちてきた。マジかよ、ゾンビ役の人、体張ってるな……なんて呑気な事を言っている場合では無い。後ろの扉は閉ざされているのだ。ゾンビに向かって進むしか無いのだが、ゾンビの方はどんなリアクションを取るのやら。


 今は踞っているが、俺と岩橋さんが近付いたら立ち上がって襲ってくるんだろうな。でも、襲われたらどうやって戦えば良いんだ? ぶん殴る訳にもいかないし、やっぱ逃げるしか無いんだろうな。

 考えていても仕方が無い。俺は怯える岩橋さんを背中に隠す様にゾンビの横を通り抜けようとした。すると予想通りゾンビは俺と岩橋さんが横を通り抜けた瞬間、ゆっくりと立ち上がり出した。もちろん俺にとっては想定内だったが、岩橋さんにとってはとんでもなく恐ろしい出来事だった様で、声も上げれず俺のTシャツの裾をギュっと掴んだ。


 ――ゾンビ様、ありがとう――


 いや違うだろ、そりゃ嬉しいけど。


 俺は岩橋さんの背中に手を回してゾンビから逃がす様に軽く押すが、怯え切った岩橋さんは動けない。こうなったら仕方が無い、俺は思い切って岩橋さんの手を取るとゾンビの横を駆け抜けた。もちろん岩橋さんに無理の無い速さで。


 幸いゾンビは逃げた入場者を追いかけては来ない様で俺と岩橋さんは無事逃げ果せる事が出来たのだが、ゾンビなんぞよりも遥かに深刻な事態が俺を襲った。そう、俺は岩橋さんの手を握ってしまっているのだ。

 状況が状況だったし、すぐに離せば岩橋さんも気を悪くしたりなんかしないよな……しません様に……

 真剣に願う俺が岩橋の手を離そうとしたが、その手は離れなかった。それどころか逆に俺の手を握る岩橋さんの手に力が入った様な感じがしたと共に怯えた声が聞こえた。


「加藤君……ごめんなさい、もうちょっと手を握ってても良いかしら……」


 マジか!? もうちょっとどころか、ずっと手を握っていてくれて結構ですとも。いや、握っていたい。

本当は何か気の利いた事を言いたかったのだが、突然の僥倖に舞い上がってしまい言葉が出なかった俺は「うん」と大きく頷いて岩橋さんの手をしっかりと握り返した。


 そこからの記憶ははっきり言って全く無い。全神経が岩橋さんと繋いでいる手に集中してたからな。しかし出口に辿り着いた瞬間、ほっとして気が抜けたのだろう、俺の手をしっかりと握っていた岩橋さんの手から力が抜けた。それで我に帰った俺は手を離すかどうか迷った。と言うより離したくなかった。しかし、手を繋いだままでいると先に出た皆に見られてしまい、岩橋さんが恥ずかしがるかもしれない。

 俺は断腸の思いで岩橋さんの手を離すしか無かった。しかし俺が手を離した時、岩橋さんの口から「あっ……」と声が漏れた様な気がしたのだが、それは気のせいだったのだろうか?



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