7.イルミーレとの出会い 公爵サイド

 私の名前はアルステイン・サザーム・イリシオ。年齢は20歳。位階は公爵だ。カストラール帝国の先の皇帝の息子として生まれ、父の崩御、兄の即位に伴って公爵となった。臣籍になったとはいえ、兄にまだ子供はいないので、今の所の皇位継承順位は一位である。


 私は身体を動かす事が好きで、剣術を好んだ延長で軍務に携わってきた。性にも合ったし才能も幸いあったのだろう。軍を率いる立場になって戦いで何度か勝利を収めるまでになった。今では軍務大臣だ。


 その私に面倒な報告が上がってきたのはその年が始まってすぐだった。


「ワクラ王国が?」


 我がカストラール帝国の西にあるワクラ王国が帝国に軍事侵攻を企んでいるとの報告だった。


「諜報員の報告、国境部隊からの報告のいずれもそれを示唆しているな」


 報告してきたのはブレン・ワイバー。平民だが私の副官で、長い付き合いの友人だ。だから二人きりの時は口調がフランクだ。


「またどうしてそんなバカなことを企むのか?あの国の能力で我が帝国に攻め込むなど無謀すぎるだろう」


「このところの冷害続きで国民の不満が高まっているから、対外戦争で目を眩ませたいんだろ?良くある話だ」


 ワクラ王国は帝国の東にある小国で、土地も痩せ人口も少ない大したことの無い国で、帝国としては全く重要視していない相手だった。正直、攻め込んで併呑しても労多くて功少ない土地だから独立を許している程度の扱いで、その気になればあっという間に占領出来るだろう。


「迷惑な」


「まぁ、仕方ないな。どう対応する?」


「どうもこうも無い。諜報員と国境にはそのまま警戒させよ。動きがあったら対応する」


 ワクラ王国がどこを狙っているかは知らないが、どこへ攻めてきても我が帝国自慢の街道網を使って帝都から迅速に軍を差し向ければ良いだけだ。今の時点でやる事など無い。私はその情報を頭の隅に放り込んでほとんど忘れてしまった。


 それを思い出したのはそれから三カ月も経ったころだった。


「スパイ?」


 相手はまたブレンだ。


「ああ、フレブラント王国の貴族シュトラウス男爵、を装ってワクラ王国の貴族が入国申請を出している。十中八九スパイだな」


 ああ、そういえばワクラ王国が侵攻を企んでいたんだったか。私は思い出した。


「入国理由は商売。貴族商人を装うつもりらしい。入国するのはシュトラウス男爵と夫人、息子と、娘。一家で入国して社交界で情報収集をするつもりなんだろう」


 なるほど。貴族商人は夜会を開いて社交界で交流しながら商品を売る。その過程でいろんな情報に触れる機会もあるだろう。良く考えたものだ。男爵の身元がバレバレなのが難点だが、もう少し上手くやれば帝国も宿敵ペグスタン皇国との諜報戦に使えそうだな。


「どうする?入国を拒否することも出来るが?」


「いや、良いだろう。入国して商売させてやれ。帝国の強大さを見せつけてやれば侵攻を考え直すかもしれん」




 それはほんの気まぐれだった。たまたまその日の公務が早く終わったという事もあった。前日に「例のスパイ一家が明日最初の夜会を開くらしい」と聞いたのが耳に挟まっていたのも理由の一つだ。どんな連中が来たのか、少し興味があったのも事実だった。そんなこんなが集まって「ちょっとその夜会を覗いてみようか」という気分になったのだ。


 もちろん、私が下位貴族の夜会に出る事など普通は無い。そもそもその男爵一家には諜報員が貼りつけてあるし、夜会にも部下が出て監視している。だから私が出る必要など本来は一切無い。


 使いをやって開催者のローグ男爵に確認すると是非来てください!という話だったので、私は軍務省から出ると騎乗して会場のローグ男爵邸へと向かった。小さな男爵邸の門を潜り馬を降りると、転がり出てきたローグ男爵の歓迎の挨拶を聞き流しながら舞踏会が開かれているホールに入った。


 ごく小さいホールには50人くらいの紳士淑女が集まっていた。ざわめきが起こる。一際甲高い叫び声が上がった方につい目をやると、そこに目を引く存在がスラッと立っていた。


 若草色のドレス姿の、背の高い女性だった。燃え上がるような緋色の髪が特に印象的だ。ブルーダイヤモンドのような透明感のある視線で私の事を見ている。周囲の令嬢のように騒ぐでも無く泰然と佇む様は女王じみていた。


 思わず、彼女の前に行ってしまった。本来は主賓のシュトラウス男爵の挨拶を受けるべきであるのに。


 私が彼女の前に立つと、彼女はゆるりと首を傾げた。その堂々たる態度に思わず私の方が挨拶をしそうになる。彼女はふっと笑うと、優雅に淑女の礼をした。


「初めまして。ご挨拶をさせて頂けますでしょうか?」


 滅多に見ない程見事な礼だった。私が頷いて許可を出すと彼女は姿勢を全く崩さないまま言った。


「ありがとうございます。わたくしはシュトラウス男爵令嬢、イルミーレ・ナスターシャと申します。以後お見知りおきを」


「うん、私はイリシオ公爵アルステイン」


 私が返答する。私は彼女が顔を起こすのを待った。しかし。


「公爵閣下のご尊顔を拝した奉り恐縮至極でございます。遠きフレブラント王国より珍しき品を携えここに至りました。縁あって帝国での商売を許されましただけでも僥倖でありますのに、公爵閣下のような尊き方へのご面識を授かるとは、大女神ジュバールのお導きとしか思えません。女神への感謝と公爵閣下のご繁栄をここに祈らせて頂きます。・・・神に祈りを」


 私は衝撃のあまり「感謝を」と返答する声が震えないよう気を付けなければならなかった。


 これは古式の礼法での初対面の挨拶で、現在では高貴な身分の人間相手にしか使わない。普通の令嬢。しかも皇族王族に目通りする可能性がほぼ無い男爵令嬢が知っている筈が無い物だった。以前、部下の伯爵令息に聞いた事があるが、皇子であった私に初対面の挨拶をするために何日も前から口上を考えて覚えさせられたらしい。


 完全な定型文では無いから口上の内容を考えなければならないのだから即興で出来るものではないのだ。しかし彼女は事も無げに練習していたから出来たと言った。なぜだ?皇族に出会う予定があったという事なのか?それにしても咄嗟にあんな長い口上がすらすら出てくるものなのだろうか。


 彼女の前を立ち去ってからも疑問は去らない。続けて挨拶を受けたシュトラウス男爵とその夫人の挨拶はごく普通で、それどころか緊張して声は震えどもって酷いありさまだった。令息を名乗る男に至ってはアワアワとして挨拶さえ出来ない。明らかに小物。泳がせても大した情報は集められまいと安心出来る連中だった。


 つまり、彼女だけが異質だった。チラチラとこちらを見て騒ぐ令嬢たちを相手にしながら悠然と笑うシュトラウス男爵令嬢。明らかに格が違う。男爵令嬢では無く実はもっと高貴な令嬢なのではないか?このぼんくら男爵は目晦ましで、あの女性が真のスパイなのか?


 どうしても気になった私は男爵令嬢の所にもう一度行き、試してみる事にした。令嬢に商品の説明をしていた男爵令嬢はゆるりと私を見上げて来た。その様子に緊張や警戒は欠片も見られない。ブルーダイヤモンドの瞳は怜悧で知的でそして真っ直ぐだった。


 私は商品の中でも珍しく説明が難しいモノを選んで男爵令嬢に説明を求めた。すると男爵令嬢は正確で端的な返答をよこした。私は驚いた。ワクラ王国よりはるかに南の海で獲れる珍しい珊瑚のパイプを事も無げに説明してみせたのだ。


 途中でやって来たシュトラウス男爵の説明は酷いもので、男爵令嬢が慌ててフォローする始末だった。男爵令嬢がいなければこの一日でこいつらは偽商人ではないかと疑われて社交界出入り禁止になったのではないかと思わせる酷さだ。


 ふと、陶磁器が並べてある中で一つの皿に目が留まった。


 それは島国フレブラント王国の東、遥か大海原を越えた先にあるフォンという国の物で、滅多に手に入らない貴重な磁器だった。それが色んな陶磁器の中に無造作に置いてある。何でこのような所にこんな貴重なものがあるのだ?


「どうしましたかな?ああ、それはフレブラントの磁器ですな」


 ぼんくら男爵が言った。ふん、バカめ。どうやらこれの価値を知らないと見える。私は陶磁器を少しコレクションしている。価値を知らぬなら安く手に入れられそうだ。私が直接購入すると、こいつらに箔を付けてしまう事になるから、後でブレンにでも買わせよう。


「違いますわお父様。それはフレブラントのものではありません。東の海を越えた先にあるという国から渡来したものです。とても貴重なものですのよ」


 私はまたも驚愕した。実際、この皿は別に特別なモノには見えないから、このように他の陶磁器と混じっていると簡単には見分けがつかない。見慣れて見分け方を知っている私だから分かったようなものなのだ。


 驚愕する私を優雅な姿勢で見上げている男爵令嬢。私は思わず「貰おう」と言ってしまった。どよめきが起こる。しまった。うっかりこいつらに私のお墨付きを与えてしまった。男爵令嬢に値段を言われた従者が顔を引き攣らせている。あの皿はそのくらい価値のある皿だ。公爵である私があんな高価なモノをこいつらから購入したというのは、こいつらにとって何よりの宣伝になるだろう。




 ぼんくら男爵の話をのらりくらりと躱しながらも気になるのは男爵令嬢の正体だ。あれは絶対に只者では無い。少なくとも男爵令嬢では無い。あの丁重で優雅な身のこなしはもっと高位の貴族でもおかしくはない。そう考え出すとどうにも気になった。私は男爵に断って立ち上がり、また男爵令嬢の元へ向かった。


「男爵令嬢、一曲お相手願えるかな?」


 私が手を差し出すと流石に男爵令嬢が目を丸くした。周囲の令嬢が騒ぎ出す。私は急な誘いを言い訳するように理由を並び立てて、男爵令嬢をホールへと連れ出した。そういえば令嬢と踊るのは久しぶりだな。


 ふと、間近の男爵令嬢を見下ろす。あれ?私は驚いた。良く見ると男爵令嬢の若草色のドレスは色が褪せてその色になったようで、本来はもっと濃い目の緑だったようなのだ。つまり古いのだ。良く見るとサイズも微妙に合っていない。袖が短く肩が窮屈だ。そう気が付いて良く見ると、彼女を飾る髪飾りもネックレスも酷い安物で、そこに販売している物の方がよっぽど良い品なのだった。私の、彼女が高位貴族であるという仮説が途端に自信を失った。


 ホールで向かい合いつつ「ダンスは?」と聞いたのはもしかしてやはり彼女は本当に男爵令嬢に過ぎないのではないか?と思ってしまったからで。彼女が「あまり経験がありません」と返答してくるのを聞いてより仮説が怪しくなる。


 しかし踊り始めると彼女は堂々とした態度で悠然と私のステップに付いてきた。経験が無いなんて嘘ではないか?私はまた怪しんだ。しかしステップを少し難しいものに変えると、確かに彼女は付いて来れない。確かにあまりダンスの経験は無いようだ。


 しかし驚くべきはその学習能力で、私が少し教えるとすぐにそのステップが踏めるようになるのだ。私は驚きつつ、続けて何曲か踊りながら彼女にステップを教え込んでしまった。覚えの良い人間に物を教えるのは楽しいものだ。


 少し名残惜しい気分さえ覚えながら彼女の手を放すと、わーっと男性が男爵令嬢に押し寄せた。後で聞くところによれば私と踊る男爵令嬢があまりにも美しく、どうしても踊ってみたい!と興奮した男性が押し寄せたものらしい。確かに、男爵令嬢は楚々とした様子で立っているだけでも十分に美しいが、ダンスをして躍動すると更に輝きを増すようだった。緋色の髪がふわりとたなびく度、私の心が不思議と騒いだ。なんだろう。これは。


 あまりダンスの経験が無い男爵令嬢はダンスの断り方が分からなかったらしく、最終的には這う這うの体で逃げて来た。私が近くにいる事も気が付かずに椅子に座りこんでため息を吐いている。何というか、あんなに気品のある立ち振る舞いが出来るのにダンスの断り方は知らないなど、ずいぶんアンバランスな感じがした。


 私が水を取ってやると、男爵令嬢は恐縮しつつも一気に水を飲み干した。まるで男性のような潔い飲み方だ。私が少し驚きながら見ていると、気が付いて頬を少し染めて子供っぽい笑顔を見せる。


 しかし私が帰ると言うと、立ち上がって典雅な姿勢で別れの挨拶をして見せるのだった。何とも違和感がある。落ち着かない。私は解明出来ない疑問を抱えたまま、夜会の場を後にした。


 それが、イルミーレ・ナスターシャ・シュトラウスと私の、運命の出会いだった。

 


 



 



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