第六章

 1  組長 津野田勝彦の語る真実


 津野田組本部前に、闇に紛れた影があった。

綾乃は、本部前に立っていた用心棒に来訪を告げた。

「私は、加賀町署の成宮、組長にお会いしたい」

不意な来客に驚いた様子であったが、取り次ぐと許可されたようである。

「組長が会ってくれるそうだ」男が、綾乃の全身を目で舐めた。

5階建てのそれほど奥行きのある建物ではない。綾乃は、3階の応接室に通された。中には、4、5人の男たちが組長を守るように取り囲んでいる。


「成宮刑事自らがお越しとは、これは驚いた」組長津野田勝彦は、白髪頭の短髪で60がらみの眼光鋭い男であった。背丈はそれほど高くない。

「私を知っていると、言うの?」

「もちろんですよ。浜では、有名な方ですから・・、どうぞ、お掛けください」                         綾乃は、テーブルをはさんで組長と対峙する形となった。

「私の目的は、倉田美咲さんの解放…、これだけのお願いのために来たの」

「また、藪から棒のようなことをおっしゃいますね。そんなことは、旦那に任せておけばいいのですよ。自らが招いた結果なんですから・・・」

「その倉田刑事が、元ヤクザと名乗る男に襲われ負傷しているの。あなたは知らないとでも?」

「その襲ったとされる男の名前は?」

「勝野純也よ…」

「私は、知りません。きっと、よその組のものでしょうね。警察官は、恨みを買うことも多いでしょうから・・」

「信じられない。倉田が死ねば、あなたにもメリットがあるはずでは?」

「それはそうかも知れないが、私は、人の命を奪うのは好きではないのです」

「武闘派やくざのセリフとは、思えないわ。自分の手は汚さないという意味でしょ」

「何とでも解釈されて結構ですよ・・・」

「信じましょ。人権派の組長さん!」

「たしか倉田が、随分前からあなたの命を狙っていたはずだが・・・、」

「嘘言わないで! どうして倉田さんが私の命を…、信じられるものですか!」


「そりゃ、あなたにとっては青天の霹靂っていう言葉がぴったりでしょうね」

「どういうことなのか、説明してもらいましょうか……」              組長の思いがけない言葉に、綾乃の声が、震えている。

「あなたは、当事者だ。良いでしょう。何が彼を追い立てたか話てあげましょう。

倉田は、単独で女房を返せと言って来たんですよ。所轄の日之出警察に応援を頼んだらしいが、全く相手にもされなかったんだ。それには、この土地ならではの特殊性があってね。戦前の話だが、貿易港として繁栄したことで全国から訳ありの人間が集まるようになった。なんせ、身体を動かせば日銭が入るのだからね。そして、当然のように治安が乱れ犯罪の巣窟となって行ったんだ。こういう土地では、警察の力なんて何の役にも立たない。そこでだ。自衛組織が生まれ、それが組となって今に至るのですよ。横浜に事務所が多い理由がお分かりになったでしょう。

ある意味、我々は反社ではなく、権力と結びつくことで社会に均衡をもたらしている社会的存在という事です。当然、警察組織にも我々の理解者が多くいるという事になる・・・」


「組長の言う屁理屈は分かったけど、私が狙われる理由が分からない…、」

「倉田には、女房を解放してやっても良いと言ってやったんだ。しかし、条件を一つ与えた。それは、我々の存在に理解を示さない邪魔な5人の警察官の内、一人でも排除出来たらという条件付きだ。排除の意味は任せた。そして、どんな手段を使っても良いとね。

倉田が選んだのは、成宮刑事、あんただった!。理由は分からないが、たぶん

女ならバラしやすいとでも考えたのかも知れないな・・・」


「それなら、なぜ知り合って3カ月もの間、なんの行動も起こさず無駄と言える時間を費やしたのかしら?」

「それは、私にも分からない。男と女の間のことだ。何かがあったとしても不思議ではないだろう」

「組長、あなたも随分、人の情ということが分かる人間みたいね…」

「誉めているつもりですか?私はあんたが思っているような柔な人間ではありませんよ」

「もう一つ疑問があるの? あなたに指示を出した人間は誰なのかしら?」

「良いでしょう。しかし、これを聞いたらもうシャバには戻れないと思って下さい。この判断は、あなた自身で決めてもらいましょうか?」

「……、分かった。話して…。」警察官として、逃げるわけにはいかない。真実を知りたいと思う心が勝っていたのだ。


「人間というのは、権力を握ると駄目になっていく生き物らしい。政治家もご多分に漏れずね。最初は、誰でも純粋に小さな人間たちに寄り添いたいと思って政治家を目指すものだが、いつしか私欲にまみれてくる。しかし、我々はこんな連中の存在のお陰で飯が食えていると言ってもいい。いわば、表面に出ない裏の仕事を任されるわけだからね。

あなたも、もう想像は付いていると思うが、冥土の土産ついでに話すとしよう。

 すべてを取り仕切っているのが、国会議員連盟が主催する『住宅・土地問題研究会』のドンと呼ばれるX議員だ。名前は言えないが・・・。

そして、この下部組織と言われているのが地方議会の議員連盟が構成する『土地開発研究会』であり、実態は行政や個人の持つ土地を安く払い下げることで利ザヤを稼ぎ、それを政治家に還元させるという構造だよ。当然、デベロッパーや建設業者も身内で固めることになる。問題が起きた時には、我々がそれに対処することで実入りとなり、生活が出来る」


「ありがとう。これを裁判でも証言してくれると助かるわ」

「成宮刑事、冗談を言ってはいけませんよ。あなたをシャバに戻す訳にはいかない」

「じゃあ、どうするつもり?」

「倉田の女房と同じように働いてもらいますよ」

「私は、別段そっちの方は好きじゃないので、お断りするわ」


「シャブを使えば、誰でも病みつきになるからその点の心配はいらないですよ」

「冗談もそのくらいにして!…」 綾乃は、上着の下のサイドホルスターから    S&WM19を抜き出すと、組長のこめかみに当てた。

周りを取り囲んでいた組員が行動に起そうとしたが、組長がそれを手で制した。

「美咲さんは何処?! 言いなさい!」

「刑事さん、早まったことをしてもらっちゃ困りますよ。私にも立場があるんでね」

「つべこべ言わずに、教えなさい! でないと…」

「分かった。刑事さん、降参だよ。おい、例の写真をここに持って来てくれ・・・」

テーブルに置かれた写真を見て、綾乃は驚愕した。

写真は、成長し女子大に通う現在の彩香であったのだ。

「何処から、これを…、」

「娘さんも、随分大きくなりましたね・・。むしろ、良い女になったと言ってもいいくらいだ。我々は、現代ヤクザですよ。こんなものは、いくらでも手に入る」

「卑劣だわ!」

「卑劣でも、卑怯でも構わない。これが生業なんですから・・・、危ないチャカをテーブルの上に置いて貰おうか・・」綾乃は、従うしかなかった。


「私は、あなた達の家族を利用したりしない。助けを求められたら、迷わず助けるわ。彼らには、なんの責任もないんだから。そのことだけは、分かって欲しい…」

「涙が出るほど、うれしい話ですね。しかし、極道は、家族の命さえ求められれば、

差し出さなければならない。辛い話ですがね。それだけ、筋を通すという事です」

「娘には、手を出さないで…。お願いします」

彩香が、母の犠牲になると考えれば、綾乃がこの10年の間弱者のために警察官として働いて来たという信念が、根本から崩れ去ることになるのだった。

「警察官ともあろう人間が、随分弱気になったものだ」

「違う、警察官としてじゃない。私も、娘を持つ一人の母親だから………」

綾乃は、唇を咬んで必死に涙をこらえた。警察官としての最後の意地であった。  組長の心が少し動いたようである。


「・・・、残念ながら、美咲に会うことは叶わないだろう・・・」

「なぜ?…、 なぜなの?」

「遅かったのかも知れないな。あんたの来るのが・・・。            1週間ほど前に突然いなくなった。これは嘘じゃない。それも厳重な監視をかいくぐってだ。尋常な精神状態では考えられない事だよ。

どんな、状態だったのかは、知らない方が良いだろう。これも、あんたのためだよ」


「組長、あなたを逮捕する。容疑は、拉致監禁、薬物ならびに売春の強要、その他なんでもいいわ。徹底的に、調べ上げてあげる!」

「成宮刑事、残念ながら、それらのどれも叶わない相談だ。あんたは、ここから出ることなど出来やしない・・・」

綾乃が、テーブル上のS&WM19を奪い取ろうとした時、津野田の平手が綾乃の左頬に炸裂した。綾乃は、椅子と共に後方にもんどり打って倒れた。流れ出た血と涙が綾乃の白いシャツをピンク色に染め上げていく。

「このアマ、なんか隠してないか、徹底的に調べあげろ!」            津野田の命令に、男たちが群がった。上着が剝がされると、ピンク色に染まったシャツの上を無数の手がはい回り、柔らかい隆起が、男達の手で執拗に揉みしだかれる。

「スカートの中も捜すんだ!」 組長が焦れたように、声を荒げた。                      背の小さい男が、綾乃の両足を乱暴に掴むと、むき出しにしようとした。黒いストッキングが無残に引き裂かれる。

しかし綾乃は、すぐに冷静さを取り戻していた。遠方から近ずく4秒周期のサイレン音を聞いたからであった。4秒周期はより緊急性の高い場合に使用されるのだ。時々短い「ウッ」音が混じっている。


 綾乃は、左手中指に填められた指輪を見た。かすかに緑色の点滅が見て取れる。

新型GPSが正常に機能している証であった。これは、深川署秋場礼二から送られたものであるが、この危機一髪の場面でやっと日の目を見ることが出来たと言える。

あと何分かを、持ち堪えればよかった。

綾乃は、横たわったままスカートをたくし上げると、ガーターホルスターから、『レミントン・モデル95ダブルデリンジャー』を引き抜くと、目の前の男の眉間に照準を合わせた。

「私は、警告発砲はしないの。引き金を引くときは、一発で仕留める時だけ…」

「どうせ張ったりだろ!」の言葉と同時に、綾乃に襲い掛かろうとした男の身体が衝撃で後方に飛んで行った。乾いた軽い発砲音が、狭い部屋に響いている。

古畑巡査部長率いる、加賀町署強行犯係が津野田組本部を急襲したのは、それから60秒後のことであった。


 全員の逮捕後、本部と店を含めた綿密な捜索が行われたが、美咲の発見には至らなかったのであった。



 2  回復をみた朝倉耕平


 早朝から、中村署長出席のもと、強行犯係主催による総括会議が始まった。

「昨夜の古畑巡査部長をはじめとする班員の迅速な救援活動には、感謝しかありません」成宮警部補の偽りのない言葉であった。

「それにしても、あの新型のGPS装置どちらで入手されたのですか?我が署の装備部からでは、なさそうですが?」古畑巡査部長の素直な疑問である。

「深川署の秋場署長からなんだけど、指輪型だったから勘違いしてしまって…、最初はお断りしたの…」

「いや、結構本気だったかも知れませんよ」

「なに、馬鹿な事言ってるの…」

張り詰めていた会場の空気が、多少緩んだようである。


「少し、私からいいかな?」珍しく署長中村からの発言であった。

捜査員全員の視線が、注がれる。

「あの後、日之出署の方から猛烈な抗議があった。所轄の中での勝手な捜査を止めてくれとね。しかし、言ってやった。おたくの署と反社との不可解な癒着の構造の方が問題ではないかと、何なら県警の監察室に間に入ってもらっても、うちは構わないとね。したがって、津野田組の取り調べは遠慮することなくやってくれていい。                        それから、成宮警部補の追っている倉田美咲さんの失踪事案だが、正式には、いずれの署でも受理はしていない現状ではあるが、療養中の深川署倉田刑事の妻であるからして、また、状況証拠からも捜索の継続は必要であると、判断する。以上だ」


「中村署長、この度は色々とお気遣いありがとうございました」

新型GPSの装着は、中村の指示であったのだ。

「成宮警部補、結果オーライという言葉もあるが、最悪の事態の想定はいつでも必要だからな」

「はいッ!」

「それと、倉田刑事の話を聞いて、裏を取っておく必要もあるな・・・。     久しぶりに、ゆっくりと美味い昼飯を食った後にでも、行って来るといい」

「はい、ありがとうございます。そのつもりでいましたから…」



 綾乃が円形の玄関口から出て見上げた空は、どこまでも高く澄み切っていた。初冬ではあるが柔らかく吹く風が、心に気持ち良く入り込んでくる。

「久しぶりに、中華ランチでも食べようかな…」ふと、そんなことを思った。

綾乃は、善隣門をくぐると大通りを進んだ。しばらく歩き右に折れ小路に入ると、ここが市場通りである。

喧騒の中でも風に乗り、聞こえてくる声があった。

「所長、急がないと、遅れちゃうよ…」

「そう急かせるなよ、ありさ・・・、」

たわいない会話であるが、二人の心の距離が分かるのだ。なぜか懐かしい思いが心の中にせり上がって来た。しかし、振り向いた時には、すでにそこには見知った人はいなかった。





 綾乃は、早々に食事を切り上げると、レンジローバーで湘南市に向かった。

今日は、横浜に戻らないつもりである。


 湘南市民病院に着いたが、すぐには朝倉の病室には向かわず、警察官として主治医の見解を聞くことを優先したのだった。

「先生、朝倉、いえ倉田の状態はいかがでしょうか?」

「ええ、合併症もなく傷口も塞がりましたので、もう大丈夫でしょう」

「退院の方はどうですか?」

「あと、2週間ほど様子を見て判断したいと思いますが・・・」

「そうですか、よろしくお願いします」

綾乃は、倉田の裏取りをする決心をした。辛い話であるが、直接倉田の口から真実を聞き出すことは、二人の永遠の別離を予感させるものであった。

綾乃が病室を訪れると、倉田は窓越しに見える高い空を力のない目で見ていた。


「良かった! 耕平、もう大丈夫そうね」

「ああ、綾乃には、心配かけたな。すまない・・・」

「心配したわよ。たくさんね。でも、謝ることなんかないわよ」

「ありがとう、・・・・・・。」

「耕平、何か、話したいことがあるのね?」

「・・・俺が、警官であることはもう知っているよな? 君は優秀だから・・・」

「…、ええ、優秀かどうかは、分からないけど…」

「綾乃は、俺を許せないだろうな・・・」

「許すとか、許さないでなくて、本当のことを話して…」


「・・俺がこの街に来た最初の理由は、今建設中の『レジデンス鵠沼』の不正の構造を調べることだった。もう知っていると思うが、江東区の『レオ・エンター』に秘匿捜査に入ると、『レジデンス鵠沼』が明らかな不正の舞台であることが分かった。


発注者『レオ・エンター』、建設業者『奥田組』、そして、市の土地を法外に低価格で入札させた『土地問題研究会』のリーダー格、市会議員Zとの関係を知ったとたんに、何者かにによる脅迫が始まった。当然俺は、拒否をしたが脅迫はエスカレートし、ついには妻の美咲にも手が及び、拉致されてしまったのは、予想外だった。これが反社の中でも最強の武闘派と呼ばれる『津野田組』が関係していることは、後で分かった事だよ。


「俺たちが、『順子さんの店』で会ったのは、3カ月ほど前のことだったけれど、

あれは、偶然ではなく計算したうえでのことだった。いつしか俺の目的は不正を暴くことではなく、妻の解放に繋がる行動をとることを強要されるようになった。その条件の一つに、5人の警察官の中から1人を選んで殺害することだった。俺が、なぜ成宮綾乃を選ぶことになったのか、知りたいだろうな。それは、綾乃の中に、妻美咲の面影を見たとしか言いようがない。

俺は、綾乃のすべてを知りたいと思った。最初から、津野田組の指示など無視をした。かえって、俺が行動に起こさなければ、死ぬこともない。綾乃は、永遠に生きていけるはずだと。そして、俺は気が付いた。綾乃に恋をしている・・・。」


「都合のいい事言わないで! あなたは、私を美咲さんに重ねて抱きたかっただけでしょ。心は、美咲さんを求めていたはずだわ。               私を殺すべきだったのよ。そうすれば、美咲さんが助かった可能性もあったのよ。 私を助けるために、あなたを狙った元反社の勝野純也の方がずっと男らしいわ!」


「馬鹿な? あの男は、綾乃の命を助けるために俺を狙ったというのか?」

「そう、勝野の言葉を信じればね…」

「という事は、津野田から出ていた綾乃に対する殺害計画を知っていたと・・・」

「そういうことに、なるわね」


「あなたの本名は、倉田圭介で間違いはないわね?」

「ああ、そうだ・・・」

「私がこの本名を頼りに捜査を進めていくと、偶然にもあなたの奥さんが拉致されたことを知った。そして辿りついた先が、あなたの言う津野田組だった。            単独で救出に向うことに、迷いはなかったわ。一刻も早く助け出してあげたいと思う心が勝っていたとしか説明は出来ないけれど…。

でも、今の段階に至っても美咲さんを発見することは出来ていない。担当捜査官として、これだけは、あなたに謝らなければいけないわ…。                              加賀町署強行犯係としては、まだ捜索は継続していくつもりだけど…、」


「綾乃、すまない・・・。知りもしなかった。俺はこれからどうすればいい?」

「あなたも一生を掛けて、美咲さんを捜し出してあげることね」


綾乃は、一度も振り返らず、倉田の病室を後にした。

「私が愛した男は、朝倉耕平だった……」

未練を振り切ろうとした言葉を口の端にすると、思わず涙が溢れ出していた………。




  終章へ続く






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