25. いわゆる塩顔の女の子がタイプなんだ


 月代くんの声は震えていた。

 私は彼の豹変の理由がわからず、若干混乱しながらもその質問に対してそのまま回答する。


「いや、二年の時も三年の時も、みんな最初に自己紹介するじゃん。クラスメートなんだから、覚えているでしょ、フツウに」


 私の頭上には幾多のクエスチョンマークが舞を舞っており、眼前の月代くんはなおもフリーズしたまま。でもやがて彼は、少しずつその表情を崩していって、アンティーク調の木テーブルに視線を落として、湯気の立つ白いカップにまじまじ目をやりながら、「そっか、フツウか」と自身を諭すようにこぼした。

 月代くんが再び顔をあげて、私と彼の視線が交錯する。


「小太刀さん、僕の下の名前を知ってる人、両親をのぞいたら、小太刀さんだけだと思う」


 抑揚のない月代くんの声が私の耳に流れて、その言葉の意味を理解しようとした私は、世界が止まってしまったような感覚に陥った。鏡がないので何とも言えないが、私は今そこそこの阿呆面を晒してしまっているコトだろう。月代くんはたぶん、彼なりに意を決して、彼にとって重要な何かを私に伝えようとしているんじゃないかって、そんな気がした。

 私は黙って、彼が次に紡ぐ言葉を待つ。


「ゴメン、小太刀さん、僕はキミにウソを吐いた」


 月代くんはまっすぐと私を見つめている。あまりにも真剣な彼の瞳に私は吸い込まれそになっていた。「何のコト?」、店内に流れるジャズミュージックに、水面をポチャンと揺らすような私の声が混ざる。


「前に、なんで私のコトを好きになったのかって聞かれた時、僕は、君の顔が好きだからって、そう答えた。でも、それウソなんだ。小太刀さん、目が大きくてキリッとしてて、かわいいというよりキレイ系だと思うけど、僕、一重でふにゃっとしているような、いわゆる塩顔の女の子がタイプなんだ」

「……はぁ?」


 ……え、なんで今更そんな話――、私の脳は頭上のクエスチョンマークに押しつぶされそうになっている。

 あの時の私の質問に対する月代くんの回答が、その場をはぐらかすだけの適当な返しだったっててことくらい私もさすがにわかってたし、月代くんも、私が真に受けたとは思っていなかっただろう。錯綜する彼の発言に私はついていけるはずもなく、でも、次の一言。


「僕が小太刀さんを意識するようになったのはね。僕のコトを認識してくれたの、僕の存在を知ってくれているの……、小太刀さんだけだから、なんだ」


 彼の言葉が私の胸を貫通して、透明な冷気が体内を通り過ぎる。

 微笑んでいるのか、哀しんでいるのか。

 何かを諦めているようで、一抹の希望を胸に抱いているような。

 月代くんは、見る人によって印象を変えてしまうだまし絵のような表情をしていた。私は気づかない内に、やはり彼の瞳に吸い込まれてしまっていたらしい。

 ギリギリで自意識を保っている私が、窺うように声をあげる。


「いや、月代くん、私以外の人にも認識されてるじゃん。少なくともうちのクラスのみんなは、キミのコト知っているワケだし」


 私は別段ヘンなコトを言っているつもりはなかったんだけど、でも月代くんはかぶりを振って、「そういうコトじゃ、ないんだよ」と寂しそうにこぼしていた。


「みんなは確かに、『クラスメートの一人』っていう意味で、僕の存在を把握しているとは思う。でもそれって、なんていうか、そこらへんの石ころと一緒でさ、目には見えるんだけど、その人が僕を意識するコトなんてないんだよ。まるでゲーム画面の背景みたいに、僕のコトを、生きた人間だと認識しているワケじゃ、ないんだよ」


 私は未だに月代くんの言っているコトがイマイチ理解できていない。言っている言葉の意味はわかるんだけど、彼がなんでそんな考え方をしているのかがわからない。

 怪訝な顔つきになった私を置き去るように、月代くんが言葉を続ける。


「……だけど、キミは、小太刀さんだけは、僕のことを生きた人間として、感情を持つ一人の高校生として、認識してくれた。……二年生の時、僕たち一度だけ話したコトあるんだけど、覚えているかな?」


 急な問いだった。月代くんが窺うように私を顔を見つめている。死角から放たれたスルーパスに私は「えっ」と思いっきり動揺してしまって、あさっての方向に目を向けながら脳内メモリに検索をかけはじめた。

 ……二年のころ、私と月代くんが話した? そんなコト、あったっけ――


「……あっ!」


 逆回しで二倍速再生していた記憶のイメージ映像を、ピッと一時停止する。私は思わずでかい声をだしてしまい、私をジッと見ていた月代くんもビクッと肩を震わせた。私は「ごめんごめん」と申し訳程度に謝りながら、「もしかしてさ」と前置きながら言葉を紡いだ。


「あの時かな、二年の……、夏休み明けとかだったと思うんだけど、月代くんがいつもしているイヤホン落として、私がそれ、拾って――」


 私は記憶を紡ぐように声をあげていた。ふいに月代くんに顔を向けると、彼はそれまでの真剣な表情を綻ばせ、首をゆっくりと縦に振りながら、大きな瞳がたゆんでいく。


「――そう、僕のイヤホンを拾ってくれた小太刀さんが、僕の肩をトントンって叩いてさ、これ、落ちたよって、僕も、ああ、ありがとうって、しかも、そのあと小太刀さん――」

「――たしか私、なんか聞いたよね。月代くんっていつもイヤホンしているけど、何の音楽聴いてるの? とか、そんな感じのコト――」

「――うん、僕はこう答えた。音楽じゃなくて、深夜ラジオのアーカイブ聴いてるんだよって。そしたら小太刀さん、へぇ、月代くんラジオとか聴くんだ、私もたまに聴くよって。そのあと少しだけ、二人で深夜ラジオの話をしたんだ。……小太刀さんが誰かに声かけられところで、僕たちの会話は終わって、じゃ、月代くんまたねって――」


 薄ぼんやりとしていた記憶のイメージが、徐々にクリアになっていった。

 ……そっか、月代くんお笑い好きだから、深夜ラジオとかも聴くんだな――

 過去の私たちの会話と現代の月代くん像が重なり、一人勝手に腑に落ちていた私だったが、しかし肝心なコトが明確になっていない。私は前のめりの姿勢になりながら、彼に今一歩踏み込んだ。


「確かにそんなコトあったね。でも、その時の話と、月代くんがみんなに認識されているかどうかって話、どう繋がるの?」


 我ながら、あまりにも無邪気で、あまりにも節操がない質問だったな――

 私がそう感じたのは、月代くんの、次に放たれた台詞を聞いたあとだった。

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