4.公爵様のお気に入り

 夜会が終わると反省会だ。男爵のお部屋に集まり情報の擦り合わせをする。最初の夜会でいきなりイリシオ公爵様という大物との面識が持てた事で男爵は大いに気を良くしていた。


「幸先が良いスタートだ。この調子で情報を集めよう」


 全員の集めた情報を男爵様が書き留める。私も一応公爵様はタバコを吸わないとか、ダンスがすごく上手だったとかどうでも良い情報を言っておく。お母様とお兄様は慣れない社交とやったことも無い商品販売に振り回されて草臥れ果てており、碌な情報を得てはいないようだった。まぁ、お父様がその分集めたでしょ。


「イルミーレは商品の説明が上手いな。その調子でやってくれ。分からない客は全て君に回すからな」


 はいはい。分かりましたとも。私としてもあんな良い加減な商品説明で売りつけた挙句、苦情クレーム返品騒動が起こってもたまらないし、スパイとして何か出来るとは思えないから売り子は任せて頂きたい。


 夜会は毎日あるわけでは無いので、それ以外の日は情報収集という名の街歩きだ。広大な帝都だから全部は無理だが、歩ける範囲で探検した。一応お嬢様である事になっているので男爵の奥様から借りた普段着を着て仲良くなった若い侍女を連れて。最初に高い皿が売れて気を良くした男爵はお小遣いを持たせてくれた。


 帝都を探検すればするほど感じるのは帝国の豊かさだ。何しろ人が多い。市場などは他人に接触しないでは歩け無いほどだ。それ以外の常設の店も多く、しかも客も沢山入っている。王都ではこんなの見たことが無い。何度か食堂に入って食事をしたが、貴族が入っても大丈夫な食堂が何軒も街中にあるのがそもそも凄い。良く分からないけど、こんな豊かな国にケンカ売って大丈夫なのうちの王国?止めといた方が良いんじゃない?


 まぁ、私はそんな事言える立場じゃないから言わないけど。そうこうしている内にまた夜会があり、ドレスを着て出席する。ご令嬢方は最初はジトっとした目で私を見ていたが、この日は公爵様がいなかったからか、しばらく話をしたら程良く打ち解けてくれた。まぁ、話のネタは八割公爵様がどんなだったかだが。


 情報収集は順調らしい。私は相変わらず商品販売に勤しみ、こちらも好調。それから何度か開催された夜会で仲良くなったご令嬢には何と昼間のお茶会に招かれたりした。ボロが出たら大変なので謹んでお断りしたが。


 そんな順調なスパイ生活だったが、ある時からその順調さが狂い始めるのである。あのお方のせいで。



 その日の夜会は子爵邸で開催されていた。帝都に来て1ヶ月もすると私たちの販売会は飽きられ始めており、今日の参加者は20名ほどと少なかった。商品は毎回入れ替えてはいるのだが、何回か来てくれているお客様はもう全部目にしてしまっているのだ。


 商品説明する機会も減り、私はご令嬢方とおしゃべりしていた。ご令嬢方は私がする異国の話を楽しんでくれたし、ご令嬢方が話す帝国の貴族社会のゴシップは実は良い情報源らしく収集して報告すると男爵が喜んだのだ。


 すると、ホールの入口が騒がしくなった。あれ?デジャヴだな。誰か身分高い人でも来たのだろうか?


 ホールの入口を見ると、パーっと明るくなった。え?あのキラキラは?


 見間違いようがない。あんなイケメンは二人といない。アルステイン・サザーム・イリシオ公爵様は銀色の髪から光を振りまき、エメラルド色の瞳を柔和に細めてこちらをチラッと見た。ご令嬢方が黄色い悲鳴を上げる。


 え?なんで?なんでこんな小規模な夜会に来るの?私は、公爵様が男爵子爵辺りが開催する夜会に出てくるのはまず有り得ない事だと既に学習していた。前回の登場は珍しいフレブラント王国の品に興味を持ったのだろうと聞いたのに。


 公爵様はお父様たちに挨拶するとしばらく歓談し、続けて私のところにやって来た。私の周りにいたご令嬢がサササっと道を開ける。私は緊張を押し隠しながら淑女の礼をする。


「ごきげん麗しゅう存じます。イリシオ公爵様。大いなる女神の恩寵により尊き方への再会が叶いました。神に感謝を」


「ありがとう。シュトラウス男爵令嬢。其方は古風だな。私はもう皇族では無いのだからそんなに畏まる必要は無い」


 公爵様は苦笑しながら言った。今日は最初からリラックスしてる。私も微笑みながら麗しいご尊顔を見上げる。はー、相変わらず素敵だわ。


「この間は無かった商品があるのだろう?見せてくれるか?」


「はい。光栄でございます」


 私は求められるままに公爵様を案内し、彼は一番高いフレブラント王国の陶磁の燭台を買ってくれた。陶磁器が好きなのかしら。


 お買い上げの後は流れるようにダンスに誘われ、また三曲ご一緒する。ダンスも大分慣れてきた。その分、公爵様の物凄く近いお顔とか、腰に添えられる手だとか、握られた手だとかをめちゃくちゃ意識してしまうのだけど。


 ダンスを終えたらそのまま手を引かれてテーブルに案内される。え~?


「あの・・・」


「少し君と話がしたい。付き合ってくれないか?」


 まさか嫌とは言えませんよ。私は大人しく、勿体なくも公爵様が引いてくれた椅子に腰掛ける。


「酒は?」


「少しであれば」


 公爵様は給仕からグラスを取り、私に渡してくれる。


「どうかな、帝国に滞在して暫く経ったが、何か不都合は無いか?」


「大変楽しく過ごさせて頂いていますわ。公爵様。帝国は素晴らしい所ですね」


「ふむ、どのような所が良いと感じた?他国人の意見は貴重だからな」


「素晴らしい所は沢山ありますが、街道が舗装されているのは特に素晴らしいですね」


 私がそう言うと公爵様は意外そうな顔で目を瞬いた。


「変な所に目を付けるな?」


「そうでしょうか?道中通過したワクラ王国国内は舗装されていなくて、馬車が揺れて腰が痛くなりましたもの。帝国内は舗装されていて快適で、走行中に寝てしまうほどでした」


「ほう」


「あのように快適に舗装されているから、市場もあのように盛況なのでしょうね」


 私の言葉に公爵様の目が丸くなる。


「街道の舗装と市場がどこに結び付くのだ?」


「市場を見せて頂いたら、遥か離れた海で捕れた筈の魚が生きた状態で売られていましたわ。聞けば街道を飛ばして一昼夜で帝都に持ち込んだのだとか。そんな事、街道が未舗装なら出来ない事です」


 私は海の近くで育ったので、たまには海魚が食べたくなるのだが、帝都よりはるかに海に近い筈の王都では生の魚などとても無理で、せいぜい干した魚があるくらいなのだ。帝都の市場に生きた魚が売っているのは本当に羨ましかった。


「あのように色んな商品が遠くから市場に集まれば、みんな帝都に住みたがるし、そうすればますます商品が集まって、帝都は益々栄えるでしょうね。素晴らしい事です」


 私が魚料理を思い浮かべて内心でよだれを流していると、何故か公爵様はやや真剣な顔をしながら私を見ていた。いけないいけない。お嬢様モードが剥がれる所だった。


「・・・他には」


「そうですね。帝都は緑豊かで素晴らしいですね。水は水道橋で引いているのですよね?」


「ああ、そうだ」


「それだけで無く地下水も汲み上げてますよね?」


 公爵様の顔色が変わった。


「なぜそれを?」


 私はキョトンとなる。


「え?だって帝都にあるいくつかある高い丘、見に行ったら貴族のお屋敷で入れませんでしたけど、みんな緑豊かですもの。水道橋が通っているのは丘より低い場所ばかりです。なら丘を潤す水は地下水を使っているのかなと?」


 兵部省での下働きで一番大変なのは水汲みで、建物がやや高台にあるせいで水道橋から引いている水汲み場から人力で汲んでこなきゃいけないのだ。帝都の丘は兵部省より余程高い。あんな所まで人力で運んでいると考えるより別の水源があると考えるのが自然だろう。


 公爵様は何だか愕然とした顔をしていたが、やがて気を取り直したように微笑み直した。


「男爵令嬢の視点は面白いな。ところで、通過してきたワクラ王国についてはどう思うか?」


「帝国とは比べものになりません。取るに足らない国です」


 私は普通にそう言い切った。祖国に対して酷い言いぐさだが、帝国を知ってしまうとそう言うしかない。公爵様は微妙な表情を浮かべた。


「他に気が付いた事は無いのか?」


「特には」


 公爵様は笑顔こそ崩さないが、ほんの少し眉をしかめた。あれ?返事がお気に召さなかったみたい。でも他に言う事無いしなぁ。私は内心焦りながらも微笑みを崩さない。


「本当に君は興味深いな」


 公爵様は呟くとニヤッと笑った。え?どういう事?


 それからは他愛もない話をして、別れの挨拶をし、公爵様は去って行った。勿論その後に私がご令嬢方に取り囲まれて質問責めされたのは言うまでも無い。




 まぁ、ほんの気まぐれだろう、と思っていた事もありました。


 しかしながら公爵様は次の夜会にも登場したのだ!同じように私から商品の説明を受け、ダンスをし、テーブルを挟んで差し向かいでお話をし、帰って行かれた。


 その次も、また次も。毎回公爵様は甘いマスクに麗しい笑顔を乗せて現れた。どうやらあのフレブラント王国の貴族商人はイリシオ公爵に気に入られたらしいぞ、あいつらが来るとその夜会には公爵様が来るらしい。帝国貴族界は騒然としたそうだ。後から聞いた話だけど。


 公爵様は夜会では非常にレアな存在らしく、出て頂けただけでもステータスになるらしい。その公爵様が私たちが出る夜会に必ず来るとなればどうなるか。シュトラウス男爵の元には招待状が殺到する事態となった。それも男爵子爵などではない。伯爵侯爵からの招待状がずらっと並んだのだ。男爵は喜ぶどころではない真っ青になった。商品販売なぞしなくても良い。なんなら男爵も来ないで構わないから娘のイルミーレ・ナスターシャ・シュトラウスだけよこせと書いてある招待状もあったらしい。これでは情報収集など出来るとは思えない。


 しかし帝国の大貴族からの招待状を断るわけにもいかないのも事実で、私たちは仕方無く招待を受けた。初めて伯爵邸の大ホールに入った時にはあまりの壮麗さに立ち眩みが起きた。上には上があるってものなのだ。しかしながらやはりそこにも公爵様はホールを圧倒する美麗さを振りまいて現れたのだった。


 最初の内は一通り挨拶などの社交をこなし、それから私の所に来て商品など見てから、ダンス、おしゃべりという手順を踏んでいた公爵様だったが、何度か夜会を重ねるにつれ、だんだん手順をすっ飛ばし始めた。他の人に挨拶する事無く私を見つけると真っ直ぐに寄ってくるようになったのだ。


「こんばんは。イルミーレ嬢!」


 いつの間にか名前呼びだ。こちらが主催では無く招待されている場合は、要請されている時以外は商品を持ち込んでいない。つまり、私はやる事が無い。そうなると「では、踊ろうか」と公爵様に手を差し伸べられると断る理由が無い。


 数曲踊ると公爵様に手を引かれてそのままテーブルへ。食事やお酒を共にしながらお話をする。話題は料理やお酒の話題から始まって、帝国や公爵様のお仕事や幼少の頃の話や普段の生活の話。まぁ、公爵様が話して私は聞いてただ笑っているだけの事が多かった。何しろ私の普段の下働き生活など話すわけにはいかない。


 お話をしている公爵様は楽しそうで、そういう時は年相応の幼ささえ残る笑顔で、そんな公爵様を見ているのはそれだけで楽しく幸せで、私もあながち作り笑いばかりでいたわけでは無かった。


 途中で公爵様に挨拶に来る高位貴族も多く、そういう時は公爵様は笑顔ながら不機嫌という器用な表情をしていらっしゃった。挨拶を終えた貴族は私の事もじろっと観察をしていったが私は鉄壁の作り笑顔をして知らん顔だ。


 会が終わると公爵様は私をエスコートして馬車まで送って下さり「またね、イルミーレ」と笑顔を下さってお別れ。


・・・。なんだこれ。どういう事なの?


 いや、もちろんですよ?私だって今の自分が周囲の帝国貴族にどう見えるかなんてわかっていましたよ?本当ですよ?


 何しろ公爵様があからさまに私を贔屓し始めると周りの令嬢方の嫉妬が凄い事になりましたからね。仲良くなった筈の下位貴族の令嬢は近付いても来なくなり、その代りにやってきたのが鬼の顔した令嬢たち。高位貴族の年頃のご令嬢が十数人。ある夜会で私がお兄様にエスコートされて入場するとお兄様を跳ね飛ばして私を取り囲んだ。


「あなたどういうつもりなの!」


 語気荒く香水の匂いも勇ましく目を吊り上げて迫りくる伯爵令嬢。


「公爵様のご寛容を良い事に良い気になって!身分を弁えなさい!」


 そんなに鼻の穴を大きくするとせっかくのお鼻の形が崩れますよ侯爵令嬢。


 そんな事は言えないので私はただただ頭を下げる。


「おっしゃる通りでございます。私は公爵様のお気紛れに付き合わせて頂いているだけのしがない男爵の娘でございます。高位貴族の皆様のご機嫌を悪くさせてしまった事お詫び申し上げます。けして不遜な事は考えておりません」


 これは本音だ。たかが男爵令嬢(しかも本当は庶民だ)が貴族社会で目立ったって碌な事は無い。伯爵とか侯爵みたいな本当の大貴族が本気を出したら今日の晩にも殺されても不思議は無い。そんな事は貴族社会に疎い私にだって分かる。


 出来れば公爵様には近づかない方が良い。そんな事は分かっている。だけど・・・。


「そこで何をしている?」


 公爵様にしては珍しく固い声色だ。それでも美声なのだが。その声に私を囲んでいた令嬢方が飛びのく。眉間に皺を寄せ珍しく笑っていない公爵様がご令嬢方を見下ろしていた。


「イルミーレに何かしたのか?」


「い、いえ、わたくし達は別に・・・」


「皆様は貴族社会に疎いわたくしに貴族の心構えを説いて下さったのですよ」


 私は慌てて公爵様の前に出る。ここで公爵様が令嬢方を叱責でもすれば私へのヘイトがまた高まってしまうだろうという計算だ。公爵様は私を上から下まで見て無事を確認すると「そうか」と笑って私の手を取った。


 だって、公爵様が来てしまうんだから仕方ないよね。仕方ない仕方ない。私はそう言い訳していそいそと公爵様に寄り添った。


 その、私だってこんな素敵な公爵様に毎日寄って来られ、大事に扱われて嬉しく無かった筈は無く、有体に言ってかなり舞い上がっていたのだ。いずれ王国に戻って庶民に戻ればもうこんな体験出来ないんだもの。帝国にいる間くらい夢見ていてもいいよね。


 などと私が色ボケた頭で甘い事を考えてる内に、事態は撮り返しが付かない段階まで進んでいたのだった・・・。


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