23.帝国の宰相閣下

 エリトン侯爵は帝国では財務省の大臣を務めている大貴族で、実は軍務省の大臣であるアルステイン様と職務上はあまり仲がよろしく無いらしい。何故かと言えば軍隊というのは壮大な金食い虫で、国家財政に多大な負担を掛ける存在だからだそうだ。この間のワクラ占領に際しても予算を出し渋って結構もめたのだとか。


 ただ、私的な関係としてはそれほど悪くも無く、良くも無くというところであるらしい。私も夫人とお話を少ししたが、特に隔意無く接して頂けたと思う。その侯爵主催の夜会ならそれほど不快な思いはせずに済むだろう、というのがアルステイン様がこの夜会を選んだ理由だ。当たり前だがアルステイン様の元には帝国の貴族が行う夜会全ての招待状が届く。アルステイン様が口に出した時点で選別は済んでいるのだ。


 私は仕立て屋を呼んで新しいドレスを作る事にした。一週間で出来るものなのかと不思議に思うのだが、採寸は済んでいるのと、どうせ私からのドレスは頻繁に受注があるからある程度まで既に多量に作ってあり、その中から注文に対応して調整するのだとか。あまりにも斬新なものでなければ大丈夫との事。エルグリアが主体になって私も多少は意見を言って、今度のドレスはダークブルーに金の刺繍というこれまた派手なドレスになった。アルステイン様はお仕事帰りに参加なさる事になっているから黒に金糸の刺繍の軍服なのでそれと収まりが良いようにとの事。今回のデザインは大分デコルテが開いたもので貧相な体形の私は渋ったのだが「大分肉付が良くなったし、ネックレスでカバーするから大丈夫」と押し切られた。とほほ。


 宝飾品も新調する。先代皇妃様から引き継いだ皇族の秘宝はそうそう使うものではないからね。でも今回は大事な社交なので結構張り込んだものを購入した。ちなみに、私がこんなに無駄遣いして公爵家の財政は大丈夫なのか?と心配してしまうのだが、公爵家の家禄がそもそも物凄い額なのと、軍務大臣としてのアルステイン様の歳費も天文学的数値なので全く心配はいらないのだそうだ。アルステイン様は軍務が忙しくて使う暇が無いそうだし。


 そんなこんなで準備をして当日。夜会の準備4時間コースだ。夜会は昼食抜きが当たり前なのね。それでいて夜会は晩餐会でもない限り食事は頼まないと軽食くらいしか出ないから、夜会の日は昼食晩飯とほぼ食べられない事になる。コルセットをきつく締めているからそもそもそんなに食べられないけども。


 ダークブルーの金糸の刺繍のドレスに、胸元にサファイヤとルビーを複数個連ねた金のチェーンのネックレス。イヤリングは琥珀。今日は全て結ってアップにした髪には深紅のリボンとプラチナとダイヤモンドと真珠を散りばめた木の枝を象った白系統の髪飾りを二つ飾っている。他にも襟飾りにダイヤ、ブローチにオパール。ルージュは濃い目の赤。靴は黒。仕上がって姿見の前に立った私はうーんと唸る。


「ご不満ですか?」


「いえ、凄く格好良く仕上がってますよ?格好良いのですけど・・・」


 一生懸命支度してくれて、心配そうに見るエルグリアには悪くて言い難いけども・・・。


「なんとなく悪役っぽい?」


 もしくは意地悪令嬢っぽい。私が言うとエルグリアは思わず吹き出し、慌てて取り繕った。


「いえ、そんな事はありませんよ?良くお似合いです」


 嘘だよこの人今笑ったもの。私は思わずジトっとした目で見てしまったが、今更着替えるには時間も無いし、まぁ、確かに悪役っぽい服、私に似合うわねとも思うのでこのまま行きましょうかね。


 エントランスで馬車に乗り込む。エルグリアも薄いピンクのドレスを着て一緒だ。これは会場での私の世話と、護衛を兼ねているそうだ。馬車で軍務省までアルステイン様をお迎えに上がる。先触れが行っていたのでアルステイン様は軍務省の車寄せで待っていた。御者がドアを開くとすぐ乗り込んできた。私の姿を見て感嘆の声を上げる。


「素晴らしいな!イルミーレ!」


 なかなか席に座らず、私の事を上から下まで矯めつ眇めつ眺め回し、感心している。エルグリアに促されてようやく私の隣に座った。席に着いてからも嬉しそうに私の事を褒めまくる。


「こんなイルミーレの横にこんな軍服で立ったら私が笑われてしまうな。屋敷に寄って着替えた方が良くは無いか?エルグリア」


「もうそんな時間はございませんよ。でもそうですね。次からは衣装を用意して軍務省でお着換えしてから合流した方が良いかも知れませんね」


 いやいや。アルステイン様の軍服姿は十分素敵ですから大丈夫です。夜会に出るので一応お顔と髪は洗って髭も剃ったのだろう。いつも通りキラキラしていますからね。


 程無く、エリトン侯爵邸に到着する。公爵邸に慣れてしまって麻痺しているが、このお屋敷も立派だ。庭園も手入れが行き届き、今が盛りの花も美しい。昼間に来たいな。車寄せでアルステイン様のエスコートで馬車を降りると、エリトン侯爵本人が私達を出迎えた。トマスによく似た銀灰色の髪をした壮年の男性だ。


「ようこそいらっしゃいました。イリシオ公爵。我が屋敷にようこそ」


「今日は世話になる。エリトン侯爵」


 アルステイン様が鷹揚に頷く。私は進み出て、淑女の礼をする。今回はアルステイン様の婚約者としての出席だが、一応格上相手の頭を軽く下げる挨拶をする。


「女神の恩寵により再会が叶いまして嬉しく存じます。お久しぶりでございます。エリトン侯爵」


「これはイルミーレ様。ご機嫌麗しゅう。すっかり体調は良いのですかな?」


「ええ、アルステイン様のお陰ですっかり良くなりました」


「それはようございました。今日は是非楽しんで行って下さい」


 うーん、微妙な対応ね。呼び方がイルミーレ様というのは私をアルステイン様の婚約者として扱っているとも言えるけど、あちらからは挨拶をして来なかった。


 私とアルステイン様は腕を組んで屋敷の中に入って行く。侍女に案内され廊下を進むと、前方に大きな扉があり、明るくなって来た。ざわめきも聞こえてくる。


 扉を潜った先が会場だった。大ホール。公爵邸の二番目に大きな広間に匹敵する広さで、しかも多層構造だ。ホールの中に優美な階段があって、二階があるのだ。中央は吹き抜けになっている。


 装飾は豪華だがゴテゴテしておらずシンプルだ。この様式は新しい筈なので、屋敷自体が新しいのか改築したのか。煌めくシャンデリア。飾られる生け花。流れる音楽。これこれ。これが夜会、舞踏会よね。久しぶりの雰囲気に頬が緩む。


 私達が入ると、大勢の貴族が挨拶に来た。全員見覚えがある。公開プロポーズ騒ぎの時に初対面の挨拶をしたからだ。なので私は再会を喜ぶ返事を返す。アルステイン様の婚約者として一緒にいるこの場では返礼はしない。


 何人かの紳士が同伴している夫人や令嬢はもう大体お茶会などでお話しした方ばかりなので、気軽に声を掛け、ドレスや宝飾品を褒め合ってお話しを少しした。彼女らの夫や父は驚いたような顔をしている。


 ただ、直ぐに気が付いたのだが、挨拶に来ない貴族がいる。彼ら彼女らは私達を遠巻きに見やって近付いては来ない。あれがいわゆる私を敵視している貴族なのだろう。ただ、私はともかくアルステイン様に挨拶をしないと失礼になってしまうのだが良いのだろうか?


 と思ったらまた声が掛かった。


「ご機嫌麗しゅう。イリシオ公爵」


 見ると背の低めな、私より少し低いくらいの人物がいた。背は低いが身体付はガッチリしている。濃いめの金髪に青い目をした壮年の男性。妙に眼光が鋭いのが印象深い。初対面では無いが、あの時も何やらもの言いたげな目で睨まれた。今回はもっとあからさまに嘲りの色がある。


「ああ、宰相。来ていたのか」


 アルステイン様の微笑がやや固い。


 帝国宰相、ランドルフ・イマシ・ヘルバーン伯爵だ。何でもアルステイン様と事ある毎に対立する政敵らしい。私は進み出て挨拶をした。相手は帝国宰相なので階級は伯爵でも格上だろうと判断し、頭を下げる。


「女神の恩寵により再会が叶いまして嬉しく存じます。ご無沙汰を致しておりました。宰相閣下」


 しかし宰相は鼻で笑って返事をしない。アルステイン様の顔色が変わったが、宰相はむしろ挑戦的にアルステイン様を見上げた。


「困りますな公爵閣下。このような上位貴族の集まりに男爵令嬢などを連れて来ては!」


「宰相、貴様・・・」


「公爵閣下とはいえ、いや、だからこそ帝国貴族の秩序と序列を守ってもらわねば!」


「イルミーレは私の婚約者だ」


「公爵が男爵令嬢と婚約など誰が認めるものですか。誰よりも皇帝陛下がお認めになりますまい。それとも、お認めになったのですかな?」


 アルステイン様がぐっと詰まる。多分、アルステイン様はワクラから帰って来るなり皇帝陛下に婚約の勅許を得に行ったのだろう。しかしダメだったのだと思われる。


 宰相は勝ち誇った顔をして私に言った。


「さぁ、これで分かっただろう。男爵令嬢?君はこの夜会に相応しく無い。早く出て行くように!」


 会場が大きくざわめいた。やれやれ。こんなにあからさまに排斥されるとは。流石にアルステイン様さえ予想出来なかったのだろう。物凄く怖い顔をして宰相を睨み付けている。私はポンポンとアルステイン様の腕を叩いて宥めると、笑顔のまま宰相を見た。


「宰相閣下に伺いたいのですが?」


 宰相は返事をしないが構わない。私は続ける。


「皇帝陛下と大女神ジュバールとではどちらがお偉いのでしょうね?」


「な、何?」


「私とアルステイン様の婚約は大女神ジュバールの名の下に成立致しましたが、それでも皇帝陛下の勅許がいるものなのでしょうか」


 今度は宰相が詰まる。これは皇帝陛下の権威の裏付けの問題だからだ。


 自分以外の全ての神々と世界と生きとし生けるもの全てを生み出したと言われる大女神ジュバール。この大陸にある国家は王家がその大女神から国家を預かり、代理で統治しているという形を取っている。つまり、明確に大女神が皇帝の上なのだ。だから皇帝陛下は大女神を祀る祭祀を取り仕切り敬う。大女神の代理人という形式で国民を導く正当性を得ているのだ。


 単なる文言とは言え、婚約は大女神に誓う事でその御名の元に成立する。皇帝陛下の勅許が無い事で大女神への誓約を否定する事は、皇帝を大女神の上に置く事になり、逆に皇帝の権威の根本を否定する事になる。


「・・・皇帝陛下は大女神の代理人。その皇帝陛下がお認めにならないのだから、其方らの婚約は大女神もお認めになっておられないのだ!」


「あら、私とアルステイン様の誓いの指輪はこうして無事に私の指にありますわ。大女神のお認めにならない婚姻の場合、天より雷が降り注いで指輪を砕くとか。指輪の無事は大女神が婚姻をお認め下さった証拠ではありませんか」


 まぁ、神話の話だけどね。私はホホホとわざとらしく笑いながら続ける。


「皇帝陛下は大女神のご意向を尊重して下さいますわ。ところで宰相閣下は神をお信じにならないのですか?」


 宰相は怖い顔をして唸るように言う。


「勿論、崇め奉っておる」


「ならば大女神の下に成立した婚約を敬い祝福して頂けますわよね。お礼に宰相閣下のご繁栄を願いまして、神に祈りを」


「・・・感謝を」


 私が略式ながら神に祈ると宰相が渋々返す。返さないと神を否定する事になるからだ。


「ありがとうございます。閣下。そうそう。私、皇妃様にはイルミーレと名前で呼んで頂いておりますのよ。是非、宰相閣下も名前でお呼び下さい」


「ヘラフリーヌが!?」


「ではご機嫌よう。あら、マカリヤ伯爵令嬢。ご無沙汰しております」


 愕然としている宰相を放置して私は側にいた令嬢に話し掛けて宰相との会話を打ち切った。そしてアルステイン様の腕を引いて宰相の側を離れる。挨拶は済んだのだから長居する必要は無い。


「凄まじいな」


 見るとアルステイン様が頭痛を堪えるような顔をしている。


「いつもこんな感じなのか?エルグリア」


「大体このような感じですね」


 エルグリアも疲れたような顔をしている。


「?私、余計な事を致しましたか?」


「いや、助かった。イルミーレは凄いな」


 アルステイン様は笑って私の頬を撫でてくれた。私はアルステイン様に質問する。


「しかし、何故宰相閣下はアルステイン様にああも挑戦的なのでしょうか?」


 アルステイン様は、ああ、と思い出すように説明してくれる。


「宰相は私の父、つまり先帝の時代に、内政に功績を立て、伯爵の身で宰相に抜擢された」


 有能な政治家で特に内政に優れ、農地の開発や街道の整備、食糧の地域を越えた融通による飢餓の防止、地方都市への上下水道の導入による疫病の抑制など多大な成果を上げている。


「当初は権力欲は余り無く、皇帝陛下にひたすら忠実な男だったのだが、私の兄が皇太子時代に宰相の娘を見初めて皇太子妃に娶って変わってしまった」


 どうやら皇太子の義父になり権力が増した事で増長したらしい。有力貴族を味方に付け、権力の集中を図っているとか。


「兄が皇帝になると、帝位の安定を図るために私をしきりに遠ざけようとするようになった。私の臣籍降下を強硬に主張し、私から軍権を奪おうとしている」


 病弱な皇帝陛下よりアルステイン様を皇帝にしようという意見は根強いらしい。皇帝がアルステイン様に移れば自分の権力が無くなると考えているのだろう。あの手この手でアルステイン様の力を弱めようとしてくるのだとか。


「アルステイン様はご自分が皇帝になったら宰相閣下を遠ざけるのですか?」


 アルステイン様は驚いたような顔をした。


「イルミーレ。私は皇帝になる気はないぞ?」


「仮定の話です」


 私だって皇妃になるつもりは無い。ただ、可能性があるなら考えておくしかない。アルステイン様だって全く考えていないわけでは無いだろう。


「・・・いや、客観的に見て、宰相以上の内政政治家はいない。引き続き宰相を任せる事になるだろう」


「内政政治家?ですか?」


 微妙な言い方だ。私が聞き返すとアルステイン様は少し苦い顔をした。


「宰相はペグスタン皇国との和平を主張しているのだ。あの国との和平など夢物語だというのに」


 ペグスタン皇国は帝国の西に位置する大国で、帝国と長く抗争を繰り広げているいわゆる不倶戴天の敵である。


「ペグスタン皇国と和平を結べば帝国は巨大な軍事費を削減出来て、それを内政に回せば帝国は更なる発展が見込めるというのだが・・・。軍を削減した途端に和平が破られて攻め込まれるに決まってる。宰相にはその辺りが分からないらしいのだ」


 つまり、内政に目が向くあまり外交が余りにも事なかれ主義なのだ。ペグスタン皇国の危険性を軽視して軍の削減をしたがるらしい。故に皇帝陛下は彼に外交や軍事を任せず、外交はご自分で決断し、アルステイン様に軍権を任せたのだという。


 なる程、色んな所に対立があるわけね。しかし、それにしては、娘の皇妃様は私に友好的なのよね。それに、今聞いた中にも気になる所が幾つかあるし。




 宰相から離れると、挨拶に来ていなかった貴族が渋々という感じで挨拶にやってきた。どうやら宰相が私を追い出すのを待っていたらしい。追い出しに失敗した以上、これ以上挨拶を遅らせてアルステイン様を完全に敵に回す訳にはいかないのだろう。


 アルステイン様も私も知らん顔で挨拶を受ける。当然私はアルステイン様の婚約者として受けるだけで返礼はしない。その事にイヤミを言う者もいるが笑顔で受け流す。


 夫人や令嬢の中にはあからさまに私を無視して挨拶をしない方もいる。そういう方は放置は出来ない。それが許されると思われても面倒だ。


「あら?アングレーム伯爵令嬢」


 アルステイン様には蕩けるような笑顔で話し掛けながら私を無視していたのは、園遊会で私を通せんぼしたアングレーム伯爵令嬢。因みに、以前に私を吊し上げた令嬢達の一人で本気でアルステイン様の妻の座を狙っている令嬢だ。


 私の声にピクッと反応しながら、表情を固くして無視を決め込む。構わず私は言った。


「その、ネックレス・・・」


 ダイヤモンドを連ねて中央に巨大なサファイアが鎮座しているネックレスだ。多分、今回の装いの目玉なのだろう。ちょっと自慢げに口元が上がる。


「素敵ですが、ダイヤモンドが幾つか偽物ですね」


「は!?」


 思わず愕然と私を見てしまう伯爵令嬢。私は頬に手を当てて首を傾げる。


「ガラス玉が幾つか混じっております。出入りの宝石商以外に鑑定させた方がよろしくてよ?ではご機嫌よう」


 口をあんぐりと開いて固まる伯爵令嬢に私は手を振ってお別れする。私は皇妃様の黒真珠の件で宝石に相当目敏い事になっている。その私が偽物よわばりした宝石を「そんなの言い掛かり」と無視して着け続け、夜会を続けられる事が出来るほど神経が太い令嬢はまぁ居ない。「偽物?」という周囲の視線に耐えかねてアングレーム伯爵令嬢は慌てて退場して行った。


 まぁ、あれは分かり易い偽物だったけど、経験の浅い貴族令嬢が老獪な宝石商に偽物を掴まされている例はかなり多いのだ。何でそんな事を知っているのかというと、私が働いていた商会がその手の悪徳宝石商だったからだが。宝石鑑定に自信が無い貴族婦人の顔が引きつるのが分かる。公衆の面前で自分の見る目の無さを暴露されるのは大失態では済まないからだ。途端に婦人方の態度が遜ったものに変わる。あからさまに無視をする者はいなくなった。


 しかし、中には私をあからさまに罵倒する令嬢もいた。通せんぼコンビのもう一人、フリセリア侯爵令嬢は侮蔑も露わに私を罵った。


「たかが男爵令嬢が何様のつもりなの?身分をわきまえなさい!」


 私はわざとらしく溜め息を吐き、令嬢では無く隣の、フリセリア侯爵の方に向けて冷たい視線を向ける。


「まったく。バカな娘を持つと苦労致しますね?侯爵」


「「は?」」


 侯爵と侯爵令嬢の目が二人して点になる。何だよ侯爵もバカだったのかよ。とは流石に言わない。仕方無く懇切丁寧に説明してあげる。


「私は今日、男爵令嬢ではなく、イリシオ公爵の婚約者としてここにいるのですよ?しかもアルステイン様が隣にいらっしゃる。その状態で私を面と向かって侮辱するのはアルステイン様を侮辱するのと同じ。令嬢がアルステイン様を侮辱するのは侯爵がアルステイン様を侮辱するのと同じ。侯爵がアルステイン様を侮辱なさったという事でよろしいのですか?」


 侯爵の顔色が青くなる。そりゃ、公爵にして軍務大臣であるアルステイン様を敵に回すような真似が出来る訳がない。真っ向敵に回す気満々な宰相とは覚悟が異なるのだ。


 侯爵令嬢が慌てて叫ぶ。


「違います!私はアルステイン様を侮辱など・・・!」


「だからバカだと言うのです。アルステイン様をご覧なさい」


 アルステイン様は無表情に侯爵親子を見下ろしている。イケメンの無表情は怖いわね。でもそんな顔も素敵ね。


 それは兎も角、アルステイン様を見た令嬢は自分の失敗を悟ったらしい。顔色が青を通り越して黒くなる。


「アルステイン様を怒らせたままで良いのですか?今なら私が取りなす事も出来ますけど?侯爵?」


 侯爵は慌てて跪いた。


「お前も跪きなさい!」


「で、でもお父様!」


「早くしなさい!」


 屈辱に顔を歪めながら侯爵令嬢が膝を地面に着く。ドレスを汚して跪くのは最大級の敬意を表す時にしかしない。


「ご無礼をお許し下さいイルミーレ様」


 侯爵が深く頭を下げて謝罪するが、まだ受けない。私は涼しい顔で頭を下げる二人を見下ろす。


「お前も謝罪しなさい!」


 侯爵に叱責され、侯爵令嬢は震える声で謝罪する。


「ご、ご無礼を、お許し、下さい。い、イルミーレ様・・・」


 私はふう、と溜め息を吐き、アルステイン様に問う。


「どう致しましょう。アルステイン様?」


「君の良いように。イルミーレ」


 アルステイン様のご許可が出たので私は微笑みながら言う。


「今回は不問に致しましょう。次があるとは思わないように」


「ご寛恕に感謝致します。イルミーレ様」


 侯爵が頭を更に下げるのに構わず、私はアルステイン様の腕を引いてその場を立ち去る。アルステイン様がまた頭の痛そうな顔をしている。


「どうしました?」


「いや、イルミーレは凄いな、と思っているだけだ」


「?私、何かしましたか?」


 面倒なご挨拶が終わればお楽しみタイムだ。私はアルステイン様と久し振りにダンスを楽しみ、他の貴族男性とも沢山踊った。若い令息と踊るのはアルステイン様が良い顔しなかったので、おじ様方とだけ。


 お茶会などを通して仲が良くなった令嬢とお喋りを楽しみ、次のお茶会を約束した。そうしていると、以前までは私に隔意あり気だった令嬢や夫人が近付いて来た。


「私もイルミーレ様とお話させて下さいませ」


「喜んで。ファフナー伯爵夫人。令嬢。さぁ、こちらに」


 私はにこやかに受け入れ、席を勧める。こういう人達はなるべくお友達にした方が社交界で生き易くなる。だからファフナー伯爵夫人の髪飾りに使われてる珊瑚が実は木の枝に色塗っただけのものですね、などとは言わないでおく。


 楽しくお喋りし、ケーキを食べ。お酒もちょっと飲み。私は大満足だ。帰ろうとすると主催者のエリトン侯爵が挨拶に来る。アルステイン様に挨拶した後、私にも頭を下げる。


「本日はお越し下さいましてまことにありがとうございました。イルミーレ様。また、是非お越し下さいませ」


「ありがとう。エリトン侯爵。楽しかったですわ。あなたに女神の恩寵がありますように。神に祈りを」


「感謝を」


 馬車に乗り込み、ほろ酔い加減の私はアルステイン様に頭を軽く預けてうふふ、と笑う。


「今日は楽しかったですね。アルステイン様」


 そう言うとアルステイン様は眉間を指で押さえて呻いた。


「楽しかった、か。・・・エルグリア。いつもこんな感じなのか?」


 エルグリアも疲れたような顔を横に振りながら言った。


「そうでございますね。大体、いつもこんな感じです」


 何だろう。まぁ、いいや。私は酔いで頭が回らず、うつらうつらしながら次第に意識を薄れさせて行った。

 


 

 

 




 


 


 


 

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