第4話 和平を済ませて

 そして、魔法契約はつつがなく終えられた。信じられないほど短時間で済んだ。しかしまあ、それには理由があるわけで。


 手順はこうだ。


 魔族と人族の対等な和平条約をアナスタシアが提案した。そして国王がそれに反発して『其方から持ち掛けてきたのだから』とかいう理由で人族に有利な条件を盛り込もうとした。アナスタシアが脅した。晴れて契約成立。


 素晴らしく平和的な条約の結び方だった。誰が何と言おうと。


「終わりました」

「……アナスタシア様、圧凄いですね」

「アナスタシアでお願いします」


 圧が凄いですねの部分は華麗にスルーされてしまった。


 話は戻るが、国王が変な条件をつけ足そうとしたのは『わざわざ武力ではなく言葉で交渉をするということは相手も切羽詰まっているのでは』という思いがあったのだろう。だからこそ、あそこまで強気な態度で交渉に出た。最終的には白目をむいて泡を吹きかけていたが。


「では、アナスタシアと呼びます。で、次は何を?」

「……そう、ですね」


 アナスタシアは色々とぶっ飛んでいるせいで些細なことなど気にならなくなった。


「魔族領に行きますか。人族と和平が成立したということも伝えなくてはなりませんので」


 そしてそのまま俺のことを抱えて飛び立つ。今度は王都から堂々の離陸。一応付けられていた従僕は目を丸くして腰を抜かしてしまっていたが、それもすぐに遠くに見えなくなる。


 強風に襲われながらも、落とされないようアナスタシアに捕まる。一介の勇者がこのような姿勢でいてはまずいことは分かるのだが、こちらとて必死である。落ちたくない。


「それで、ウィル」


 その整った顔を凍り付かせたまま空を飛んでいたアナスタシアが、無表情のままこちらへ問うてくる。この強風ではどうしても口を開きづらかった。


「………どうされました?」

「なるほど、風が辛いですか」


 納得したような声音でアナスタシアがそう言った直後に、体が軽くなる。今まで空を飛んだことのない自分には未経験な状況だったから助かった。


 安心しつつも、アナスタシアの次の言葉を待つ。


「私は、今後の予定を何も立てていないのですが。魔族の者たちに人族との和平を伝えた後の予定を、何も」


 どうしましょうか、と途方にくれた台詞を呟かれた。


「…………まあ、それはそうですよね」


 非常に困っているということを表情で示すかのように、眉が若干下がっている。普段は表情を変えない魔王でさえも、ということは相当に落ち込んでいるのだろう。


「仕方がないのでは。こんな急に起きたことに対応する方が無理ですから」

「私が原因ですので、どうとでも対応はできたはずです」

「それを言われてしまうと」


 自分が引き起こしたことだという自覚があったことに少なからず驚いた。確かに実際に会うまでに耳にしていた行動など諸々を考えると、分別がない人物ではなかったが。


そんなこと思いながら、髪をたなびかせているアナスタシアに一瞬視線を向ける。こうして改めて見てみると、つくづく信じられないほどに整った容姿だった。空色セレスタインと評するには少し濃い、しかし深みのある藍の髪。瞳は若干紫がかっていて、有り得ない透明度を誇っている。少し長い睫毛、細い鼻梁、白い肌。どこを取ってしても完璧だ。


 なぜこれほどの女性が、自分を。そんなことを思わなくもない。魔王という立場の彼女であれば自分よりも、言い方は悪いが『質のいい』者を得ることができるだろうに。自分には勇者であるということ以外の利点が何もない。しかもその唯一の利点も、今となっては無いも同然だ。


「それで、少し悩んだのですが。結婚は少し先送りにさせていただいてもいいでしょうか」


 考え事が、アナスタシアの言葉で霧散する。色々と理解の追い付かないことが多すぎるから、考え込んでしまうことが増えている気がする。アナスタシアの生返事になることは避けたかった。少し気を付けなければ。


「あー、いいですよ。別に」


 何でもない、という風に答える。アナスタシアは声に少し安堵感を滲ませた。


「ありがとうございます。急に連れて帰ってきた男性と結婚では直ぐには認められないでしょうから。この地位もありますし」


 確かにその通りだろう。相手が魔王とは対極の存在である勇者であれば、尚更。それが認められるとしたら、普通はそれまでの紆余曲折がある場合だけだ。唐突に持ち帰った勇者などでは到底認められない。


 それに、個人的にもありがたい話だった。アナスタシアほどの人物に不満があるわけではないが、殆ど知らない人間と結婚すると言われても正直想像がつかない。こんな状況でいまさら何をという話なのかもしれないが、自分にとって結婚というのは人生の一大事業だ。適当に済ませたくはない。


「そろそろ魔族領に着きますので」

「分かりました」


 アナスタシアの視線の先を見つめる。禍々しいとまではいかないが、深い黒を基調とした荘厳な城が、姿を現していた。

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