第二章 十夜~八広~

八広と宗一郎が二人になると、宗一郎は、八広に向き直った。

「八広さん、オレもあんたとちゃんと話がしてみたかったんだ。昨日は仕事の話ししかしなかったからね。」

八広は、どう答えて良いか判らず、はぁ、と生返事をした。

「あんたが描いた絵がオレは好きでね。どんな人が描いたのか知りたかったんだ。」

「あ…ありがとうございます。」

八広は照れて恥ずかしくなり、宗一郎から目を離し自分のひざを見た。そして話を続けようと話題を探し、ふと思いついたことを聞いてみることにした。

「あの、私の絵を…。どちらで見られたんです?私の絵はあまり出回っていない、と思うのですが。」

「あぁ、そうか。話していなかったね。八広さんの肉筆画は去年の夏に巡業に出たときに傾城君が手に入れて持ってきて。それを見せてもらったんだ。」

「えと、巡業でですか。それはどちらに?」

「京のあたりだよ。」

八広は驚いて顔を上げた。八広が兄弟子に呼び出されて出かけたのは、ちょうどその時期、その辺りだった。宗一郎の一座と至近距離にいたことになる。八広は内心の動揺を隠すように、お猪口の酒を飲み干した。宗一郎は八広に酒を継ぎ足しながら、話を続けた。

「その絵は遊女を描いた美人画だったんだけど。随分と可愛らしいオレの好みの美人でね。傾城君に譲れ、と何度も頼んだんだが、とうとうくれなかった。」

宗一郎は思い出したように笑った。

「せめて、誰の絵か教えろ、と詰め寄ったんだが、絵師の名前は知らない、って言うんだ。昨日、川原から傾城君が八広さんを連れ出す時にこっそり耳打ちしてくれたんだ。オレが気に入ってたあの絵は目の前の絵師、つまり八広さんが描いたってね。本当はあの後、また宴の予定だったんだが。それでチャラにして傾城君を逃がしてやったんだよ。」

八広は目を伏せ「おかげで楽しかったです。」と小さな声で言った。

「八広さん、あんた、ずっと何を恥ずかしがってるんだい?」

宗一郎に言われ、八広の頬に赤みが差し、慌てて下を向いた。

「あ…あまり面と向かって絵を褒めてもらった事がなくて…。だから…。」

「あんた、これだけの腕の絵師なんだからさ。褒められたことがないって事はないだろ。青藍じゃないが、本当に面白い人だね。」

そういうと苦笑いから破顔して八広を見た。八広は何だがむずむずして、また酒をあおった。宗一郎はしばらく八広の様子を笑ってみていた。

「ところで、八広さん、青藍ってのは?」

「それは、昨日、傾城君に何と呼べばいいか、聞いたんです。そしたら、私に自分の呼び名をつけろ、なんて言うので…。」

「そうか、なるほどね。確かにオレもあいつの名前は知らないな…。初めて会った時からずっと傾城君と呼び続けているし、そのまま芸名にもなってる。似合いすぎて、あいつの代名詞になってしまってるが、たしかにあれは、あいつ自身の名前ではないな。あいつに名前は聞かなかったのか?」

「いえ、ちゃんと聞きましたよ。でも、自分も知らない、と言われてしまっては…ね。」

八広の言葉に宗一郎は複雑な顔をした。

「あんたにも同じことを言ったのか…。確かにそこからだと続かなくなるよな。」

八広がこくん、と頷く。宗一郎は八広を優しい目で見て、一息ついてから話を続けた。

「で、どうやって決めたんだい?」

「あ、はい。私が思いついた色の名前をいくつか挙げてみたんです。それで、この青藍ってのが気に入ったって言うので。」

宗一郎は顎の下に手をやって、頷いた。

「ふぅん。確かにいい響きだし、あいつには合ってるかもな。あとでオレもそう呼んでいいか聞いてみるとしよう。」

宗一郎は楽しそうに言って、酒に口を付けてから、改めて八広に話しかけてきた。

「オレがね、八広さんと話をしたかったのは、絵の件だけじゃないんだ。

 オレと傾城君の付き合いはもう4年ほどになるが、あいつが他人に興味を持つのは珍しいんだ。あいつは破天荒だが、臆病なとこがあってね。そんな奴が自ら強引に誘い出して、呼び名まで付けさせる相手ってどんな人かと思って、ね。」

八広が顔をあげ、不思議そうな表情をした。その八広の顔を宗一郎はなぜかハッとしたような顔でまじまじと見てきた。

「…にしても。昨日、いや、今の今まで気づかなかったんだが。八広さん、あんた、すごく綺麗な顔してるんだな。奴のように洗練はされてはいないけれど、傾城君と遜色無い。オレは役者で座長だから、人の容姿って気になる方だ。…そのオレが気づかなかってのはな。」

宗一郎は八広に真剣な目を向け、八広は呆然とした顔を宗一郎に向けた。

「あんた、なんでそんなに自分を隠してるんだ?わざと目立たないようにしてるだろ。」

「……え?綺麗だって言われたのも、目立たなくしてるって言われたのも、そんなことは初めてです…。自分のことはよく判ってないだけかもしれないけど…。

私は男の一人暮らしだから、家に鏡なんてないし。これまでも自分を顔なんてちゃんと見たことないくらいで。隠すも何も…何もしてないですよ。」

「え?その顔立ちなら、周りから騒がれると思うが?」

「いえ。私は小さな頃から人前に出ることも、話をするのも得意ではなくて。家に閉じこもって黙々と絵を描いてたんです。地味で冴えない性分だとよく言われました。」

「え?そうか?でも、昨日は初対面のオレとも普通に話せていたじゃないか。そんな地味で話下手にはみえなかったぞ。」

「…最近になって、やっと少しはできるようになったんです。夏から秋ごろに他所の在住する兄弟子の家に逗留させてもらったんです。そこで、色々な方と交流する機会があって、鍛えられました。前はただ人と会って話をする、ってことも私には怖くて堪らなかった。

私が遊郭や遊里に赴く仕事が多かったのは、…美人画が得意ということもありましたが。何よりも私がそういう性分で遊女とも何も起きないだろうから安心だって理由で…あちらから指名されてたところが大きかったんです。いくらなんでも悔しいから、そこにいる先輩絵師連中の真似をしてはみましたが…あんな風に立て板に水が流れるように遊女を喜ばせる言葉は出てこないし、この仕事は向かないと思ってたところです。」

「え…そうなのか?うーん。でも、あんたはとにかく絵が上手い。もったいないな。」

八広は首を振って目を伏せた。

「絵師なんですから、絵は上手くて当たり前じゃないですか。差が付くのは…自分を売り込めるかどうかだって。師匠にも兄弟子にも言われました。絵が巧みだからといって、勝手に広がることはない。自分の絵をより多くの人に見て、知ってもらって、初めて絵師だと名乗れる。一端の絵師になりたきゃ、人の目と手と口を通して評判を広めてもらわなきゃならない。それには人に交わって自分の絵を売っていくしかないと…。でも、私はそれがどうしてもできなくて。今も人に交わっていくのは…怖いんです。今の仕事も兄弟子が私の絵を風流のお仲間に紹介してくれたからですし。」

八広は一気に話してから、こくんと酒を吞んだ。八広にまた酒を継ぎ足してから、

「そうか、どこの世界もそういうもんなんだな。どんなに良い芸でもそれだけじゃ駄目なんだよなぁ。」

宗一郎はしみじみと言った。

「そういえば、あんたの絵の師匠ってのは?それだけの腕と技だ。我流ではないだろ?」

八広が師匠の銘を挙げると、宗一郎はかなり驚いた顔をした。その名は将軍家にも出入りするほど名の知れた、武家のお抱え絵師だったからだ。

「え?ちょっと待て。それは市井の絵師じゃないじゃないか。どうやって入門したんだ?まさか、八広さんは武家の出か?それともどこかの旦那の隠し子か?」

八広は苦笑いで首を横に振った。

「そんなんじゃありませんよ。私は町人の、しがない職人の子です。たまたま、運に恵まれたんです。

父は櫛や小物を作る職人だったんですが、腕は良かった。ある武家が父の作ったものを随分と気に入ったらしくて。今度は直接依頼をしたい、と呼びつけたんです。詳しいいきさつは知りませんが、父がいくつか作って持っていったところ、そのとき武家が気に入って選んだものは、どれもまだ子どもだった私が図案を作り、絵を施したものだったんだそうです。絵を嗜んでいたその武家にその絵を描いたのが父かと聞かれて、息子の私だと答えたところ、その武家が私の才が惜しいと、私の後ろ盾を買って出てくださって。自分が習っている絵の師匠に私を紹介してくれたのです。」

「ふぅん。」

「その兄弟子が今でも私を引き立てて下さってます…。青藍と初めて一緒になった仕事もその兄弟子から紹介された仕事でした。」

「なるほど。そういうこともあるんだな。…でも、八広さん、それじゃ、確かに今のその境遇はちょっと、なんだな。本当なら悪所詰めするような絵師じゃないだろうのに。」

八広は顔を真っ赤にして下を向いて黙り込んでしまった。

「おい。宗一郎、なに八広虐めて楽しんでんだ?オレも混ぜろ。」

頭の上から唐突に降ってきた声に二人が顔を上げると、青藍が戻ってきて立ったまま二人を見下していた。

「お。戻ってきたか。あいつらはおとなしく寝たか?」

「あぁ。十二にもなるのに、眠いと七つか八つのガキと何ら変らないのな。布団運びながら寝ちまうのを起こしたり、寝ぼけてるのを厠に連れて行ったり、本当に子守りって大変なんだな。お前の苦労、判ったわ。」

宗一郎は苦笑いした。

「うちはまだ抱えられる年だし、二人だからな。まだいいよ。」

青藍は八広と宗一郎の間に割り込んで胡坐をかいた。

「で、何を話してたのさ。」

「あぁ、お前が随分と八広さんを気に入ってるよなって話だよ。」

「あ?ん?まぁな。最初は八広の描いた絵が気に入ったんだ。それでお前にあの絵はやらなかったの。で、昨日再会して呑みながらちゃんと話してみたら、八広って面白いんだよ。なかなかいいツッコミをしてくる。真面目ちゃんで、鋭いのかボケてるのかわからんとこがいいんだ。」

八広は不満そうに渋い顔をした。貶されてるのか、弄られているのか。

「そうそう、八広さんに呼び名付けてもらったって?」

青藍は酒に口を付けながら、しらっとしている。

「あぁ。オレ、自分の名前なんて無いからさ。」

「…今までどうしてたんだよ。」

「芸妓としては遊君と呼ばれるか、傾城君と呼ばれるかだった。オレみたいなのは一処に長居することはないからな。特に障りはなかったんだ。一座に年単位でいるなんて初めてのことなんだぜ?」

「そりゃ、光栄だ。」

「でもなぁ、最近、オレの一座での呼び名の傾城君ってのが、芸名として広まっちまってさ。何かと不便なんだよな。」

「…それはお前が悪い。江戸中の噂になる武勇伝を作り過ぎるからだよ。」

「うるせー。仕方ねぇだろ。勝手に噂にされて、挙句に武勇伝にされて貯められちまうんだから。とにかく、街中で傾城君なんて呼ばれたら何が起きるか。」

青藍はそっぽを向いた。

「自業自得ってもんだよ。あ、その青藍っての、お前に似合ってるぞ。オレもお前を青藍と呼んでも構わないか?」

「そりゃ、どうも…呼び名って、そのためのものじゃないのか?」

「じゃ、そうする。」

そんな二人をようやく顔を上げた八広はかすかに微笑んで見ていた。

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