四章 帝国の緋色の聖女

22.公爵様との一日

 私は絶好調だった。特にメンタル面が。


 だって、凄いじゃない。アルステイン様と毎日お会い出来るんだよ。毎日だよ!私は毎日感動に打ち震えているよ。これは凄い。本気で凄い。


 私は朝起きると着替えをして、私室を横切り奥の扉を潜る。その先はアルステイン様と私の共用スペース。つまり「夫婦の」リビングだ。


 私個人の部屋があのレベルなので、共用部分が凄いだろう事は想像していたが、最初に入った時は口が空いてしまった。凄いとかそういう次元の話じゃ無かった。


 ドーンと四階層ぶち抜きの吹き抜けに、東面は大ガラスを何十枚も組み合わせて作ったガラス壁。階段状の小庭園(これでも表玄関の大庭園に比べれば小)の向こうには帝都の街並みが輝く。振り返ると、バーンと広がる50m四方くらいの大リビング。一階は大理石の床にカーペットが敷かれ、白いテーブルセットと白い応接セットという美しくも少し固めのインテリアだ。


 一階?そう一階なのだ。上を見上げると、ベランダ状になって後二層、リビングがある。リビングが三つ重なっているのだ。どんだけだ。上がるには螺旋階段か昇降機を使う。この昇降機は複雑な機構で、重りを微妙に調節する物らしく、私とアルステイン様と侍女が乗って、外にいる侍女が小さな重りを降ろすとゆっくり上がり、上で侍女がストッパーを掛けて止める。降りる時は三人乗った状態で小さな重りを乗せるとスーッと降りる。


 二階は一階の半分くらいに小さくなり、床は木の床で、インテリアもカントリー風。椅子やテーブルも木の無垢材。もっとも実家で使っていたような荒々しい物ではなくツルツルに磨き上げられており、手触りが良い。この階はアルステイン様が最もお好みで、良く使われる。


 三階はさらに小さくなり、床は毛足の長いカーペット。上がる時は靴を脱いで上がる。テーブルセットは無く、背の低いソファーとテーブルがあるだけ。くつろぎ易い空間になっており、私はここが一番好きだ。あまり広いと落ち着かない。ただし外縁に寄ると下が見えるのだが凄く高くて背筋がひゅんとなる。


 ダイニングはそれぞれの階に一つずつ付属で、その他に一階から廊下を歩いた先にも8つある。それぞれ季節や時間や料理の趣向によって使い分けられるらしい。ついでに言えばトイレや浴室も各階に一つづつある。なぜ浴室が三つもあるのか。


 更に言うと、一階の奥の大扉の向こうには「夫婦の」寝室がある。一度だけ見せてもらったが、私の私室のリビングと同じくらいの巨大なお部屋に10人は寝れんじゃね?という巨大な天蓋付きベッドがドカーンと据えられてあった。この扉には今は厳重に鍵が掛けられている。トマスがしっかり預かっているらしい。


 それは兎も角、朝はリビングを素通りしてダイニングの「一つ」に向かう。私はどこを使うか知らないので侍女に付いて行くだけだ。今日は天井にも窓があるややこじんまりしたダイニングだった。窓の外には大きな木が生えていて、季節柄強くなり始めた日差しを柔らかく遮っている。


 私がテーブルに付き水を飲みながら待つ事しばし、アルステイン様が侍女に先導されて入って来た。ふわ~。今日も素敵だわ~。


「今日も早いな。イルミーレ」


 ニッコリと麗しく笑う。銀髪が日差しを受けてキラキラと輝き、エメラルドグリーンの瞳が優しく細められる。毎日うっとりだ。衣服は朝は軍服の下に着るシャツである事が多い。


 アルステイン様がテーブルに付くと食事が始まる。コース料理である事もあれば、大皿にいくつか料理が出て取り分ける形式の場合もある。なぜかというと、アルステイン様は物凄く量を食べる方なので、コース料理だと物足りない場合があるかららしい。今日は朝からお腹が空いたな、と思うと大皿を希望するのだそうだ。朝でこれだから身体を動かした後の夕食は物凄い量を食べるので、大体大皿料理だ。私は特に朝は本当に少ししか食べられないので、朝が大皿料理の時はちょこっとおすそ分けを貰う事になる。


 この日も昼過ぎから訓練があるとの事で、大皿だった。こういう時はアルステイン様が手ずから料理を小皿に取り分けてくれるのだが・・・。


「アルステイン様、多いです」


「イルミーレは細すぎる。もっと食べなさい」


 と私の要望も聞かずに山盛り取り分けて下さった。こんなに盛られても食べ切れないので同じ事なのだが。


 食事しながら今日の予定などの話をする。私は社交に復活しているので昼はお茶会に出掛ける事も多い。アルステイン様はお仕事だ。軍務省まで毎日出勤する。軍務省は帝宮近くの官庁街にある。ただ、アルステイン様は軍の訓練や演習などにも顔を出すことが多いので、帝都郊外の軍の施設に出向く場合も多いらしい。今日も訓練と言っていたからそっちかも。


「そういえば、エリトン侯爵から夜会の招待状が届いていたな。一週間後だったか。イルミーレ、どうする?」


 アルステイン様がお帰りになってもう半月。私とアルステイン様はまだ揃って夜会に出ていなかった。本来ならアルステイン様の凱旋式典やその後のパーティなどに出る筈だったのだが、宰相閣下が難色を示されたので私は出なかったのだ。宰相閣下は皇妃様のお父様なのだが、私とアルステイン様の結婚に反対らしい。


 ちなみに皇妃様とはあれ以降もお茶会などで何度かお会いした。何事か企んでいるような笑顔が怖い以外は気の良い方で、いつも楽しくお喋りさせて頂いている。おかげで貴族女性の社交界では順調に過ごさせて頂いている。


 エリトン侯爵ね?夫人とはご挨拶をさせて頂いたけど、普通だったな。別に断る理由も無さそうだ。久しぶりにアルステイン様とダンスがしてみたいし。


「私は構いません」


「ふむ、では出てみようか。イルミーレのお披露目だ」


 アルステイン様が言うとエルグリアの目が輝いた。これはあれだ。またピカピカのモリモリにされそうな気配がするわね。まぁ、私みたいな貧相な女だとそれくらいやらないとアルステイン様のキラキラに消されてしまうからね。


 食事が終わるとアルステイン様は出勤なさる。私はエントランスまでお見送りだ。先に行って待っていると軍服をかっちり着こなしたアルステイン様がいらっしゃる。私はハグして頬にキスをし合って送り出す。少し寂しい。アルステイン様も同じようで中々離れて行かないことがあり、そういう時はお迎えに来た副官のブレン・ワイパーさんが引っ張って行かれることもある。


 ワイパー副官は平民出身で、黒目黒髪の21歳。12歳の時からアルステイン様と共に死線を潜り抜けて来た腹心の部下で、身分も階級も超えた大親友なのだそうだ。何でも、功績に対して報いるために爵位を与えようとすると「貴族になったらアルステインの副官を辞さなければならないから嫌だ」と断ってアルステイン様の副官を続けているらしい。そんな忠臣だから私の事を「アルステインを堕落させた女」と見てあんまり良く思っていないようだ。でも私も譲れないので仕方が無い。その内理解して貰えれば良いな。


 アルステイン様のお見送りが済むと、お茶会が無ければいつも通りの日課になっている公爵邸の見回りだ。部屋に戻り膝丈のドレス(汚れても良いドレスってなんだろうね)に着替えロングブーツを履き、大きな帽子を被り、長い手袋をする。エルグリアがこれだけは絶対と言って必ず装備させる一式だ。そうして見回りに出発する。公爵邸は広過ぎるので全ては回れないが、今日は東館、明日は西館というように見て回り、不備や不足が無いかどうかを確認し、上級下級と問わず使用人と話をして状況を把握する。まぁ、ほとんど私の気晴らしと暇つぶしなのでみんなには緊張しないで欲しいと言ってある。お昼を挟んで一日中歩き回り、勿論最後は必ず子豚や私の馬を愛でて終了だ。


 そう言えば最近、使用人たちが私を「奥様」と呼ぶようになった。?私、まだ結婚していないんだけど良いのかしら。トマスもエルグリアもいつの間にか違和感無く奥様呼びだ。指摘するのも変だから言わないけど。


「奥様の夜会の準備をしなければなりませんわね」


 私室に戻り、軽く湯浴みして汗を流すとエルグリアが楽しそうに言った。まぁね。そりゃ準備しなければいけないでしょうけど、ドレスはもう沢山(本当に沢山)あるし、宝飾品も一杯あるからその中から選ぶだけでしょ。と思っていたらエルグリアは意外な事を言った。


「新しいドレスを仕立てなければ。どのようなドレスに致しましょうかね?」


「え?ドレスはあるじゃない」


「ダメですよ奥様。これから奥様が出る夜会はこれまでの社交とは訳が違います」


 エルグリアが真面目な顔で言うには、アルステイン様が帰って来た以上、いよいよ正式な結婚に向けて動き出すことになる。それにはまず皇帝陛下の勅許が必要だが、その前に得ていた方が良いのが宰相閣下を始めとする上位貴族の同意だという。


「これまでは奥様とお仲がよろしいご婦人とだけ社交していれば良かったわけですが。これからは奥様を敵視している貴族の方々ともお付き合いしなければなりません」


 そして次の皇妃と擬される私はそういう連中ともある程度上手くやらなければならない。それには遜って仲良くしてもらうのではなく、上位を保ったまま彼らを臣従させなければならない。・・・ちょっと待ってよ。次の皇妃って何よ!何時から私そんなのになったのよ!しかしエルグリアは私の心の中での突っ込みを物ともせずに続ける。


「つまり、一分の隙も見せられないのです。そんな社交に一度でも袖を通した事のあるドレスなど着て行かれませんよ。何を言われるか分かりません」


 確かにそれはその通りではあるのだ。お茶会に出かけて「あれ?この方、前と同じドレスね」と思う事があるが、それだけでなんとなくそのお茶会が手を抜かれたものに感じてしまう事がある。お茶会でそれならもっと厳しい夜会なら当然着回しはNGだろう。


「そういう事なら分かりました」


「まぁ、奥様ならなんという事も無いかと思いますけどね」


 私室で寛いでいると侍女が入って来てアルステイン様の帰宅を告げる。私は立ち上がって足取りも軽くエントランスへと向かう。アルステイン様の帰宅は先触れが来てから一時間くらい掛かるので、私の所に知らせが来るのは公爵邸の一番の城門をアルステイン様が潜った時である。それだと丁度私がエントランスに降りたタイミングでアルステイン様がドアを潜られるのだ。


「お帰りなさいませ、アルステイン様」


「ああ、イルミーレ!」


 アルステイン様が足早にやって来られて私を抱きしめる。は~。いいわ~。毎日私はこれが楽しみだ。仕事が終わって馬に乗って帰って来たアルステイン様は少し汗臭いのだがそれが良いのだ。アルステイン様が間違い無くいると分かって安心する。


「今日も何事も無かったか?」


「ええ。楽しく過ごさせて頂きました」


 アルステイン様はニコニコしながら私の頭を撫でてくれる。放っておくと私達はいつまでもここでイチャイチャしてしまうので適当な所でトマスとエルグリアが引き剥がしてくれるが逆にそれまでは良いだろうと抱き合ってしまう。


 アルステイン様が湯浴みを終えると夕食だ。今日も物凄く沢山の料理が出される。ちなみにアルステイン様は何より肉がお好きで、魚料理はあまり好まれない。逆に私は肉よりも魚派である。じゃぁどうするのかというと、別にお互い違う料理を出してもらえば良いだけだ。私は少ししか食べられないし。今日もアルステイン様は大皿にローストした肉を沢山盛ったものを数種類並べ、パンとマッシュポテトと一緒に優雅ながら物凄い勢いで食べている。私はコース料理で、メインは魚一皿だけにしてもらっている。


「イルミーレ。もっと食べなさい」


「アルステイン様こそ、お肉だけでなくサラダも食べて下さい」


「う・・・」


 私が同席するようになってから、アルステイン様に言い続けているのは野菜を食べるようにという事だ。アルステイン様は野菜があまりお好きではないのだが、野菜を摂らないのは身体に本当に良くない。私に言われて食べるように心掛けてから体調が良くなったらしいので分かってはいると思うのだが、嗜好というのはそう簡単には変わらない。この日も仕方無さそうにサラダに手を付けた。


「長年私が言い続けても変わらなかった野菜嫌いが奥様の一言で治るなんて」


 とエルグリアが感動に打ち震えている。ちなみに子供の頃はエルグリアが厳重に監視して食べるまでテーブルを降りる事を許さなかったそうだ。


 食事を終えるとリビングに行き、寝るまで寛ぐ。今日は私の希望で三階の絨毯の間だ。靴を脱いで(ソックスは履いているけど)二人でソファーに並んで座りながらお喋りをする。ここが一番アルステイン様との距離が近いのも私がここを好む理由の一つだ。


 話題は色々で私が社交に出ればその報告と感想。アルステイン様が仕事で出掛ければその先で起こった話などをしてくれる。ワクラに駐留していた時にワクラ中を回ったので、その時の話をしてくれる事もある。私の故郷の地方はあまりにも冷害の影響が大きく荒廃していたため、アルステイン様が援助を手配して、帝国で開発された冷害に強い作物を移入して復興を図るとの事だった。


 真面目な話からどうでも良い話まで沢山する。残念ながら私はあまり夜更かしが得意では無いし、アルステイン様も毎日お仕事でお疲れだし朝も早いので、10時前にはお休みだ。仕方無く昇降機で一階まで降りて抱擁して頬にキスをし合ってお別れだ。う~ん。寂しい。アルステイン様もそう思われているのか、私を抱きしめたまま恨めしそうに「夫婦の寝室」への扉を睨む。ダメですよ。あそこのカギはトマスが厳重に管理していますから、正式に結婚するまでまだ入れません。

 

 私室に戻って湯浴みをし、髪を乾かしてもらい寝室に入ってお休み。充実した一日だ。私は毎日今日のアルステイン様を反芻しながらうふふふふと笑いながら眠りに付くのだった。

 


 

 


 

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