四. なかったコトになんて

43. 『浴衣を着ている女子が二割増しにかわいく見える』という定説


 歓言愉色かんげんゆしょくな賑わいと、喧嘩嗷騒けんかごうそうな彩りと。

 紺色のヴェールで覆われた夜の宴に、儚く優しい橙が灯り、七色の和娘が私の視界に映っては消えゆきます。幻想をごった煮返したような混沌の空間で、私の視覚と聴覚が悲鳴をあげているのは言うまでもなく、更には、四方八方から襲い来る香ばしい香りに、嗅覚までもが享楽に支配されようとしております。ただでさえ慣れない浴衣に私の五体は自由を奪われており、雪駄というやつはどうにも歩きにくくて仕方がない。ありていに言うと、私は生きるのに必死でした。どこぞの誰かは存じませんが、私は今、『浴衣を着ている女子が二割増しにかわいく見える』という定説を作った人間を、全力で殴りたい。

 私が死活に躍起になっているなど露知らず、隣を歩くアカネがのん気な声をあげました。


「――あ、チョコバナナあるじゃん、食べようよチョコバナナ。チョコバナナって、祭りじゃないと絶対食わないからさ、別に好きじゃないけど、なんか食べたくなるんだよね」

「……小太刀さん、手に持っている三本の焼き鳥を、消化してからにしようよ」

「――なぁなぁっ! 金魚すくいやろうぜ! ……なっついなぁ~、祭りですくった金魚って、なぜかすぐに死んじゃうんだよな~」

「……あ、天津くん、この後打ち上げ花火見るんだから、金魚は邪魔になるんじゃ――」


 ……いやはや、祭りの喧騒というやつは、人の陰陽をやけにハッキリと浮彫にしますね。


 食い意地を張っているアカネは、目に入った飲食を全て平らげる勢いですし、天津さんはネアカのお手本らしく、童心に帰ったように娯楽を愉しんでおります。月代さんはそんな二人に翻弄されるばかりで、私はというと――

 迫りくる決戦を前に胸のエヅきが止まらず、まともに喋るコトすらできません。

 ……はぁ。



 ――あっ、自己紹介が遅れましたね。私、柴崎八重と申します。

 都内の私立高校に通う高校三年生。うら若き花の女子高生ってヤツです。まぁ、枯れかけの花ではありますが、それはそれで憂いがまた趣深いというコトで、一つお許しを。


 本日、九月十四日の日曜日。私は月代さんに持ち掛けた計画通り、アカネと天津さんを誘い、四人で花火大会にやってきております。私とアカネは珍しく浴衣なんぞをめかしこんではおりますが、浴衣が似合うのは貧乳女子の特権なのです。……はぁ。

 ――と、先ほどから心の中でタメ息ばかり吐いている私ではおりますが、一時はどうなるかと思っていた四人の交流が、存外愉し気に成立している事案に一人ホッと一安心していました。


 月代さんとアカネは、付き合っているクセにここ最近マトモに話すらしていなかったですし、月代さんと天津さんにいたっては、喋ったコトがほとんどないという意味でほぼ初対面です。それに、私は天津さんの前ではおよそ人の子とは思えないほどに自我を失ってしまう事実は自分でも知っておりますし――、そんな四人が花火大会とか、ぶっちゃけどうなるんだろうと、私は自ら立てた計画に百抹の不安を抱いていたのです。

 会場から近いアカネの家で着付けを済ませた私は彼女と共に待ち合わせの場所に向かい、そこにはすでに月代さんと天津さんの姿がありました。はじめ、アカネと月代さんはぎくしゃくと顔を合わせるコトもできない体たらくでしたが、しかし天津さんの快活な雰囲気がその場の空気を軽くしました。


 ――「おおっ! お前ら浴衣で着たのか、いいじゃん! 似合ってるよ!」「ヒマリ、それ暗に、私らの胸が小さいコトをバカにしているんじゃないよね?」「……いやいやっ!? どんだけ卑屈なんだよ小太刀はっ!? そんなワケねぇだろ……、おい、月代も二人、かわいいと思うだろ! どうなんだよ! 自分の彼女の浴衣姿って! グッときたりすんの?」「……えっ、えっ? あ、いや、うん、かわいいと、お、思うよ」「……えっ、あっ、ありがと――」「……うっはぁ~! しょっぱなから見せつけやがんなぁ、小太刀と月代は! ……なぁ柴崎、こんなバカップル置いて、もう俺ら二人で花火大会回ろうぜ」「――えっ!? ななな何を言い出すんですか天津さんあばばばばば」「……いや、せっかく四人で来たし、そこは四人で遊ぼうよ。月代くんも、その方がいいでしょ?」「あっ、うん。そうだね。僕、友達と休みの日に遊ぶって、あんまりしたコトないから、ちょっと憧れてて……」「――おお! ……なんだか泣かせる話だなぁオイ……、よっしゃ! 月代のためにも、この夏サイコーの思い出作ろうぜ! もう九月だけど!」――


 ……天津さんって、繊細なのかバカなのか、頭が良いのか悪いのか、たまに本気でわからなくなるんですよね。なんか、クラスのリア充連中や部活のメンバーといるときは、もっと大人っぽく立ち振る舞っているような。


 ――と、私の当初の不安も結局は杞憂に終わり、私たちは切り取られた青春の一ページのような時を過ごし(※私は相変わらず生きるのに必死でしたが)、ふいにアカネがスマホに目を向けながら「花火、そろそろ時間じゃない?」とこぼしたところで、私たちは屋台ゾーンを離れて観覧スポットに移動するコトにしました。


 地元民であるアカネ曰く、普段は人通りも少なく閑散としている河川敷の道路が、この花火大会の時だけ異次元の如く賑わうのだとか。ただし、都内の中心からやや外れたベッドタウンで催される花火大会は、都心部のメジャーなソレと比べるとそこまで殺人的な込み具合を見せず、まぁ人と人との距離は通勤電車並みにぎゅうぎゅうとはしておりますが、歩くのもままならないレベルではありませんでした。「このへんにしとくか」と天津さんがピタリ足を止めたところで、私たち三人も彼にならいます。


「おー、さすがに込んでるなー。なんか、家族連れとか、カップルとかばっかりで、ヤンキーみたいな連中、あんまり見かけないな」

「このへん治安いいからね。っていうか私、むしろヤンキーとか生で見たことないし、もはや彼らってドラマとかマンガの世界の住人だと思ってるよ」

「……僕んちの近所、結構いるんだよね。夜中のコンビニの前とかにたむろっててさ、あんまり目を合わせないようにしているけど」

「あ、そっか。月代くんの家、千葉近いもんね」

「うん、うちの家、千葉近いから」

「……お前ら、千葉県民に偏見持ちすぎだろ――」


 ほのぼのとした(?)談笑のさ中、私はチラリと月代さんに目を向けました。気づいた彼も私のコトを見て、私は小さく、――アカネと天津さんに気づかれないように――、コクンと首を縦に振りました。

 それは、私が彼に向けて発信した作戦決行の『サイン』でした。

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