第2話 困惑のさなかで
「………は?」
思わず間の抜けた声が口から飛び出してくる。声に出さないよう押える暇さえなかった。
訳が分からず困惑の視線を魔王へと向ける。彼女の話している内容がどうも頭へと入ってこない。信じがたい単語だけが駆け巡っていた。
「もう一度言いましょうか?私とて羞恥心がないわけではないのですが」
「あ、いや、いいです……」
羞恥心など微塵もなさそうな表情の魔王に、思わずいつもの癖で敬語を使ってしまった。
魔王は何の感情も覗かせない顔で何かを考え込んでいるようだった。勿論話かけられるわけもなく気まずい沈黙がその場を包む。
沈黙から目を逸らすために俺は、信じてもない神に無言の祈りを捧げながら諸悪の根源である国王の事を思い出していた。
ここに来た経緯と話を始められるほどに、今までの人生に華はなかった。生まれは何の変哲もない一般的な農村だ。このまま村の中で一生を終えるのだと思っていた矢先、半年ほど前に何故だか知らんが勇者として指名を受け、国王に指示されるままなし崩しにここまで来てしまった。途中の訓練が血を吐くほど苦しかったので、自分を勇者として選んだ国には未だに納得はいっていない。
自分の容姿を鑑みても、王族とは程遠い黒髪と灰色の目であまり特徴はない。身長は低くはなく、まあ勇者として指名されていることからもわかる通り容姿も然程崩れているわけではないのだが、勇者たる高貴さがあるかと言われたら首を捻らざるを得ない程度だ。
勇者という名を冠してはいるものの身分は然程高くはなく、勇者としての資格も満たしているかは不明だ。そのため勇者ではあるが会話する相手の方が高い身分なんてこともざらで、何ならと思って常日頃から敬語で周囲と会話をしていた。
魔王につい敬語で答えてしまったのはそのような背景があった。
扱いが良くないと言えば、王家からの支援が絶望的に少ないことについても是非文句を言いたい。勇者が王家から出ていれば国全体からの支援があるのだが、貴族ですらない平民に生まれた自分には全くもって後方支援がなかった。騎士団に放り込んで終わり。勇者の装備を揃えるなんてこともなく、今現在身に着けているのは騎士団の常備品だ。
自分は魔王を殺すことを少しも期待されていなかったのだろう。何なら早いとこ死ねと思われている節さえあったのだ。直接的にそう命令されたことはないのだが。
………───そうして、現実から逃げていたのだが。
「名前を伺ってもよろしいですか?」
何かを考え込んでいるらしかった魔王に、唐突に話しかけられる。なぜ俺に対してここまで丁寧な言葉遣いなのかは謎だが、人の範疇を超えた美しさには不思議とその口調が似合っていた。
しかしその美しさ故に威圧感が半端ではない。土下座してもいいから見逃してほしかった。本気で。是非に。
「………ウィラードだ」
敬語で話し続けるかどうかを迷って、とりあえずは不遜な口調を続ける。魔王に相対するのだから隙を見せてはいけないと思って準備してきたこの口調も、今では持て余し気味だった。
逃げ道を探そうにも、逃げ出す想像がまったくできない。
「……いい名前ですね」
そう無表情だと本当に良い名前だと思われているのか疑問はあるが。自分だけ名乗って相手の名前を聞かないのもどうかと思って問いかけるために口を開こうとすると、それを制するように魔王が距離を詰めてくる。
背中を冷汗が流れた。
もしかしたら先の説明で分かってくれたかもしれないが、俺には十分な訓練がなされていない。『早く次の勇者が欲しい』という国王たっての願いにより、予定よりも三年早く魔王討伐のための旅に出た。それが一週間前の出来事。
普通ならば凱旋の意味も込めて半年ほどかける魔王討伐の旅を一週間で済ませたのである。国王がどれだけ次の勇者を望んでいるかがわかるというものだ。
「私の名前はアナスタシアです。苗字はありません」
苗字がないというのは、身分が高いからだろうか。王国ではスラム街の住民などに苗字がないということが多いが。もし血筋で魔王が決まるのであれば、識別するための苗字は必要ないのかもしれない。
聞きたいことは全て聞き終えたのか、またアナスタシアが思案顔になる。そして数分間考え続けた後。
「では、手始めに魔族と人族の和解をしましょう」
「………は?」
意味の分からない言葉を更にぶちこんできた。
別に、俺とて魔王を怒らせたいわけではない。何ならなるべく穏便にことを進めたく、そしてなるべく平和な後生を送りたいのだが、こうも突拍子もないことを言われ続けてしまうと思わず困惑の返答をしてしまっても仕方がないのではないのだろうか。
というより、そういうことにしておかないと俺の精神が持たない。
「………理由は?」
「貴方と結婚するためです。魔族と人族に
実は俺は夢の中にいるのではないだろうか。あまりにも現実味が無かったからかそんなことを考え、そのまま頬を抓る。そして────
────唐突な爆音に襲われ、気が付いたら物凄い速さで動いたアナスタシアが俺の手を握っていた。
「すみません、体が勝手に」
心臓が爆音を立てている。そんなことを言うと『これが、恋……!?』なんて冗談を返してきた友人がいるが、あいつぐらい呑気になれる人生を歩みたかった。
「体は大事にしましょう」
歪など一欠けらもない整った容姿が、無表情で俺のことを見つめている。自分が頬を抓っていたことを言っているのだと気が付いて、恐怖のままに何度も勢いよく頷いた。
「では、王国に行きますか」
魔王というのは行動力がないと務まらない仕事なのだろうか。唐突に婚約を申し込んできた──半ば強制だったが──ことも然り。
アナスタシアに抱きかかえられ、文句など言う暇もなく宙へと飛び上がっていた。これでは勇者の威厳が、などと言う余裕もない。ただただ落ちないように必死になってアナスタシアにしがみついていることしかできなかった。
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