第10話 人の為になることは

 食事を終えて、アナスタシアに連れられて魔王城の職務室らしきところへと向かった。アナスタシアが働いているところらしい。


「私の仕事の補佐は流石に任せられませんが、今は特に忙しいので少しでも労働力が欲しいのです。ウィルに下働きのようなことをさせるのは気が進みませんが」

「仕事をもらえるだけありがたい。あぁ、仕事中は敬語で話すが、それでいいか?」

「ええ。公私は混同しないようにしましょう」


 周りへのアピールも含まれているなら、敬語を使わないことも『公』の一部ではあると思うのだが。アナスタシアの願いでこの婚約は成立しているから、彼女にとっては『私』なのだろうか。


 職務室の中へと入ると、数人が書類作業に没頭していた。アナスタシアの説明によれば同じ部署の者であっても違う場所で働いていることもあるらしく、実際に今必死になって働いている者はここにいるだけではないという。かなりの繁忙期なのだろう。


「皆さん、少しだけ。新しく下働きの人員を雇いました。書類仕事などではなく、細々とした雑用を請け負っていただきます」

「新人のウィルです。よろしくお願いします」


 アナスタシアとの相談の末、自分はウィルと名乗ることにした。自分が今ここで働く目的は顔を知らしめることでも何でもなく、ただ単純に何もしないでいたくないだけだ。ということで彼女には納得してもらった。


 魔王直々の説明であれば疑問も抱かないのか、部屋の中にいる者はまた直ぐ仕事へと戻っていった。本当に忙しそうだ。


アナスタシアに「では、お願いします」と小声で言われ、頷いて返す。思っていた形とは少し違ったが、人の役に立てるならばそれでいい。


「ウィルさん、これを手伝ってくれますか」

「はい」


 取り敢えず何か仕事が振られるまでは掃除でもしてようかと部屋を横切っていたところで、三十半ばほどの男性に声を掛けられた。見知らぬ人でも形振り構わず頼る辺り、相当な忙しさのようだ。


「書類の署名欄のところに貴族の名前が入っている書類だけまず取り分けたいから、この印がつけられているものとそうじゃないもので分けて欲しい」

「分かりました」


 単純な仕事だが、だからこそ骨が折れそうだ。他にもすることがあるのに仕分け作業で一日が終わってしまえば、それこそ絶望だろう。助っ人に来られてやはり良かったらしい。


今までは書類作業はしたことがなかったが、この程度の簡単な作業であれば出来ないということはない。重ねられているプリントの束を二つの山に分けていく。もともと積み重ねられている書類は向きがばらばらだったから、それを整えることも忘れずに。


 男性が先んじて見なければならない書類は貴族の署名が入っているもののようだ。良く考えれば先に対応しなければならないのは身分が高い方に決まっているのだが。貴族の方を男性の手の届く位置に置くようにした。


 その後も書類の振り分け作業を続けていく。そろそろ目が霞んでこようかというとき、やっと振り分け作業が終わった。


「ありがとう。ここから先は僕がやるから、取り敢えずは違うことをしていただいて構わないです。仕事が丁寧で助かった」

「いえ、それが俺の仕事ですから」


 昨日ルカに言われたことと同じようなことを男性に返す。男性は少し笑って、また仕事へと戻っていった。


 そこから先も、結構な量の仕事をこなした。一応この部署の仕事ではあるものの、本来であれば他の人でもできる仕事というのは結構あるらしく、何も考えずに雑用を振れる相手というのは便利なようだ。


 荷物を運ぶこと、書類の選別、部屋の掃除、棚の片づけなどもした。気が付けば昼食を取ることも忘れてしまっていたようで、窓の外を見ればもう日も暮れかかっている。体を動かしていないためにあまり腹は空かなかったが、頭を使っていたからエネルギー不足にはなっていた。


 ただそれはここで働いている人も同じだったようだ。死にかけた顔をした人なども何人かいて、少し心配になった。この時間になって食事休憩を取っていた一人の女性に声を掛ける。


「携帯食ってどこかにあったりしますか?」

「あぁ、食堂に行けば置いてあると思う。どうして?」

「皆さん疲れていそうなので、せめて携帯食ぐらいは食べさせてあげたいと」

「いいわね」


 その女性もかなり疲れた顔をしていたので、心の中で応援を送りつつ、教えられた食堂へと足を向けた。


 食堂は、今の時間帯も賑わっていた。どうやら魔王城内で働いている人のほとんどはここで食事をしているらしい。そして仕事によって食事を取れる時間も変わってくるから、いつ来ても賑やかなのだという。


 配膳をしていた方に携帯食を幾つか頼むと、今朝食べたもののようなパンに具を挟んだものを持たせてくれた。


「君は、かなり食べるね」

「いえ、俺の分だけじゃないんで」

「あぁ、なるほどね。じゃあもうちょっと持ってきなよ」


 いい笑顔で籠に入れたパンを渡され、お礼を言って急いで職場の方へと戻る。


 職場はやはり地獄絵図だった。明らかに人員が足りていないためのようなきもするが、王宮でも同じような状況を見たことがある。そもそも文字を読める人すら少ない中でどうやって文官を探すんだ、とやつれた顔をしてぼやいていた。


「これ、良かったら」

「………え、あ、ああ。助かる」


 食い入るように書類を眺めていた男性に差し出す。少し呆けた顔をしたが、直ぐにお礼を言われた。一周回ってお節介とかであれば嫌だが、大丈夫だろうか。少し心配になりながらも食事を配っていく。食事休憩を取った人と取っていない人は何となく覚えていたので、死にそうな人を優先に渡していった。


 殆どの人が辛そうだが、食事を渡すと全員が全員感謝してくれるから、むず痒い。


 久しぶりの実のある仕事はやはり、何というか、達成感がある。まだ終わっていないが。誰かの役に立てるような行動をするのは気分が良かった。

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