囚われ人

 リュミエンヌは暗がりの中に横たわる、

 彼女は仰向けにされると円形のベッドに寝かされていた。


 身に着けた衣服はすでになく生まれたままの格好で豪奢な寝台の上。

 両腕を伸ばすと真横に広げて、両脚は片方を軽く折り曲げ膝を立たせて、もう一方は伸ばしたまま。


 天井をまっすぐに見据えた瞳には光なく、瞬き一つしないその目には何の意思も感じられない。


 闇に白く浮かび上げる少女の裸身はさながら精緻な蝋細工のように微動だにしない。しなやかな中にも、ボーイッシュな小鹿を思わせる引き締まった腰つきがその若さを引き立てる。


 その見ほれるような彼女の肢体は、まるで雲の中に浮かぶコケティッシュな容姿を持つ妖精のように見えた。ひどく非現実な光景には得も知れぬ不安が付きまとう。其処にあった無神経さと繊細さで大胆で奔放に見えても魂のない陶器(テラコッタ)人形のようなリュミエンヌ。冷たい乾いた素肌は息もしていないのか?


 天井からは燐光のような青白い光が差し込まれてはいるが、その光源ははっきりしないしベッドの周囲もぼんやりと霞がかかったように見えたが、それでも天井は高く大広間のような(今は)寝室と言ってよいだろう。


 しかしその時は訪れた、リュミエンヌの小指が微かに震えた。激しくその張りのある胸が上下し、彼女は横たえたまま激しく咳き込んだ、顔をしかめてむせ返る。まるで仮死状態から蘇生したかのように彼女は唐突に”この世”によみがえった。


 彼女は激しく咳き込んだまま上半身を起こすと無意識に両腕でその身をかばうような格好で寝床の上に立ち上がろうとして、不意に軽い眩暈を起こす。頭がふらつく。不快ではないのが救いだが、自身の置かれた状態とその格好に気が付くと思わず悲鳴を上げそうになった。


「あ!ぁ」


 リュミエンヌはそれを無理やりその”鉄の意志”で飲み込んだ。年頃の少女の悲鳴ではない、大人の女の悲鳴だ。知恵と機転の利く賢い女。それで彼女の意識は一気に覚醒したようだ。


 中腰に屈んだ姿勢のまま周囲に目を配る、さっきまでのことを必死に振り返る。さっきではなかったかもしれないが、前後の記憶があちこち欠落しているので便宜上そう考えることにした。


 ここはどこ?今はいつ?などとは考えない。本能に従ってベッドから飛び降りると(たぶん)部屋の隅へと駆け出した。その時にも裸身を隠すためにシーツを胸元から巻き付けたりはしない。


 間違っても恥ずかしいなんて思ったりして、身を庇おうと躊躇したりなんかも愚の骨頂。両手を塞ぎ、足元に絡ませたりするかもしれないシーツなど、目立つばかりで何の役にも立たないからだ。


 着るものは”後”で探せと、今までも何度となく思い知らされてきたからと、丸腰の身体の意味が普通の人とは違うリュミエンヌ。「魔導士」にして”探索者”の彼女はまた戦士でもあった。


 そこには可憐な「魔法少女」の出る幕はない。そんなメルヘンはこの世界にはない。人智を絶するイレギュラーが日常茶飯の毎日を乗り切るには臨機応変な対処を即断即決で下さなくてはならない。


 リュミエンヌは全裸の格好で壁伝いに小走りに移動しながら、呪文を詠唱する。大急ぎで小声を保ちながら…。彼女が印を結び詠唱し終えると呪術障壁が周囲に展開する。と同時に、今度は「不可視」の遮蔽防壁でその身を隠そうとした。これは体力と集中力を消耗するしんどい術だが、いまはそんな贅沢は言えない。


 もちろん大真面目な彼女だが、そのくせ磨き上げた石造りの床を素足でペタペタと小さからぬ足音を立てて走り回るところはやはり”修行”(浮世慣れ)が足りない。こういうところがノワールの”援護”が必要な所以でもあろう。


 不意に彼女は足を止めた。屈み気味の背も伸ばす。ダメだ出口がない。壁にはどんな継ぎ目も見いだせない、こんな本格仕立てではからくり造りの「秘密の扉」がないということは半ば予想がついていたが、やっぱり正直言って落胆は隠せない。少し上目遣いに額の髪の毛を房にして指先に巻き付けて気を紛らわす。ふ~ん、だ。


 負け惜しみを口にして、わざと子供っぽくふてくされて見せるリュミエンヌ。それはあえて緊張しすぎないようにするための”おまじない”なのだそうだ。


 危機的状況のさなか、それを見た周りの”シロウト”連中を青ざめさせることもあったが…。


「お目覚めになりましたか?」


 リュミエンヌは本当にちょっとだけ飛び上がった、背筋がピンと伸びる。ヒトの気配はなかった、振り返れば其処に女が立っている。不可視の呪文が効いていない?”だから”目が合ってしまった。


 向き合う格好になったリュミエンヌの数歩先の女はほころぶ華のような笑みを浮かべて腰をかがめ、ドレスの端をつまんで古典的な仕草で挨拶した。ごきげんよう、と。


「お嬢様」


 リュミエンヌは彼女の落ち着き払った態度に不信感が炸裂する。


 そういうことじゃないでしょう!と。怖さも消し飛んだ。貴婦人然とした貫禄と匂い立つ色香が同居する目の覚めるような美人の上”年増”というほど歳はいっていない。が、何れにせよここで出会うような人じゃないだろう。いや、”これ”はヒトじゃない、という意味でも、だ。



 そんなリュミエンヌの様子を察してかその女は続けて言った。


「私はペネロペと申します、お待ちしておりましたリュミエンヌお嬢様」


 奉公人口調でかしこまる彼女は言葉を継いだ。


「ここにお召し物をご用意致しております」


 この状況に意も介さない徹底したプロ根性に舌を巻く、と言えばよいのか。リュミエンヌは慎重に言葉を選ぶ。こういうことには慣れている、つもり…。だから、頬を引きつらせて、


「ご配慮のこと、感謝します・・・」


 一糸まとわぬ全裸で黒髪の少女は冷たい床の上に立ち尽くし、そんな彼女に、ペネロペは頷いてニッコリと微笑む。


 リュミエンヌはおのれを呪った。口には出せないが…心の底から自分自身へと…。

 ”バカやろう”!

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