閑話 私のお嬢様(前編)  エルグリア視点

 私の名前はエルグリアと申します。夫がカルステン伯爵位を授かっている関係上、私も伯爵夫人という事になりますね。ですが私は公爵家の侍女長と言われる方が多いですし、そっちの方を誇りに思っております。


 私とアルステイン様の出会いは旦那様が0歳。私が9歳の時に遡ります。当時私の母は私の弟を出産したのですが乳児の内に死なれてしまいました。悲しむ母に新しくお生まれになった皇子様の乳母にならないかという誘いが来たのです。私の家は伯爵家でしたので身分的に皇子の乳母に相応しいと思われたのでしょう。母は了承し、私を連れて帝宮に上がりました。


 そして私はアルステイン様と初対面を果たしたのです。その時の感動を私は未だに忘れません。銀色のフワフワとした髪は天使の輪のようで、くりくりしたエメラルドの瞳は(以下略)。


 ・・・もうその瞬間私はこの皇子様に一生お仕えする誓いを致しました。絶対に私がこのお坊ちゃまをお守りし育てるのだと心に決めました。なので10歳の時には侍女見習いとして帝宮に入り、乳姉弟の関係を活かして坊ちゃま付きの侍女見習の地位を手に入れると、それからは坊ちゃま一筋。片時も離れず、優しく厳しく坊ちゃまをお守りお育て致しました。坊ちゃまも私を姉と慕って下さりました。侍女冥利に尽きるという物でございます。


 私は長女でしたから、父も母も何度も侍女を辞して結婚するようにと説得に来ましたが私は一顧だにしませんでした。私の一生は坊ちゃまのためにあるのです。結婚などとんでもない。しかしそんなある日、坊ちゃまの執事長になったトマスと出会うのです。トマスは本名はトマスレアと言うのですが、坊ちゃまに「トマス」と言われて嬉しかったからという理由で貴族らしからぬトマスと名乗り皆に呼ばせているという変わり者でした。むむむ。これは何だか私と同じ香りがしますよ。坊ちゃまのために人生を捧げた者の匂いです。


 その時私は22歳、トマスは43歳。それからなんやかやあって二年後に私たちは結婚しました。誓いの言葉は一生坊ちゃまをお守り共に盛り立てようでした。やがて子供が生まれましたが、出産期間以外は変わらず坊ちゃまのお傍におりますよ。子育ては乳母に任せております。ええ。自分の子供より坊ちゃまが大事ですが何か?


 坊ちゃまは成長してまことに凛々しく格好良く成長し、勉学も運動も優秀で、軍務に就いてからはみるみる頭角を現され、あっという間にご出世なさいました。私もトマスも大喜びです。周囲も期待し、病弱な皇太子殿下よりも坊ちゃまの方が次期皇帝に相応しいという声さえ沸き起こったほどです。


 しかし皇帝が崩御され、皇太子様がハイランジア一世として即位なさると、宰相が皇妃様の外戚である事を笠に着てあからさまに坊ちゃまを排斥し始めました。新皇帝陛下は義理の父に逆らえなかったのでしょう。坊ちゃまの臣籍降下を決めました。私は憤慨しましたが、坊ちゃま本人とトマスは粛々と受け入れ、坊ちゃまはイリシオ公爵になられました。降下に際し、私とトマスは考えるまでも無く坊ちゃまに付いて行きましたとも。公爵邸はかつて坊ちゃまが子供の頃を過ごされた離宮。私たちも屋敷の敷地に家を与えられ、トマスは伯爵位を授かりました。これにはトマスが公爵家の家令として相応しい地位になったという他に、伯爵夫人となった私は将来坊ちゃま、いえ、旦那様が奥様をお迎えになった時にどこにでも随伴出来るという意味があります。


 しかし公爵となられた旦那様は皇子の頃は子孫を作るのは義務だからと気が向かないまでも何人かの令嬢とお付き合いをしていたのに、公爵になったのでもう良いだろうとばかりに夜会に出るのさえ止めてしまいました。結婚する気があるとは思えません。旦那様ももう年齢は20歳。私もトマスも気が気ではありません。旦那様は公爵になって皇位から離れた気でいますが、まだ皇位継承順位は一位です。旦那様は事実上の皇太子なのです。一刻も早く結婚して子供を作って欲しいのです。そして私はその子供の乳母になりたいのです。早くしないとトマスが子供を作れなくなるかもしれません。


 ところが何という事でしょう。突然旦那様が恋に落ちたのです。足げく夜会に通われ、一人の令嬢に付いて離れないというのです。私もトマスも喜び、その令嬢はどんな方のなのだろうと想像を膨らませます。旦那様がお選びなのですから素敵な令嬢に違いありません。


 そしてある日、旦那様は私をお呼びになり、公爵邸主催の夜会にその令嬢を呼ぶので事前の支度を頼む、とおっしゃいました。

 

「宝飾品は母の遺品を引き継いだものがある筈だ。あれを何でも使って構わない」


 私は驚きました。旦那様が引き継いだお母様、つまり先代皇妃様の遺品というのは、皇族が代々引き継いできた宝飾品の事です。伝来の秘宝ばかりです。それを使って令嬢を飾れという事は、その令嬢を自分の妻、いや、皇族に迎え入れるつもりだと宣言するに等しいのです。私は奮い立ちました。この夜会は旦那様のお嫁様のお披露目会だという事です。ここで張り切らずにいつ張り切るというのでしょう。


 夜会の当日、馬車から降りた令嬢、イルミーレ・ナスターシャ・シュトラウス男爵令嬢は色褪せたドレスと安物の装飾品に身を包んでいらっしゃいましたが、背はスラリと高く、緋色の髪は美しく、顔立ちには品がございます。やや痩せ過ぎですが素材は良さそうです。私は戸惑うイルミーレ様を促して客間へと導きました。夜会まで時間がありません。


 まずドレスを脱いで頂きお風呂に入って頂きます。そこで二人の侍女にピカピカに洗われた令嬢をマッサージして化粧水で保湿。更にパウダーでサラサラにします。それから(以下略)。


 ・・・最後に靴を履いて頂き完成です。私は感動の吐息を零しました。素晴らしいです。白と緑を複雑に入り組ませたドレスは上は軽め下は重厚なドレープが重なるデザインです。その胸元に大きなルビーの首飾りを配して上下のバランスを取っています。ただでさえ長身な上そんな重厚な格好ですから物凄い迫力が出てしまいました。緋色のお髪はハーフアップにして半分は流してあるのですが、その輝きもあたかも炎を纏うかのよう。まとめた部分に負けないように輝きの強い金とサファイアの髪飾りを配して正解でした。そして、先代皇妃様が結婚式でお使いになったというティアラ。あまりにも迫力が有り過ぎるので和らげるために載せてみたらしっくりきました。


 完成したそのお姿は・・・。やり過ぎてしまったかも知れません。お姫様を通り越して女王様の雰囲気さえ醸し出しています。旦那様が霞んでしまうかもしれません。いえ、着飾った旦那様もかなりの破壊力をお持ちですから大丈夫でしょう。


 控え室にイルミーレ様を導くと旦那様は大層お喜びでした。お並びになると、もうお似合いとしか言いようがありません。そもそもがペアで作った衣装ですし、旦那様は長身で容姿も派手で目立つところに、負けず長身のイルミーレ様の迫力ある装いがプラスされ、頭が思わず下がるくらいの威厳を醸し出しています。


 この姿を見れば、このお二人が次代の皇帝と皇妃であると集まった貴族達も体感として理解するでしょう。私は自信を持ってお二人を送り出しました。


 しかし、何が起こったのでしょう。イルミーレ様は気を失われ、休憩室に担ぎ込まれました。私達侍女が呼ばれ、診察が出来るようにドレスや宝飾品を外すよう頼まれます。グッタリして動かないイルミーレ様を気遣いながらせっかく着飾ったものを取り外し、涙で崩れた化粧を落としました。コルセット無しでご自分のドレスを着せます。


 そして診察を終えたイルミーレ様は兄君に抱きかかえられて帰って行きました。私達も呆然としましたが旦那様は意気消沈して夜会の後始末もせず自室に引きこもってしまいました。どうやら旦那様の公開プロポーズをイルミーレ様が断ったらしいとの事でした。公爵のプロポーズを男爵令嬢が断るなどあり得ません。私は怒りを覚えました。ですがトマス曰わく断ったのではなく、何か重大な事情があるため返事が出来ないご様子だったとの事。意味が分かりません。旦那様のプロポーズなら万難を飛び越えてでも受けなければならないものではありませんか。


 すると帰宅なさった旦那様は私達に「皇妃用の部屋にイルミーレが滞在しているよう見せかけるように」と指示を出しました。その内連れて来て辻褄を合わせるからとの事。まだ諦めていないようです。あのような仕打ちをされてまだイルミーレ様に執着なさるとは。あんな無礼な令嬢はすぐ忘れて次を探して欲しいと思うのですが、旦那様は一つに執着するとしつこいタイプですからね。


 ですがイルミーレ様はなかなか現れません。私達はいらっしゃらないイルミーレ様の為にドレスをご用意し、お部屋を飾り付け、お食事をお運びします。なかなか虚しいお仕事です。おまけに旦那様は出征して行かれました。私達は虚しいお仕事を淡々と続けるしかありませんでした。


 ところが旦那様が出征して2ヶ月ほど経ったある日、旦那様より「ワクラ王国でイルミーレを保護した」との連絡がありました。何でも戦火に巻き込まれて下働きに身をやつして生き延びていたとの事。どのような事情があったのでしょう?旦那様のプロポーズに応じられなかった理由と関係があるのでしょうか?無事に婚約も済ませたので、先に公爵邸に帰すので頼むとの連絡です。私達は驚き喜び、早速お迎えの準備を整えました。


 そしてイルミーレ様が到着する日、私達はエントランスロビーに集まりました。トマスが手配し他の使用人は遠ざけてあります。イルミーレ様は既に東館にいらっしゃる筈なのに、到着する所を見られる訳には参りません。


 小さな馬車が到着し、御者がドアを開けると女性が降りて来ました。それを見て驚きました。ボロボロのワンピースを身に纏った背の高い女性。確かにあの燃えるような緋色の髪は確かにイルミーレ様ですが・・・。下働きに身をやつしていたというのはこの事ですか。私はおいたわしい気持ちで一杯になりました。


 しかし、御者への挨拶を終え、こちらを見たイルミーレ様の雰囲気が一変します。柔らかな微笑みを浮かべ上品な歩き方でこちらにいらっしゃいました。そして、私達を圧倒するような優雅な淑女の礼をなさったのです。下位の者に対する頭も目も伏せない膝を少し落とすだけの礼。表情はあくまで柔らかな笑顔。ですが、その笑顔が何だか恐ろしいものに見えます。


 憐れむ気持ちなど吹き飛びました。そして緊張しつつ私が挨拶をすると、イルミーレ様は事も無げに言います。


「ああ、この間はお世話になりました。エルグリア。着付けの時に色々監督して下さったでしょう?あなたのお陰で助かりました」


 何と!私を覚えていらっしゃるのです。名乗った覚えも無いしあの時は数人の侍女がいたにのです。何という記憶力でしょう。私は恐縮して頭を下げるしかありませんでした。するとイルミーレ様はおっしゃるのです。


「私より位の高い方が男爵令嬢である私に仕えるのは不快ではないか?と気になったのです。そうであれば私に付く方は私より身分の低い方にして頂ければ、と思いまして」


 私は驚愕しました。私の態度に不快感を抱かれたに違いありません。身分を理由にそれとなく私を遠ざけようとお考えなのでしょう。私は慌てました。このままでは私の、旦那様のお嫁様にお仕えして、いずれはお子様の乳母になる野望が早々に潰えてしまいます。私は必死に言いました。


「旦那様がお選びになったお嬢様に、誠心誠意お仕えいたします!どうか何でもお命じ下さいませ!」


 イルミーレ様は鷹揚に頷かれました。ホッと一息です。





 イルミーレ様、お嬢様は、男爵令嬢でしかも他国の方です。公爵邸の様々な事に一々驚きのご様子でした。しかし、あっという間に慣れてしまわれました。非常に順応性が高いようです。所作やマナーはほぼ完璧でしたが、細かい部分で帝国の上位貴族と違う部分があり、私がそれを指摘するとその場で改めて二度と間違いません。とにかく記憶力が素晴らしいのです。


 ただ、お仕えしている内に、何というか違和感を感じる事が幾つかございました。


 まず、大変痩せていらっしゃる事です。夜会の時にも感じましたが、改めて見て驚きました。貴族にはこれほど痩せた方はまず居ません。


 手荒れも気になります。単に荒れているのではなく、傷痕や火傷の痕があるのです。下働きに身をやつしていたと時期に付けたにしては傷痕が古いのです。貴族令嬢がそのような傷痕を付ける理由が分かりません。


 そして、非常に体力がおありになる事です。お屋敷を案内して欲しいと言われてご案内したのですが、広大なお屋敷を興味深げに隅々まで歩き回り、下働きが働く場所まで覗いて行かれるのです。下働きにも親しく声を掛け質問し、梯子を登って屋根裏倉庫までご覧になっています。付いていくのも大変です。侍女より体力のある貴族令嬢など聞いた事がありません。


 決定的なのは、私がポロッとこぼした畑と豚小屋に異常な興味を示され、どうしても行きたいとおっしゃって、臭い畑や豚小屋に平気な顔で入って行かれる事です!子豚や子ヤギにはしゃぎ、汚れるのも構わず撫で回していらっしゃいます。明らかに豚やヤギを以前から知っているご様子なのです。そして、子豚がお気に召したらしく、毎日でも見に行きたいとおっしゃるのです。そりゃ子豚は可愛いですが、あのような汚い場所に汚れに構わず毎日行きたがる令嬢などあり得ません。


 この方は本当に男爵令嬢なのでしょうか?貴族商人だから様々な経験をなされているからで説明出来るのでしょうか?疑問に思った私は自宅でトマスに聞いてみました。しかしトマスは私をこう諭します。


「お嬢様は旦那様がお選びになったお方だよ。私たちがお仕えするのにそれ以上の理由が必要かい?」


 ・・・確かにその通りですが。もしもお嬢様が怪しい素性の方で、旦那様を騙して誑かしているなら、私は旦那様をお守りしなければなりません。それからは私はお仕えしながらお嬢様をそれとなく警戒していました。


 お嬢様は侍女とあっという間に打ち解けられ、私にもしきりに話し掛けて来られます。しかし私はお嬢様を警戒しておりましたから、あまり私的な会話はしないようにしていました。しかしある日、お嬢様は無邪気な顔でこうおっしゃったのです。


「エルグリアは公爵様にお仕えして長いのですか?」


 ピクっと、私の心が動きました。長い?長いなどという言葉では言い表せません。私の人生は旦那様の為の人生なのです。私は胸を張って答えました。


「そうですね。もう20年になります」


「え?公爵様がお生まれになった頃からですか?」


「ええ、そうでございます。母が旦那様の乳母を勤めておりまして」

 

 ドヤ顔になりそうになるのを抑えます。お嬢様がたとえ婚約者でも私の方がはるかに旦那様とのお付き合いは長い、という優越感を表に出すわけには参りません。


 ああ、でも本当は語りたいです。旦那様との色々な思い出が思い浮かびます。特にそう・・・。


 「そうなのですか!素敵ですね。公爵様はさぞかし可愛い赤ちゃんだったのでしょうね」


「それはもう!」


 そ・れ・で・す!私は全力で喰い付いてしまいました。

 

 それから私は旦那様の幼少時から現在までの思い出を語って語って語り尽くしました。途中からは着席して侍女たちとお嬢様と輪になってお茶を飲みながらです。どうしてこうなった。


 いや、分かっております。お嬢様のせいです。お嬢様に乗せられたのです。何しろお嬢様は私が我に返りそうになると「それで、エルグリアは公爵様からプレゼントをもらったことは無いの?」とか「公爵様が最初に馬に乗られたのはいつなのですか?」など私のツボを刺激する悪魔的な質問を投げ掛けてくるのです。


 そんな質問をされたら旦那様が2歳の時私によちよち歩きながらお花を差し出した話とか、5歳で生まれて初めて馬に乗せられ、騎士に曳いてもらった興奮で夜に中々眠れずに私に感動を語り続けていた話とか、をしない訳にはいかないではありませんか!

 

 おまけに私の野望、お嬢様を磨いて旦那様の素晴らしいお嫁様にする事と、二人のお子の乳母になる事まで聞き出されてしまい、私は頭を抱えてしまいました。お嬢様のあの話術と相手の欲しい物を感じ取る能力は反則です。恐ろしいです。


 ですが旦那様についてのお話を聞いているお嬢様は純粋に幸せそうで、ご自分も旦那様との馴れ初めなどをお話下さったのですが、その時も物凄く嬉しそうだったのです。私に「公爵様との大事な思い出を話して下さってありがとうございます」と言って笑うそのお顔には何の嘘も邪気もありません。私はこの方が旦那様に邪まな企みを持っていると疑うのを止めました。この方は得体は知れませんが、旦那様を純粋にお慕いしている事だけは間違い無いと分かりましたので。


 そんな風にお嬢様を理解していった訳ですが、私がお嬢様の真の恐ろしさと真価を知ったのは、お嬢様が公爵邸にいらしてから一か月後に行われた皇妃様主催の帝宮での園遊会での事でした。


 

 





 



 

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