6.プロポーズの顛末

 そして当日。昼前に私達は馬車で公爵邸へ向かった。


 公爵邸は帝都に幾つかある丘の上にあった。というより丘全体が公爵邸だった。丘にぐるりと城壁を巡らす様はあたかも城の中にまた城があるような感じだ。


 最初の門をくぐった後も幾つか門があり、城壁が何重にも巡らせてある事が分かった。本当にお城だ。これ。


 丘の頂上を平らに削って建つ公爵邸の本館は、色とりどりの花々が植えられた大庭園の中にドーンと聳え建っていた。白壁に青い屋根が青い空に映える。あまりの巨大さに、シュトラウス男爵一家は口あんぐりだ。確実にワクラ王国の王宮より豪壮で華麗。帝国貴族の頂点とはこういう事なのだとあからさまに見せつけられた。


 車止めで馬車を降りると、公爵家の使用人が数人出迎えてくれた。そして開いてくれたドアをくぐった途端。


「お嬢様はこちらにおいで下さい」


 と、公爵家の侍女達にサクッと拉致された。エスコートしてくれていたお兄様からあっさりと引き離され一人だけ違う方向へ。


「あ、あの?」


「公爵様から全て伺っておりますので」


 伺って無い!私伺って無いからね!


 何がどうなってるのか分からないが抵抗の余地無く部屋に連れ込まれると、そこには更に数人の侍女達が。


「本日は宜しくお願い致します。お嬢様」


 揃って頭を下げられる。応答しようと思ったのだがその暇も無く「では」と侍女に取り囲まれた。


 何?なにが始まるの?と言ってる間に、スルスルとドレスが脱がされ素っ裸にされキャーと言う間もなく浴室へ放り込まれた。そしてそこに待ち構えていた二人の侍女に身体を隅々まで洗われる。いや、比喩では無く、爪の隙間からお臍の中から口の中までピカピカにされた。ムダ毛も、産毛一つ残さないくらい徹底的に排除だ。


 風呂が終わるとマッサージ。続いて良い香りの化粧水で全身を潤される。髪は何枚ものタオルで丁重に水気を取られた挙げ句入念に櫛削られ、オイルを振り掛けて更に櫛を入れられる。おかげで私の赤茶の髪は燃え上がるように輝き出した。


 見たことも無いような華麗な下着を身に付けたらコルセットだ。私がいつもしているコルセットは単にお腹を締めるだけのものだが、胸まで覆うタイプのコルセットでギューッと締め付けられる。私は帝都に来てから、公爵様に美味しいものを食べさせられて少し太った。元が痩せ過ぎだったのだが。その僅かに付いた肉を締め上げて胸に持っていき、ひょろんとした私のボディにメリハリを生み出す。凄い技術だ。


 コルセットを着たら次はドレス。なのだが・・・。


「な、なんですか?このドレスは・・・」


「公爵様がご用意下さいました」


 そうでしょうよ!


 白を基調にあちこちに緑を差し色に配した可憐なドレスだった。その輝きは明らかに最高級のシルク。それだけでなく各所に金糸銀糸で刺繍が施され、あまつさえ宝石がいくつも縫い込まれている。


 こんなとんでもないドレス着られ無いよ!と叫ぶ間もなくあっという間にそれは侍女達の手により私に纏わされた。なんとぴったりだ。いつ採寸されたっけ?


 それからお化粧。若い侍女が見るからに楽しそうに私の顔に色を載せていく。自分では見えないけど。リップは薄いピンクかなくらいしか分からない。髪もサクサク結われていく。


 続けて装飾品だ。ワゴンに載せて運ばれてきた宝飾品の数々を見て、今度こそ私は悲鳴を上げた。


 それはもう、そこらのお貴族様なら家宝になるだろうレベルの宝飾品が山と積まれているのだ。宝石を扱う商店で勤めた経験があり、貴族商人を装う中で宝石を見る目が何となく育ってしまった自分が恨めしい。圧倒されて体が震えだす。


 しかし侍女達は楽しそうに私に色々な宝飾品を当てながら選んで行く。水晶のイヤリング、金とサファイアで出来た髪飾り、ダイヤモンドを連ね中央に巨大なルビーを配したネックレスが私の貧相な胸に鎮座する。


 そしてトドメはプラチナと金とダイヤモンドで繊細に造り上げられたティアラである。ギャー!そんなとんでもないもの私の頭に載せないでー!


 最後に白いエナメルのハイヒールを履いて完成だ。やり切った!と満足顔の侍女達が「どうでしょう!」と大きな姿見を持ってくる。


 お、お姫様だー!私は愕然とした。お嬢様通り越してお姫様だよ。お姫様見た事無いけど。キラッキラに全身が輝いている。直視出来ない。自分の姿とはとても思えない。唖然とする私をよそに侍女達は頬を染めて溜め息を吐いている。


「素晴らしいですわ。お嬢様」


「公爵様もさぞお喜びになる事でしょう」


 口々に誉めてくれる。が、私はそれどころではない。


 私はこれに似た衣装を見たことがある。昔、故郷で。親戚が結婚式した時の花嫁が、白を基調のケープを纏っていた。あれに雰囲気が似ているのだ。もちろん、お値段がとんでもなく違うんだけど。


 こ、これ!花嫁衣装だー!


 それに気が付いた時には私は侍女に手を引かれて部屋を出ていた。この身支度に掛かった時間は何と4時間に及んでおり、もう夜会が始まる時刻なのだった。勿論私の昼食は消滅した。胃がキリキリと痛んでいたからそれどころではなかったが。


 侍女が開けたドアの先は控えの間で、ソファーから優雅に立ち上がったのはもちろん公爵様だった。しかもいつもよりキラキラ度合いが三割り増しだった。直視が難しいレベルだ。


「思った通り、素晴らしいよ、イルミーレ!」


 そう感嘆の声を上げた公爵様こそ素敵です。いつもは黒と金糸の軍服を着てらっしゃるのに、今日は白を基調としたスーツだ。金糸銀糸で刺繍が施され、袖口や襟の縁に水色が配されているので単調では無い。ネクタイも水色。実に華麗。光り輝いている。


 ・・・う?水色?私は自分のドレスに所々使われているエメラルドグリーンを見る。


「どうした?」


 ニコニコ笑う公爵様を見る。そう。その瞳の色は宝石も敵わないくらい美しいエメラルドグリーン。


 と、いうことは?


 このドレスの緑は公爵様の瞳の色なのだ!


 と、いうことは?


 公爵様のスーツの水色って私の瞳の色じゃない!?


 良く見ると、ポケットに差したチーフは明るい赤茶色。そう。私の髪の色だ。はい。もう確定ですね。公爵様のスーツと私のドレスはお互いの色を交換したというラブラブカップル仕様なのだ!ついでに言えば私のティアラも公爵様の髪色意識してるよね。


 おおおお、私は顔には出さず慄いた。これは本当にマズい。こんな格好で二人仲良く腕組んで入場したらもう完全に取り返しがつかない。私は意を決して顔を上げ、口を開いた。


「あの!」


「綺麗だよ。イルミーレ」


 公爵様がはにかんだような笑顔で言った瞬間、私の頭の中はピンク色になり言おうとしたセリフが消滅する。無理だ。これはもう手遅れだ。公爵様は私を逃がすつもりは無いのだ。私も公爵様を嘘でも突き放せなくなっている。こうなっては行き着くとこまで行って、大破局を向かえるしかない。


 私は絶望と期待と喜びと諦めが交じり合って無になるというような状態でただただ公爵様の上機嫌な微笑みを見詰めるしか無かった。



 待合室で公爵様とお茶を飲みつつ待つ事一時間。どうやら招待客が全員入場したらしい。報告に頷いた公爵様は立ち上がり、私に手を差し伸べた。


「行こうか。イルミーレ」


 その笑顔は勝利を確信している笑顔だった。私は虚ろな気持ちを笑顔で隠して公爵様に手を委ねる。


 扉の向こうは大空間だった。公爵邸の大広間は平面でも昔実家で牛を飼っていたスペースより広いのに、それが三階まで吹き抜けになっているのだ。壮大な絵が描かれた天井から長い鎖で幾つものシャンデリアが下げられ、広大な空間を煌々と照らしている。一階部分の壁は二面が巨大なガラス窓で、暗くなり行く空と丘の麓の帝都の夜景が見えた。


 そして、私たちが出て来たのは高さ的には二階にあたる部分。張り出しが設けてあるのだ。主催者の登場に広大な広間にいる100人以上の招待客がザァっと音を立てて一斉にこちらを見上げた。


 公爵様に手を引かれ赤い絨毯が敷かれた階段をゆっくり降りる。階段は壁に沿って途中まで降りた後、方向を変えて広間に向けて広がりながら続いていた。この階段は屋敷の主か皇族しか使えないのだ、とは後で知った話だ。


 私達が広間に降り立つと、招待客である帝国の大貴族とその夫人や令息令嬢が息を呑んだのが分かる。公爵様と私は婚礼衣装にも見える装いなのだ。そりゃびっくりするよね。


 公爵様はそんな反応は一切気にせず、私をエスコートしたまま招待客から挨拶を受ける。私は殆どの方には初対面の挨拶済みだったので、再会を喜ぶ挨拶をしようとしたら公爵様に止められた。挨拶を返すのは対等な関係の場合で身分が上の者は返す必要は無いからだ。公爵様は私がいずれ公爵様に並び立つ者として貴族達に認知させたいのだろう。私は虚ろな気分でそれを受け入れた。


 挨拶が終わったらダンスの始まりだ。公爵様は私の手を引いて広間の中央に進み出た。


 公爵様とのダンスもこれが最後だな。私がそんな感傷を抱いているとも知らず自信満々に踊り始める公爵様。腰を優しく抱いてくれる手もその笑顔も、何もかも愛おしくて悲しい。


 公爵様は外堀を埋め、水をも漏らさぬ完璧な包囲網を完成して勝利を確信している事でしょう。でも、ダメなんです。


 数曲踊り終え、公爵様は私の手を引いて何故か、降りて来た階段の所に行った。不思議な動きに招待客の視線が集まる。公爵様は給仕を呼んで、水の入ったグラスを受け取る。


 来た。遂にその時が来てしまった。私は震える脚を踏ん張って何とか立っていた。


 公爵様はグラスの水を半分飲み、私に差し出す。受け取った手が震える。その瞬間、ざわめいていた大広間が静寂に包まれた。皆様意味を知っているのだ。


 公爵様はゆったりと跪いた。皇族に準ずる公爵様が跪く相手は神と皇帝に対してのみ。その唯一の例外が今この時だ。


「大いなる女神ジュバールの名の元に私は宣誓する」


 胸に両手を重ねる正式な祈りの姿勢だが、公爵様は私を見詰めたままだ。


「何時いかなる時も君を愛し、守り、慈しむと誓う。嵐吹き荒れる海も吹雪に凍える荒野も君となら渡ってみせよう」


 公爵様は左手を胸に当てたまま、右手を伸ばした。指先に大きなエメラルドの指輪を持っている。


「結婚して頂きたい!」




 どうしてこうなった!心の中で絶叫しながらも、私は自分に突っ込まざるを得なかった。ボンヤリ公爵様の好意に甘えてグズグズ関係を続けてたからでしょうが。どうしてじゃねーよ。


 最低でもこの夜会に来る前に逃げるか、頭を下げるなり正体を明かすなりしていればこの事態は回避出来たのだ。それをせずに公爵様がプロポーズしてくるのを十分予測していながら公爵様の計画に流されたのだ。完全に自業自得だった。


 心の中で反論がある。だってしょうがないじゃない。私だってプロポーズされたかったのだから。


 キラキライケメンかつ優しく強く頼りがいもある大好きな公爵様に私だって告白されたかったのだ。溺愛され大事にされるだけじゃ飽きたらず、一生を共に誓うと言われたかったのだ。


 じゃあどうするのか。プロポーズを受けるのか?そのグラスの水を飲み干し、公爵様に左手を差し出すのか?・・・そんな事出来るわけがない。


 私は偽物男爵令嬢で本当は庶民だ。しかもスパイとして公爵様の情報を男爵に流してもいる。つまり嘘吐きだ。そんな女に公爵様に手を差し伸べる資格があるだろうか。いや、無い。そんなの誰が許しても私が許さない。


 それに、私が公爵様の元に残れば、男爵達はワクラ王国に戻り大いに吹聴するだろう。「イリシオ公爵が娶った女性は本当は我が国の庶民だった」と。公爵様が騙されたのだと笑い物にするに違いない。そんな事をさせる訳にはいかない。


 そんな事は最初から分かっていたのに、どうしても公爵様から離れられ無かった。逃げ出す事が出来なかった。公爵様が好きだから。離れたく無かったから。私はこの期に及んで公爵様への想いの強さを強烈に自覚してしまっていた。だが、もう取り返しがつかない。


 私の事を公爵様が見上げている。段々期待よりも不安の方が色濃くなってくる。そんな顔をして欲しく無い。でも、どうする事も出来ない。視界が歪んだ。涙が一気に決壊してしまう。


「ぐっ・・・」


 堪えようとしてもとても無理だ。思考はグルグルと頭を巡り、激しい感情が口から絶叫として溢れ出しそうになる。


 手からグラスが滑り落ち、砕け散った。いけない。公爵様は大丈夫だったかしら。そう考えた時には既に私の意識は無かったのかも知れない。


 私は公爵様に何の返事も出来ないまま昏倒した。




 気が付いたら宿のベッドで寝ていた。だからその後の事は男爵やお母様から聞いた。


 突然昏倒した私に大広間は騒然となったらしい。慌てて公爵様が私を抱き起こそうとして周囲から止められる。プロポーズをした男性は女性が許すまで身体に触れてはならないのだ。無理やり触れると強奪婚になってしまう。


 結局、お兄様が私を抱えて別室へ下がり、医師の診察を受けた。意識は無いが特に問題は無いという事で、屋敷で意識が戻るまで寝かせるという公爵様に謝り倒して強引に私を宿まで連れ帰ったらしい。ちなみにドレスや宝飾品は医師の診察前に公爵邸の侍女達が脱がせてくれ、元のドレスを着せてくれたそうだ。


 意識が戻った私の所に真っ青な顔で男爵がやって来た。


「今すぐ王国へ帰還する!」


「え?」


「大貴族が集まる中で公爵様のプロポーズを袖にしたのだぞ?帝国の威信に泥を投げつけたようなものだ!何が起こるか分からん!今すぐ出立だ!」


 幸い夜会が終わったら帰還予定だったから荷物の準備は出来ていた。大急ぎで馬車に積み込み、慣れ親しんだ宿を出た。


 ところが帝都の門は夜は閉まっている。私達は馬車の中で開門を待ち、早朝、まだ暗い中で開門すると真っ先に門を出て馬車を駆けさせた。帝国の街道は舗装されている上、商品が皆売れて馬車は軽くなっている。行きより遥かに早いスピードで馬車はカストラール帝国帝都ヴァルシュバールを離れて行く。


 離れて行ってしまう。


 私の目から涙が零れた。うっうっと嗚咽する私をお母様が抱き締めて慰めてくれた。偽のお母様なのにこの方は本当に良い方だった。


「分かる分かる。あんな素敵な方にプロポーズされるなんて、全女性の夢ですもの。それを断るなんて・・・。任務のためとはいえ辛い思いをさせましたね」


「あんな男がなんだ。大丈夫だイルミーレ。私がついているぞ」


 お兄様も私を励ましてくれたが、お兄様では公爵様の代わりにはならない。


 朝日を浴びて輝く帝都が次第に小さくなって行く。さようなら帝都。さようなら公爵様。そして、ごめんなさい。私は涙を流しながら心の中でお別れと謝罪をした。


 物凄い寂しさと巨大な罪悪感と潰されてしまいそうな悲しさと、ほんの少しの幸せだった記憶を残して、私のスパイ任務とお嬢様生活は終わった。


 

 


 

 

 


 

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