42. 高難易度ミッション


 柴崎さんから託された高難易度ミッション――、「天津くんを花火大会に誘う」という依頼を僕が完遂できたのは、開催日の二日前である金曜日であった。学校では基本的にぼっちである僕が、いきなり天津くんらリア充グループに声をかけられるワケがない。僕は虎視眈々と天津くんが一人になるチャンスを窺っていた。偶然を装って、彼に話しかけるのが僕の作戦だったんだ。けど――

 ……天津くん、全然一人にならないじゃん。トイレですら友達と行くし、女子かよ。


 人気者である彼の周りには、男女問わず誰かしらがいつも取り巻いていた。同い年のはずなのに、ネクラな僕と彼が同じ人種とはとても思えない。僕は死にたくなった。

 精神が日々摩耗していった泣き面の僕を、更に大量のスズメバチが襲う。柴崎さんから、毎日催促のメッセージが届けられたんだ。


 『まだですか』『何やってるんですか』『異性でもないのに、声をかけるくらいなんでできないんですか』『こんなの、子どものお使いと一緒じゃないですか』『月代さんって幼稚園児以下なんですか』『バカなんですか』。

 ……後半はもはや、ただの悪口になっていた。


 このままでは柴崎さんに殺されかねない。命の危険さえ感じた僕は金曜日、強行手段に出た。移動教室で別棟に移動しはじめようとしていた月代くんらリア充グループに、「あ、あのさ!」と無理やり声をかけたんだ。彼らの視線が僕に向かって一斉に注がれる。僕の心臓は南極に投げ出されそうになっていたが、天津くんは柔らかく笑いながら、「何? どしたん月代?」と優しいトーンで返事をくれた。小悪魔の罵倒を日夜喰らい続けていた僕は、彼の笑顔が誇張なく天使に見えた。


 「ちょっと、天津くんに用事があって」と僕が小さな声で言うと、天津くんは何かを察してくれたのか他のクラスメートに向かって、「わり、ちょっと先に行っててくれ」と僕らが二人になるように誘導してくれた。天津くんはきっと、将来出世する。

 僕が花火大会の件を彼に話すと、少し驚いたような表情を見せた彼だったが、「いいね、そういや今年の夏、花火行ってないしちょうどいいや」とすぐにまた柔らかく笑っていた。


 「じゃあ、詳しい内容は柴崎さんからメッセージがいくと思うから」と僕がその場から離れようとすると、天津くんが、「あのさ、月代」と僕を呼び止める。何事かと僕が振り向くと、彼はいつもの穏やかな表情というより、ちょっとだけ思いつめたような、なんだか真剣な顔つきをしていた。


 うちの高校は本校舎と別棟が結構離れているので、移動教室の際はみんな速やかに移動する。そのためか、気がつくと教室には僕と天津くんしか残っていなかった。天津くんは僕の目をジッと見つめながら、ゆっくりと口を開いた。


「お前さ、小太刀のコト、好きなんだよな。好きだから、付き合ってるんだよな?」


 僕は天津くんの質問の意図がわからず、シンプルに困惑した。けど、彼のあまりにも真面目な表情に、ここははぐらかしたり、適当な返事をするタイミングではなさそうだなと、僕は感じていた。僕もまた、天津くんの顔をまっすぐに見て、「うん、そうだよ。僕は小太刀さんが好きだよ」と返事をした。


 天津くんはしばらく僕の顔を見つめたままだった。妙に緊迫した雰囲気に、僕は思わず呼吸するのを忘れてしまいそうになった。やがて天津くんが、空気のしぼんだ風船のように顔をたゆませる。どこか安心したような、でも、どこか寂しそうにも見える、微妙な表情だった。


 彼が、「そっか、よかった」と小さくこぼして――

 何を以ての「よかった」なのか、僕にはてんでわからない。


 「変なコト急に聞いて、ゴメンな、……って、このままだと遅刻だわ、月代、急ごうぜ」と、彼の表情は元の、爽やかで優しい天津くんに戻っていた。僕らは廊下を足早に歩き、一緒に別棟へと向かった。僕は天津くんの隣を歩きながら、脳裏によぎった疑念に耳を傾ける。


 ……今の天津くんは、小太刀さんのことをどう思っているんだろう――

 少なくとも、僕が小太刀さんに告白しなかった世界線では、彼が小太刀さんに告白する未来が予言により裏付けられている。天津くんが小太刀さんをどのタイミングで好きになったのかはわからないけど、もしかして今の世界線でも、僕が小太刀さんと付き合っているこの現実でも、天津くんは小太刀さんのコト、好きだったりするのだろうか。……というか、そう考える方が自然なのではないだろうか。

 だとしたら、天津くんは、僕に対してどういう感情を抱いているんだろう。

 どういうつもりで、今みたいに、柔らかい笑顔を向けてくれているんだろう。


 人と距離を置き続けていた僕が、人の気持ちを推し量ることのできない僕が。

 そんなコト、わかるはずもなかった。



「――月代って、髪、サラサラだよなー、トリートメント、何使ってんの?」

「……えっ? いや、トリートメントは使ってないよ。市販のシャンプーだけ」

「マジでっ!? それでその髪なのかよ。羨ましいな~、俺なんか三年間水泳部だったから、ただでさえ天パなのに、髪、痛んじゃって――」


 天津くんは優しい。小太刀さんも優しい。柴崎さんも、口は悪いけど優しい。

 ……みんな、優しすぎる。



 その日の夜、ミッション達成の旨を柴崎さんに伝えると、彼女から『よくやりました。いえ、遅すぎですけどね。アカネには、とっくの昔に私から話をしておきましたから』と返事が返ってきて、僕は命の危機を回避できた事実にホッと胸を撫で下ろした。


 ゴロンとベッドに横になった僕は、しばらく目を瞑ってボーッとした後、再びスマホを手に取って、タプタプとメッセージ入力に勢を出す。送信先は、小太刀茜。


『小太刀さん、花火大会の話、柴崎さんから聞いていると思うけど、よろしくね。あと、当日、小太刀さんに話したいことがあるんだ。大事な話なんだ』


 僕は送信ボタンをタップしたあと、無機質なデジタル画面をジッと見つめた。なんだか怖くなってきて、思わずシーツの上にスマホを放り投げる。でもすぐに、スマホがピロリンと着信音を鳴らして、僕は投げたばかりのスマホを慌てて掴み取った。

 受信メッセージが一件。小太刀さんからだった。


『花火なんて中学生以来だから、地味に楽しみだよ。うん、わかった、月代くん、ありがとね』


 彼女は、小太刀さんは、ありがとうと言ってくれた。

 もう逃げられないな。僕はそう思って、ふぅっと息を吐いた。

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