第20話 夜

 その日は一日外出をしていた。母親に出かける直前に伝えた通り昼食は外で食べ、夕方日が暮れる前に家に戻ってきた。

父親も仕事から農作業を終えて家でくつろいでおり、それを手伝っていた弟も疲労から床に寝転がっていた。姉は言わずもがな、家事で疲れているはずなのに元気だ。


「どうだった?何か変わったことあった?」

「家が一つ増えてて驚いたこと以外は、特には」

「あー、マーカスさんの家ね。前住んでた家が古くなったから新しいの建てたのよね。あれ建てるの大変だったのよ、お父さんもアルバーノも駆り出されて。お母さんと私が代わりに農作業しなきゃいけなかったんだから」


 アナスタシアは疲れていたのか、ついさきほどから少し口数が少ない。これ以上疲れさせても申し訳ないので、姉には話しかけさせず、ソファに座らせて休ませる。料理をしていた筈の母親が茶を持ってきてくれたのでそれをアナスタシアに渡し、話したそうな姉の対応を弟に任せる。


 自分はアナスタシアの隣に座った。


「流石に疲れただろ」

「ここまで人と話す機会が中々ありませんからね。…………垣根なくというか、事務連絡などではない話をするのが」


 温かいお茶を両手で包んだアナスタシアが、小さく息を吐く。座り込んで緊張が解けたらしい。


 弟に宛がったつもりの姉だったが、アナスタシアが疲れていそうなことは察してくれたらしく、大人しく母親の元へと退散していった。俺ももう少ししたら料理の手伝い位はしたい。

 弟はいつの間にか眠り始めていた。どうやら今日の畑仕事は辛かった様子。床の上で丸まって、小さくなって寝息を立てている。


 アナスタシアが疲れているのは、彼女が言った通り『垣根のない』会話に慣れていなかったからだろう。この村の人は良くも悪くも距離感が近い。田舎の人の特徴とも言えるが。そして、細かいことを気にしない。おおらかだと言えば良いのか適当だと言えば良いのか。

 勇者として出ていた筈の男が返ってきたとて特に文句も言わずに受け入れてくれ、何なら返ってきたことを喜んでくれる。連れて来たアナスタシアにしても、恋愛関係をつつかれること以外は特に突っ込まれなかった。


 本来は美徳なのだが、一応魔王として君臨しているアナスタシアには慣れていないことだ。その分疲労感も生じる。


 ぼんやりと宙を見つめたアナスタシアの横顔を眺めつつ、ソファへと身を沈めた。





 夕食のシチューは美味しかった。ただアナスタシアは少し眠そうで、まなじりを下げながらシチューを口に運んでいた。

 ここまで気の緩んだアナスタシアは初めてだった。


「ほら、アナスタシアちゃんが眠そうだから、部屋に連れて行ってあげて」

「客室?」

「そうよ。ウィラードもね」

「…………俺も?」

「当たり前じゃない。夫婦でしょ?」


 言い返せず、同じ部屋で眠ることになった。眠そうではあったが会話は聞こえていたのか、アナスタシアも目を開いてこちらを見ている。


「いいでしょう?」

「……えぇ、そうさせていただきます」


 逡巡の後、アナスタシアも承諾した。最早自分に出来ることはない。

 食器の類を台所まで下げて、「じゃあ」と伝えてアナスタシアを連れて台所よりも更に奥の方へと進む。田舎というだけあって土地が安いため、広い家を作ろうと思ったら幾らでも広くできる。土地の管理もがばがばなため、拡張もし放題だ。ということで、客室があるのは別館だった。客室とは言っても小さな小屋のようなものだが。


 もとからこの部屋で寝させるつもりだったのか、薄い麻のようなものが二人分敷かれていた。普段天蓋付きのベッドで寝ているようなアナスタシアには寝心地は良くないかもしれない。


「アナスタシア?」

「………はい、ウィラード。どうしました?」


 かの魔王がここまで油断した様相を呈すとは思ってもいなかった。目を半分閉じたアナスタシアを麻の上に座らせる。


「アナスタシア、寝辛かったら布か何か持ってくるから言ってくれ。俺のやつももう一枚敷いた方が柔らかいかもしれない。あとは、厠は向こうにあるから適当に使ってくれ」

「………はい」


 枕も何もなかった。一応自分の方の布をアナスタシアの重ねておく。俺としては床で眠るのでも別に慣れているから良いのだが、折角遊びに来たアナスタシアが朝起きて寝違えていたら何とも言えない。

 これで少しはましになっただろうかと心配していると、アナスタシアが口を開いた。


「………ウィラード、手を貸してください」

「手か?」

「はい………」


 左手を差し出すと、嬉しそうにそれを握られる。アナスタシアはそのまま眠りに就いた。眠りに就くのは一瞬だった。


 座り込んだまま、アナスタシアの寝顔を眺める。


 外が暗くなっているというのに、窓から若干差し込んだ月光で微かに見えるだけの彼女は十分に美麗だった。白く滑らかで長い睫毛が、彼女が寝息を立てる度に揺れる。

 静かな寝息だった。虫の鳴き声に負けそうな、微かな音だ。


 愛しいに理由はないとアナスタシアは言っていたが、彼女がそう言った理由が何となくわかった気がした。左手の優しくもしっかりと握った彼女の手の熱がじんわりと伝わってくる。それがどうしようもなく幸せだった。


「ターシャ。愛してる」


 口に出してみると、思っていたよりも心に馴染んだ。

 彼女の隣に寝転がって、目を閉じる。眠気は直ぐにやってきた。



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やっと恋愛の様相を呈して参りました。

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魔王に惚れられた 二歳児 @annkoromottimoti

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