26. 逃がすもんか


「僕の高校生活の中で、そんな風に声をかけてくれたの、小太刀さんだけだったんだ。僕はキミと付き合うようになるまで、会話らしい会話、誰ともしたコトがなかったんだ」


 私は前のめりの不自然な姿勢のまま、思わず固まってしまった。

 ――確かに私は、月代くんが誰かと会話している姿を見たコトがない。一年以上同じクラスに所属していたのに。

 ……でも、それにしても――


 私の心に、何故だか罪悪感に似た気持ちが広がった。その理由はわからない。

 とにかく私は慌てたように、何かを取り繕うようにと言葉をまくし立てた。


「えっ、さすがに『私だけ』ってことはないでしょ。高校に入ったばっかりの一年の時とか、学園祭の時ときとか――」

「――ないよ。僕、一年の時は基本的にずっとイヤホンして、人に話しかけられないようにしてたし、学園祭も、当日学校へ行ってすらいない。サボったんだ」


 月代くんが笑う。

 あまりにも屈託のない笑顔は、淡々と放たれた物哀しい真実とはおよそ一致しない。

 私は「どうして?」と口を開こうとしたものの、私の疑念を煙に巻くように、私よりも先に月代くんが言葉を発してしまう。


「まぁ、自業自得っていうか、狙い通りではあるんだよね。僕はみんなに認識されないように、誰も僕に話しかけないように、自分からそう仕向けていたから。だから別に、ずっと一人でも平気だった。寂しくなんかない、そう割り切っていたはずだった、はずだったんだけど――」


 月代くんがはにかんだように目を伏せて、なにかをごまかすように後ろ髪に手をやって。


「……なんか、嬉しかったんだよね。小太刀さんに話しかけられて、深夜ラジオの話をして、こういうの、久しぶりだなって――、僕は自分で、一人でも全然平気って、そう思っていたけど、それって実はただの強がりで、ホントウは、そう思い込もうとしているだけだったのかもしれないね」


 月代くんは、いよいよ照れていた。屈託ない笑顔を見せる彼の姿は、どこにでもいる一人の高校生そのものだ。心の中を覆い尽くしていた罪悪感が、蜘蛛の子を散らすように消えてゆく。代わりに私の胸に広がったのは、陽光に包まれたような安寧だった。

 前のめりの姿勢でしばらく硬直していた私は、糸がほつれるようにソファの背もたれに全身を預けた。月代くんはすっかり冷めてしまっただろうコーヒーに口をつけている。男の子とは思えないような繊細な所作で、彼はコトリと小皿の上に白いカップを置く。


「話戻るけど、その時から僕は、小太刀さんのコトを意識するようになった。気づいたらキミのこと、いつも目で追っていたんだ」


 彼はそこで一度言葉を切って、ふぅっと大きな息を吐き出した。

 月代くんはきっと、それなりに勇気を出して私に本心を話してくれたんだと思う。だとしたら私も、それなりに誠意を込めて私の気持ちを伝えるべきだ。そう強く感じた私は、グッと姿勢を正して、目に力を込める。徐に口を開いて、「あのさ」と口火を切った。


「月代くんが、なんで人から話しかけられないようにしているんだろうとか、それ以外にも、私にとってキミにはまだまだ謎の部分が多いんだけど。……私からそのへんの事情は、あえて訊かないコトにするよ。いつか月代くんが話したくなった時に、こっそり教えてくれればそれでいい。それよりも、今はさ」


 私は首を少しだけ斜めに傾けながら、窺うように彼の瞳を見つめてみる。ニンマリと口元を引き延ばしたら、自然と頬がたゆんでいった。


「月代くんが、……ずっと一人ぼっちだった月代くんが、私といる時間、楽しいって感じてくれているならさ。……今からでも、遅くないと思うんだよ。私も、月代くんと一緒にいて、楽しいかもって、そう思えるようになってきたし。どうせあと一年もしない内に卒業なんだし、せっかくなら、高校生活ってやつを、恋人同士ってやつをさ、めいっぱい――」


 私はずずいと月代くんににじり寄った。

 テーブルを隔てて対面する月代くんが、ギョッと構えるように少しだけ身を引いた。私は逃がすもんかと、ニヤリ、イタズラを思いついた子供みたいに笑って。


「めいっぱい、二人で楽しんでやろうぜ」



 店内に流れるジャズミュージックが、私たちの間を抜ける。

 呆気にとられた顔で固まってしまった月代くん、やがてその頬が紅潮していった。その事実に自分自身でも気づいたのか、例によって彼は両手を組んで顔の下半分を隠してしまう。

 ボソボソと何かを呟く月代くんの声は、相変わらず覇気がないコトこの上ない。


「……小太刀さん、そういうところ、あるよね、勘弁して――」


 あまりにもしおらしい彼の態度に、なんだか私も恥ずかしくなってきた。ごまかすように私が、「うるせー、どういう意味だよっ」と立ち上がって彼の頭をこづくと、月代くんは依然顔を真っ赤にしながら、恨めしそうに私の顔を見上げるばかり。

 長い前髪から覗き見える上目遣いがなんだか幼くて、私はふいにドキッとしてしまった。

 ……コレ、マジで好きになっちゃうかもな――


 全身がかゆい。

 勢いで立ち上がってしまった私だったが、その場をどうしていいのかがよくわからず、とりあえず目の前にある冷めたコーヒーを一気に飲みほした。……苦っ。

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