5.プロポーズに至るまで

 高位貴族からの招待を受けて毎日毎日夜会、というか公爵様との逢瀬(公衆の面前で)を続けて一週間ほど。


 この頃には私の事を公爵様が気に入っている。いやいやそれ以上の感情を持っている事は誰の目にも明らかだった。というか、私がようやく自分の中にそれを受け入れた。あんな超絶イケメンが、かつ公爵様が、庶民で痩せっぽちな偽装男爵令嬢の私にそんな感情を抱くなんてあり得ない。あり得ないに決まっている。私はそう思いこんでいた。思いこもうとしていた。


 しかしながら公爵様のアプローチはもはや直球だった。何しろ最近は座る時差し向かいでは無く長椅子で隣り合って座るのだ。たまにテーブルの下で手を握られたりもする。踊りながら頬を撫でられたり、気のせいで無ければ髪にキスを落とされている。二人でいる時には私から目を離さず、最近はそのラブラブオーラに負けて挨拶の方も近寄って来れない。


 どう考えても私の誤解じゃない。誤解の余地が無いよ!絶対公爵様私の事好きよね!私は頭を抱えて悶えた。どうしてこうなった。


 いや、最初はお話も固いお話というか、まじめなお話をしていた筈。街道とか市場の話したし。公爵様は他国人である私のことを警戒していて、帝国の内情をあまり話さなかったような気がする。今は家庭環境から自分の部下の失敗まで駄々漏れだけど。


 それが何時の頃からか私を見つめる目が変わっていったのだ。面白がると同時に

少し警戒しているような視線が、いつの間にか熱っぽい物に・・・。何がきっかけだったのだろう。


 思い当たる事が一つあるな。


 ある夜会で私と公爵様はダンスを終えて、立ったまま飲み物を飲んでいた。私が飲んでいたのは赤ワインで、それ程酒に強く無い私は少しづつ飲んでいた。


 と、その時給仕の男性が私の横を通ろうとして、何かの拍子にぶつかってしまった。わっと、身体が揺れ、グラスが揺れ、ワインが私の白い手袋を赤く染めてしまった。


「大丈夫か男爵令嬢!」


「す、すみません!お嬢様!」


 公爵様と給仕の男性が顔色を変えたが、私は内心を押し隠してにっこり笑った。


「大丈夫ですわ。手袋が汚れただけ」


 内心は「わーん、レースの手袋お高いのに勿体ない」などと思っているとはおくびにも出さない。まぁ、ドレスが汚れなかっただけでも良しとしよう。私が肘まである手袋を外そうとしていると公爵様が手伝ってくれた。


「一人で外せますわ?」


「良いから」


 女性の手袋を外す行為は・・・。まぁ、汚れた手袋だからノーカンでしょ。すぐにするりと手袋が脱がされる。その途端公爵様が表情を固めて動かなくなった。あれ?なんで硬直しちゃった?


 公爵様は手袋を外された私の両手をじっと見ていたが、キッと厳しい表情をして緊張して立ったままだった給仕の男性に向けて命じた。


「君!今すぐ新しい女性用の手袋を持ってこい!」


「は?手袋ですか?」


「今すぐに!急げ!」


 公爵様の厳しい声に給仕は比喩では無く飛びあがって駆け出した。何なの?別にこの夜会ぐらい素手で乗り切れば良いでしょう?マナーでは手袋はする事にはなっているけど、事情が事情だし。


 しかし公爵様は厳しい表情のまま、私を椅子に座らせテーブルに置いたあったナプキンを取るとそれで私の両手を包んでしまった。へ?そしてすぐ横に椅子を持ってくると腰かけ、ナプキンで包まれたままの私の両手を自分の両手で包んだ。


「あの・・・?」


「女性は他人に自分の指先を見せないものだ。特に君の手は誰にも見せてはいけない」


 はあ、そうですか。私は生返事をした。良く分からないが公爵様が言うならそうなんだろう。公爵様は私の手を放してくれなかったが、顔はこちらを向かなかった。いつも視線を正面から合わせる人なのに珍しい。ふと見るとなんだか耳が赤かった。


 公爵様は給仕の男性が酸欠寸前の状態で持ってきた手袋を手ずから私に着せるまで私と視線を合わさなかった。どうもあの事があってから公爵様の態度の糖度が爆上がりした気がする。どこにスイッチがあったのだろうか?手か?私は自分の手を見つめる。実は私の手はあんまりきれいではない。農作業で付いた切り傷跡、厨房仕事で付いた火傷の痕、洗剤で皮膚は荒れているし、力仕事で手の平は硬い。他人を魅了出来る手だとは思えない。


 それは兎も角、私もだが男爵も頭を抱えていた。ついでに言うとお母様やお兄様は緊張続きの夜会が続いたおかげで魂が抜けそうになっていた。何しろ私たちは「フレブラント王国から来た男爵である貴族商人の一家」だという事になっている。どこにも本当の部分が無い。全部嘘だ。嘘で塗り固めたスパイ一家なのだ。商売としてついでに社交を行うくらいなら適当に誤魔化しようもあるが、伯爵以上の大貴族に正式に招かれ、主賓扱いを受け、ガッツリ社交を行うとなると「あなたのご先祖の一族はどこの出身なのですか?」「ご本家は?」みたいな質問が飛んでくるのだ。これを「分かりません」と言えるのはお嬢様でもの知らずだから分かりませんで済む私くらいのもので、血統を何より重視する貴族なら答えられて当然の質問なのだ。男爵は私たち一家の設定を徹夜で決めて私たちはそれを覚えさせられた。


 あまつさえ公爵様ががっつり私を囲い、溺愛ぶりを隠そうともしない。帝国貴族社会が私の素性の追及にやっきになり、私の事を根掘り葉掘りお母様お兄様に聞いてくるのは当たり前である。どこで生まれたか、小さい頃はどんなだったか、好きな食べ物は、好きな色は、故郷に恋人はいるのか、いたことはあるのか、学校はどこへ行っていた、どれくらいの成績だったか、等々。お母様やお兄様には一つも答えられない。答えられるわけが無い。正解が無いのだから。まことにすまん。


 当然本来の仕事である情報収集どころでは無くなり、私が持ってくる公爵様の駄々洩れ情報が唯一の成果という状態だった。公爵様情報は有益な情報が多かったため、男爵様は大分頑張ったらしい。が、無理はいつまでも続かない。


「もう無理だ。終わりにして王国へ帰還する」


 男爵が言うとお母様はへたっと椅子に崩れ落ちた。


「や、やっと終わるのね・・・」


「よかった・・・」


 お兄様も歓喜の声を上げた。


「次の夜会でお暇の挨拶をして国へ帰還する。良いな」


「「はい!」」


「特にイルミーレ。公爵閣下には上手く言い含めるように。そうだな。また直ぐに来ますとでも言っておけ」


「そんな事言っちゃって良いんですか?」


「どうせもう来ることは無いのだ。何とでもなるだろう」


 男爵も疲れているので投げやりだ。


 そうね。私は少しというかかなり寂しい気持ちを抱いた。王国へ帰れば私は平凡な庶民に戻り、二度と帝国に行くことも無い。つまり公爵様にお会いする機会がある訳が無い。あれほど私を愛して下さっている公爵様だが、離れてしまえば、そして会う機会が無ければ熱も冷めてその内忘れるだろう。忘れて下さるだろう。


 正直、離れがたい気持ちはある。しかし、帝国に残るわけにはいかない。私はスパイとしてここに来ているのだ。残りたいなどと言ったら男爵に消されかねない。大体、残ってどうする。実は男爵令嬢では無く庶民でしたとばれたら公爵様はどう思うのか。まぁ、失望では済まないだろうね。詐欺罪で処刑なら可愛い物じゃないかしら。それに、何より公爵様に失望され、あの甘々なお顔が失望と軽蔑に歪むのは見たくない。


 うん。美しい思い出だけもらって帰りましょう。それが良い。私は納得し、最後の夜会に出かけた。


 のだったが、そう簡単に話が終わる筈が無いのであった。



「帰る!?」


 私がこの夜会を最後に国へ帰るのだ、と告げると、公爵様は表情を取り繕う事も出来ずに目を見開いて分かり易く愕然とした。まぁ、そうなるよね。私の胸はズキっと痛んだ。


「商品が殆ど売れてしまいましたし、一度フレブラント王国に戻り商品を仕入れ、また帝国に来たいと存じます」


 私が言うと公爵様は分かり易く顔を輝かせた。


「ならイルミーレは帝都に残っていれば良いではないか。男爵はまた直ぐに来るのであろう?」


「そ、そういうわけには参りません。公爵様もご存知の通り、父も母も商品の目利きが出来ません。私が行かなければ」


 むちゃくちゃな話だがそういう事になっている事は公爵様も知っている筈。絶句してしまった公爵様に私は淑女の礼では無く丁重に頭を下げる。


「公爵様には滞在中、格別なご配慮を頂きました。わたくしの様な者には勿体ない程のご厚遇、ご温情を頂き、感謝の言葉もございません」


 う、マズい。泣けてきた。私は必死に涙を堪える。目が潤むくらいは仕方が無い。声を震わせ無いようにするのも努力が必要だった。


 それから私は略式では無く正式な神への祈りの姿勢をする。左膝を地に付き、両手を胸の前で重ね、深く頭を下げた。本来は略式で十分なのだかそこは私の気持ちだ。


「せめてものお礼に大女神ジュバールと7つ柱の大神にアルステイン・サザーム・イリシオ公爵様の幸運を祈らせて頂きます。神に祈りを」


 これに「感謝を」と公爵様が返せば古式のお別れの挨拶は終了である。が、公爵様は絶句したままだ。私は膝を付いた姿勢のまま待つ。周囲の人々が跪いた私に気が付いてざわめき始める。


「わ、分かった。とりあえず立って、イルミーレ・・・」


 感謝を貰え無いまま私は立ち上がらせられ、公爵様と一緒に長椅子に腰掛けた。


 公爵様は右手で目の上を押さえて、分かり易く絶望していた。いつも優しく穏やかに微笑を崩さない彼がそんな風になっているのを見ているのは辛い。沈黙に耐えかね私は声を掛けた。


「あの、公爵様?」


 公爵様は肩をビクッと動かし、それからゆっくりと右手を下ろす。暗い表情でジッと私を見詰めた。


「あの・・・」


 私が口を開こうとすると、公爵様は手を伸ばして私の手を握った。その手の暖かさに私は言葉を継げなくなる。


 公爵様はしばらく真剣な表情で私の事を見詰め、何回か言葉を発しようと口を開いては失敗した後、ようやく笑顔を取り戻して言った。


「・・・分かった」


 私はホッとすると共に、胸に穴が空いたような心地がした。目が潤む。


「だ、だが」


 公爵様は私の手を強く握り直した。


「最後に別れの宴を開かせてくれないか?」


「え?」


「君との暫しの別れを惜しむ夜会を私が開く。それに出て欲しい」


 うぐっ、この時点で私の頭の中で危険信号が明滅した。公爵様主催の夜会?そんなのに出て大丈夫なの?凄く危険な気がする。何が危険なのか分からないけど物凄く危険な気がするわ!


「わ、わたくしの一存ではお返事出来かねます。もう帰還の準備をしてしまいましたし」


「分かっている。お父上の許可は取る。そうしたら出てくれるか?」


 まさか嫌とは言えない。了承の返事をするしか無かった。お父様!断って!これ絶対受けちゃダメな奴!


 ・・・勿論、男爵風情が公爵様直々のお願いを断れる筈が無いのである。その夜会の場で公爵様に物凄い圧で迫られつつ出席を約束させられたお父様は、翌日にも呼び出され念を押されたらしい。呼び集められた私達の前でお父様は疲れ果てていた。


「出席せざるを得まい。『あなたが持っている商品はガラクタ一つに至るまで私が買い取る。引き換えに絶対に出席するように』と公爵に自ら言われた」


 退路を絶たれたー!私は愕然としたが、お父様やお母様はホッとした顔をしている。


「まぁ、良かったのでは?これが終わったら出国出来るのでしょう?という事は私たちの活動が疑われていないという事ですもの」


「そうだな。商品が全部売れるなら予算が助かったしな。有益な情報もかなり集められた。君のおかげだイルミーレ。よくぞ公爵自らをたぶらかしてくれた」


 いや、別にたぶらかして無いし。というか、安心してる場合じゃない。全然無いよ。私は一応提案してみた。


「私は出席しない方が良いのではありませんか?その、体調を崩した事にでもして・・・」


「何を言っているのだ。公爵は我々なんぞよりむしろ君をお招きなのだぞ?先程も言われた。『もしもイルミーレが不測の事態で出席出来ないような事があれば、宴は延期して其方らの出国を禁ずる』と」


 更に回り込まれたー!さすが軍で名将と言われる公爵様。確実に逃げ道を塞いでくる。ジワジワと包囲されるような錯覚を覚えて冷や汗をかく私を尻目にお父様は、ああ、と付け加えた。


「夜会は三日後。それまで他の夜会には出るなとのことだ。当日は昼食をご馳走したいとのお話だから昼前には公爵邸に行くぞ」


 絶対それ罠だからー!私は心の中で絶叫した。

 




 

 

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