剣術大会の思い出

 あれから死に物狂いで砂漠を抜け、王都近くのオルコット公爵領に着いてからは、気をもみながら謁見の許可が下りるのを待ち―ついに、この日がやって来た。


 リュシアンが王都・フェリドールに来るのは何年ぶりになるだろうか。彼が王立騎士団を離れたのは、シエナの護衛騎士になって以来のこと。ともすれば、五年はこの地に足を踏み入れていないはずだが、もっと長い時間を留守にしていたような錯覚に陥る。これまでの怒涛の出来事がたったひと月の間に起きているのは、改めて信じがたいことだった。


「―オルコット公爵を通じて、謁見の許可を頂いています。子息のセシル・オルコットと、元王立騎士団員のリュシアン・ブラッドリーです。」


 門脇に並ぶ騎士たちは、二人の青年を頭のてっぺんからつま先まで無遠慮にじろじろと眺め回した。それから、童顔の青年から手差し出された書状を一瞥すると、ぶっきらぼうに突き返した。


「通っていいぞ」


 リュシアンは嘆息混じりに、豪華絢爛という言葉が似合うフェリドールの王宮を見上げた。さすがはアレス王国の王都、久しぶりに訪れてもその煌びやかな外観には圧倒される。正面に立ち左右を向いても、その全長を計り知ることはできない。

 白亜の城の正面玄関を抜けると、おびただしい数のシャンデリアに、眩いほどの金の内装が待ち構えていた。天井には巨匠が描いたといわれる王と貴族たちの絵画。さらにはありとあらゆる彫刻や花瓶が所狭しと飾られている。その思いつく限りの贅を尽くした調度品は、豪華を通り越していささか悪趣味なセンスに眉をひそめる者も少なくない。


「うわあ……相変わらずと言うか、何と言うか……。」


 セシルは、四方八方から放たれる光に目がくらんだようにため息をついた。一方のリュシアンは五年ぶりの王宮にも一切動じないかのように、顔色一つ変えない。もっとも、彼はこの先に待ち受ける王との謁見、更に言えば今も異国に囚われたままのシエナが何よりも気がかりなのだろうが。


「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」


 表情の乏しい侍女が出てきて恭しく頭を下げると、二人は言われるがままにその少し後ろを並んで歩きだした。

 やがて、柱の間からは城の裏手に広がる庭園が見えてきた。こちらからは生垣しか見えないが、きっと上階から望めば、その全貌は迷路のように芸術的なのだろう。更に奥には、王立騎士団の騎士たちが鍛錬に励む広場もあるようだ。


「ブラッドリー卿は、ここで騎士としてお仕えしていたんですよね。王立騎士団はどんなところだったんですか?」


 突然話を振られたものの、リュシアンは騎士団での記憶が蘇るのを拒むかのように、灰紫の目を背けていた。


「ああ。今はどうだか知らないが、俺がいた頃は反りの合わない集団だった。」

「……王国の花形である騎士団が、ですか?」


 理解できない、とばかりにセシルは首を捻る。それもそのはず、騎士―それも王国直属ともなれば、庶民の憧れの的のはずだ。理想と現実は違うものかと腑に落ち無い様子を見て、リュシアンは続けた。


「ここではあまり大きい声では言えないが……騎士団では、身分の高い者や金を持った者ばかりが優遇され、そうでない者は、蔑ろにされていた。俺はその矛盾に耐えられなかったのだ」


 ここを歩いていると、否応なしに思い出される。騎士団に入団したての頃の、あの広場での出来事。そして、図らずも初めてシエナと巡り合ったことも、だ。

 


                 ***



 砂埃が舞う中、歓声が上がる。耳をつんざくのは、剣が互いにぶつかり合うカキンという金属音。誰もが手に汗握る中、広場の中心で切り合う騎士たちに思い思いの声援を送っていた。


 毎年秋には、王立騎士団主催で剣術大会が開かれる。騎士たちは各々騎士道精神に則って正々堂々と戦い、その年の勝者を決めるのだ。上位に勝ち上がった者に対しては、騎士団での出世が期待できるほか、未婚の王女たちから勲章を贈られる。騎士たちが互いに切磋琢磨する機会に、と王が直々に定めた特別な大会でもあった。

 

 誰もが名声を夢見て試合に臨む中、上位に勝ち上がったうちの一人は、まだ騎士になりたての若きリュシアンだった。


「……はあっ……はあっ」


 少年のような幼さが残る精悍な顔に、苦悶の表情が浮かぶ。鳶色の短髪からぽたぽたと汗が滴る。彼は灰紫の鋭い目を見据え、ゆっくりと試合相手の様子を伺った。剣術の腕に関してはこちらと同等。むしろ勝てる相手だと考えていたが、どうにもやりにくい。

 彼が対峙するのは、ひょろりとした痩せぎすの身体に、そばかすだらけの顔の男だった。そのにやけた目にはぎらつくような野心を滾らせている。加えて、年上ながらリュシアンのことを目の敵にして、幼稚な嫌がらせをして蹴落とそうと仕掛けてくる外道でもあった。そのくせ、上層部や兄のアルヴィンなど、騎士団で力を持つ者たちにはゴマをすって取り入ろうとする。正直、苦手どころか嫌悪すらしている相手だった。


「どうしたァ? 早くかかって来いよ! ……っらあ!!」


 ガキンと振り掛かる剣を受け止めると、柄を握りしめていたはずの指がずるりと動いた。先ほどから、妙に剣の持ち手が滑る。おそらく、試合前に審判から渡された手袋に穴が開いていたせいだろう。だが、今は構ってなどいられない。

 リュシアンはぎこちないがらも素早い身のこなしで、一気に間合いを詰めた。そのまま剣を振り上げる。剣と自らが一体となったような感覚に充足感を覚えつつ、痩せぎすの男に向かって一気に振り下ろす。が、上方ばかり注視していたのがいけなかった。


「―ぐっ!」


 剣を受け止められて着地した瞬間、足元に何かが当たるような衝撃を覚える。驚いて後ずさると、すぐさま死角へと回り込まれていた。続いて、嫌がらせのような足蹴りが彼の踵を執拗に狙うように飛んでくる。審判や周囲は気づかないのだろうか。苛立ちを覚えたものの、リュシアンは険しい顔で剣を構えつつ、すべて避けようと心血を注いでいた。

 ここで、いかなる不正にも屈するわけにはいかない。それに、自分が同じ手を使えば相手と同じ水準に落ちるのだ。この卑劣な戦いにもめげず、正義が勝つのだということを証明しなければ。若き騎士の焦りは、知らず知らずのうちに隙を大きく作っていた。狡猾な相手はそれを見逃さず、さりげなさを装い足元に滑り込んできた。


「―どりゃああああっ!」


 しまった、と思った時にはすでに遅かった。棒切れのような細い足を引っかけられ、リュシアンの体勢はあっけなく崩れる。咄嗟に手のひらが地面につくと、もはや身体を起こす暇もなかった。いつのまにか、彼の首筋にはひやりと冷たい剣先が突きつけられていた。


「……なっ!」


 つかつかと審判が歩み寄る。今起きたことを説明しようと試みる間もなく、気付けば相手の腕は勝利を掴むように天へと掲げられていた。


「―勝者、ユーグ・バルテ!」


 勝者の宣告と共に、わっ、と観衆が湧く。もしや、あの卑劣な戦い方を誰も見ていなかったのだろうか。あれのどこが、騎士道に則った試合なのだろうか。たちどころに押し寄せる憤怒に拳を握り締めたまま、リュシアンはしばらく微動だにしなかった。遠くで見ていた観衆はまだしも、審判が不正に気づかなかったわけがあるまい。どっと沸き立つ歓声は、彼をあざ笑うようにやり切れなさを飲み込んでいく。


「……へっ、悪いなァ。ま、ここは実力主義ってことで……な?」


 すれ違いざま、試合相手に囁かれる台詞にぞわりと粟立つ。振り返ると、男はそばかすだらけの顔にぎらついた笑みを浮かべていた。―こんなやり方が王立騎士団たるところで許されていいはずがない。正義感に突き動かされ、リュシアンはおもむろに立ち上がると、審判役の年長騎士の元へと駆け寄った。


「あの。今の試合なのですが―」


 観衆の歓声にかき消されぬよう声を張り上げると、審判はうんざりしたように肩をすくめた。


「なんだ? お前が負けたのは事実だろう。騎士なら、不平不満を言うものではないぞ」

「それは……そうですが。見ておられなかったのですか? あの騎士は俺を転ばせて―」

「敗者は言い訳をするなど見苦しいぞ。騎士たるもの、素直に負けを認めて勝者を祝福したらどうだ? まあ、お前はまだ若いからな。諦めが悪いのも、無理はないか」


 半ば言いくるめられるようにして強引に話を切り上げられ、リュシアンは衝撃のあまり言葉を失った。彼は納得できずに、尚も抗議の言葉を並べようと審判の背を追おうとしたものの、その目に留まったのは何かきらりと光るものだった。―金貨だ。どうやら、審判の後ろ手に握られているようだ。


(……賄賂、か?)


 その瞬間、彼の心を燻っていた怒りは少しづつ虚しさに変わっていった。

 確かに、負けは負けだ。本当の戦場ならきれいごとはまかり通らない。それでも、清く正しい誠実な騎士になりたいと願った。その志は騎士団であるなら皆同じであると信じていたかったのに。理想と現実のあまりの差異に彼は呆然として、しばし打ちひしがれていた。


「では、これより表彰を行う。上位三名には、王女殿下方より勲章を授けられる。」

「おい、聞いたか? 王女殿下だとよ!」

「おお……ソフィア殿下か? それともシャルロット殿下か?! ローズ殿下もいらっしゃるぞ!」


 各々が王女の登場に沸き立つ中、リュシアンは意気消沈したまま末尾に並んでいた。まず、壇上に上がったのは、次期団長候補と名高い兄・アルヴィンであった。騎士団でも評判の中堅は、仏頂面のまま王女の一人の前に跪いた。


「アルヴィン・ブラッドリーさま。優勝、おめでとうございます」


 ぱっと花が開いたように可憐な笑みを浮かべているのは、三人の王女のうちの一人。おそらく、今度隣国へ嫁ぐと噂の第十王女だろう。華やかな化粧をした美しい王女たちは、絢爛たるドレスを身に纏い、さながら人間界に舞い降りた妖精のようだ。


 そして、表彰式が滞りなく進もうとしている中、不意にリュシアンの元へつかつかと歩み寄ってくる者がいた。人の気配に少しずつざわめきが広がるが、当の本人は自身のつま先を凝視するように、うつむいたまま立ちすくんでいた。


「―おい、何をしている。誰だ、あの娘は!」


 そこで、ようやく周囲がざわついていることに気づいた。その中心に自らがいると悟ると、彼は驚いて顔を上げた。


 目の前に一人の少女が立っている。まだ十三歳くらいだろうか。さらりと流れるプラチナブロンドの髪に、つり気味の青緑の瞳。そのまなざしは冷たいのに、どこか庇護欲を誘うような寂しさを帯びていて、リュシアンはおのずと釘付けになっていた。首元まで詰まった質素なドレスは飾り気がなく、王女と言うには素朴だ。しかしながら、少女には不思議と姉たちにも劣らない、凛とした気品が溢れていた。


「……あなた、様は?」


 庶民ではない、貴族でもないだろうというのは直感的に分かった。しかしながら、王族というのも当てはまらないはずだ。何しろ、表彰に来た王女たちは、第十王女から第十二王女までの三人であるはず。と考えたところで、ふと彼の脳裏をよぎったのは、「公には出てこない十三番目の王女がいる」という噂話だった。


「ねえ、そこのあなた。名は何というの?」


 なぜ彼女が自分の前にいるのかわからない。リュシアンはあっけにとられたまま、無礼を忘れてまじまじと少女を見つめていた。


「リュシアン・ブラッドリーと申しますが……」


 言いかけたところで、壇上が騒がしいことに気付いた。見れば、あの王女たちが金髪を振り乱して、なぜか金切り声を上げている。先程までの淑やかな姿はどこへやら、一同は本当に同一人物なのかと目を疑っていた。


「お姉さま! なんであの子がのこのこと、このような場に出てきておりますの? すぐにお父様に言いつけてやらなくちゃ!」

「あれは病気で頭がおかしいのよ。公式の場に出てきてはいけないのに……早くつまみ出してよ! ちょっと、聞いてるの?!」


 そんな叫び声も怒号も、リュシアンにはどこか遠くから聞こえてくるようだった。少女の着古した木綿のドレスは裾のレースがほつれ、着飾った姉たちに比べれば随分と貧相に見える。だが、彼の目には勝利の女神かはたまた天使が、不正を正すために舞い降りてきたように思われた。


「あなたに、これを差し上げるわ」


 リュシアンの豆だらけの手に握られされたのは、手のひらに収まるくらいの装飾だった。銀の薔薇を覆うようにして、赤い獅子を象った布が縫い付けられている。彼は信じられない心地で、手の上の勲章と少女とを交互に見比べていた。


「なぜ、これを俺に……?」


 もしや、彼女は先ほどの試合を見ていたのだろうか。その途端、彼はぐっと胸に押し寄せてくるあたたかい感情に戸惑っていた。まるで先ほどまでの悲しみと虚しさを洗い流し、一気に塗り替えていくようだ。別に飾りが欲しかったわけではない。ただ、自身の正義を信じた者がいたという感動に、彼の心は打ち震えていた。


「あなたが本来手にするべきだと思ったの。……それだけよ。」


 そっと言い置くと、少女はいつのまにか風のように姿を消していた。


「まさか、ご病気と伺っていた第十三王女殿下が、このような場所に出てこられるとはな……」


 壇上の者たちはこの場をどう治めるべきかもわからずに、当惑しているようだった。あの少女が本当に王女なら、リュシアンに与えらえた勲章を一方的に取り上げるわけにもいかない。やむを得ず、彼らは気まずい空気のまま表彰式を終えた。王女たちは終始不機嫌で、不正を働いた騎士は忌々しそうにリュシアンをねめつけていたが、もはや彼が気に留めることはなかった。


 あの日から、出世を続ける兄とは対照的に、リュシアンへの風当たりはひそかに強くなっていった。だが、彼の心はくじけなかった。あの時、正しくあろうとしても認められなかった悔しさを、彼女が見過ごさないでいてくれた。それだけで、救われたような気がしたのである。


 その後、リュシアンは日陰者であるという第十三王女の素性を内密に調べ上げた。そして、たとえ目指す道が左遷も同然であろうと、ただひたむきに第十三王女・シエナの護衛騎士を志したのである。


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