第11話 醜くない嫉妬

 それからの日々も、初日と同じように誰かの支援に奮闘し続けていた。そしてアナスタシアと職場が同じなため仕事を切り上げる時間も同じであることが多く、朝食や夕食は彼女と共にとることが多かった。


 職場の人とは大分なじめたような気がしていた。全員ではないが何人かの人の名前は覚えたし、携帯食を手渡すときに一言二言会話を交わすのも恒例となっていた。


 そして、その仕事に終わりが見えたのは突然だった。最近徐々に仕事の量が減ってきているような気がしていたが、ついに魔族と人族の和平条約の細かい調整が終わりを迎えたらしい。


 職場の雰囲気が晴れやかだ。


「ウィル、お疲れ」

「ハリソンさん、お疲れ様です」


 ハリソンというのは、ここの職場で働き始めたときに初めて声を掛けてくれた男性だ。あれと同じような仕事を何度か一緒にこなした。辛くはあったが、耐えられないほどではなかった。


「ウィルが来てくれたおかげで随分仕事の回りが早くなったような気がするよ」

「役に立てたのであれば良かったです」

「いやー、お世辞でも何でもなく本当に助かったわ」


 ハリソンの隣の席で仕事をしていることが多い女性も話に加わってきた。シビーユという名で、結構がさつな性格をしている。この二人は、いつも明るく会話を交わしてくれるような、気さくで話しやすい人たちだった。


「繁忙期限定ってことは、ウィルは違う場所で働き始めるのよね?」

「多分そうだと思います。まだ予定が決まっているわけではありませんが、アナスタシア様と相談して」

「寂しくなるわね」


 本気で寂しがってくれるのが伝わってきて嬉しかった。


 少しの間、その三人で雑談をしていた。数日間だけの交流ではあったが、積もる話はある。尽きない話題に足も疲れてきた。


「………ウィル」


 直ぐ後ろから美声が聞こえてきて、背筋が粟立つのを感じた。振り向くとそこには、想像通りの整った顔がある。


「どうされましたか、アナスタシア様」


 アナスタシア様という呼び方を聞いて、アナスタシアが若干顔を顰める。気温が少し下がったような気がした。公共の場だ。許してほしい。


「…………少し相談事があるので、来てもらってもよろしいでしょうか」


 空気感からして、明らかに断れなかった。無言で首を縦に振る。


 ハリソンとシビーユは驚いた顔をしてアナスタシアを見ていた。魔王自身が下働きの者に声を掛けたのが珍しいのだろうか。この魔王だったらあり得なくもないことだとは思うのだが。感情を見せることが少ないから、彼女が少し怒っていることに驚いているのかもしれない。


 二人に短い別れの挨拶をして、歩き始めたアナスタシアの後を追う。


「何でしょうか?」

「………まずは敬語を外して頂いても良いでしょうか」

「ああ。了解」


 魔王室───というには少し仰々しさが足りないような気もするが、アナスタシアが普段使用している部屋に連れ込まれた。気を遣ったのか、彼女の側近の女性が部屋を出てい行く。

 アナスタシアが振り向いて、こちらを真っ直ぐと見つめた。透き通った瞳に若干緊張しながら、視線を逸らすことはせずに、彼女の事を見返す。


「ウィル、あなたの婚約者は誰ですか」

「……………アナスタシアですかね」

「わかっているのならいいのですが。あと敬語が戻っています」

「いや、まあ。はい」


 アナスタシアが一歩前へと踏み出してくる。近い近い顔が近い。後ろは扉。後ろに下がることは出来ない。詰んだ。


「それで、ここ数日間の間私たち二人で過ごした時間はどのくらいでしょうか」

「…………朝食と夕食の時間、だな」

「ええ、そうです」


 拗ねている、のだろうか。


 例えばアナスタシアが自分に恋愛感情を覚えているとすれば、確かにその可能性もある。ただ、まだ出会ってから一週間程度だ。初の遭遇で婚約を申し込まれた時点で確かに狂ってはいるのだが、今まで直接的に恋愛感情を示されたことはない。


 アナスタシアの手がこちらへと伸びてきて、硬直している自分の体に触れる直前に止まった。


「…………何を私はここまで怒っているのでしょうか」


 瞳を伏せて、アナスタシアはそんなことを言う。


「…………分かってはいるのです。私が怒るのは筋違いだと言うことは」

「いや、そうでもないと思うが」


 彼女は「本当に?」という質問を視線に込めて、目を大きく開いた。綺麗な瞳が目の前で広がる。


 伸ばされていた手が小さな拳を作って、胸元へと迫ってきた。そのまま優しく小突かれる。痛くはなかった。痛くはなかったが。


「少し、少しだけですが、私は今機嫌が悪いです」

「あぁ」

「…………嫉妬ですよ」

「あぁ」

「勝手に連れて来たというのに、婚約者という役を押し付けたというのに、嫉妬ですよ」

「まあ、別に」


 嫉妬される程度の事が面倒だとは思わないし、自分はアナスタシアの事が嫌いというわけではない。若干、恥ずかしいが。


「優しいですね」

「そういうわけではない」

「………いえ、優しいです」


 満足したのか、アナスタシアは離れていった。


 甘い香りが若干和らいだ。

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