第二章 六夜~六太と与一~

まだ子どものような二人の弟子は、随分と青藍に懐いている。青藍によじ登ってくる二人を一人ずつ剝がすが、またすぐ絡まれる。嫌な顔をしつつも相手をしている青藍を八広は微笑みながら見ていた。

「おい、八広、お前も一人相手をしてくれ!!」

そういうと、少年のうちの一人を八広の方に押し出し、少年はそばにやってきた。

八広は腰を少しかがめて、話しかけてみた。

「ね、君のことはなんて呼べばいいの?」

少年は八広を上から下まで遠慮なくまじまじと見てから、

「六太。」と答えた。

「じゃ、六太。よろしく。」

「ん。お兄さんは?」

「え?さっき君の師匠が呼んだでしょ?八広って。」

「あ、そっか。じゃ、やひろ、よろしくな。」

「こら、八広さん、だろ。」

青藍が傍にやってきて六太の頭にげんこつを当ててグリグリすると、六太はわざとらしく頭に手をやった。

「ししょー、痛いよ!!」

そして、もう一人、青藍が襟首をつかんで子猫のようにぶら下げている少年が与一らしい。

二人とも女の子と言われても疑わないほどの可愛いらしい顔をしているが、その目はどうみても悪戯っ子のそれだ。師匠と同じ質のようだ。

「こいつら、ロクなことしないしバカなことしか言わない。本気の阿呆全開のお年頃だからな。オレも苦労してるよ。」

「…青藍さんを困らせるなんて大したもんじゃないか。そんなの、なかなかいないと思うよ。」

昨日の座長の苦労顔を思い出して八広が笑って言うと、青藍はまた渋い顔をした。

「お前、そういう奴だったか?なかなか言うじゃないか。」

八広はにっこり笑った。六太と与一は青藍に絡みついたまま、二人のやり取りを見ていた。

「ね、八広さんはししょーのお友達なの?」

「うーんと…どうなんだろう。」

「八広はオレのコレなんだよ。」

青藍がニヤニヤしながら小指を立てて言うと、二人の少年は、え?という顔をして引きつつも、ちゃんと八広にお世辞を言うのも忘れなかった。

「あの、八広さんって…本当ですか?確かにすごくお綺麗ですけど~。」

「…あのね、そんな訳ないでしょ。青藍さん 、私らを揶揄って何が楽しいんです?本当にどっちが子どもなんだか。」

「お前ら本気に取るから面白いんだよ。誰も信じないしさ、害もないだろ。」

青藍は相変わらず笑っているが、弟子は非難の目を師匠に向けた。八広は溜息を付くと、二人に改めて自己紹介することにした。青藍に任せるとロクなことにならないし、教育上もよろしくない。

「…私は今度こちらの一座で役者絵を描くことになった絵師です。傾城君とは以前に別の仕事で一緒になった知己の間柄でね。あ、私は男だし、この人とは仕事仲間以外の何でもないから。」

「…八広は真面目ちゃんな。つまんねーの。その設定でしばらくこいつら揶揄って遊べて面白かったんだけどなぁ。」

二人の少年は「これが大人の冗談なのか」だの、「こういうのが大人にはウケるのか」だのとコソコソ言っている。

「…傾城君…本気で怒るよ。…あんたら、こんな大人になっちゃ駄目だからね。」

大きな子どもと本物の子ども二人は八広をキョトンとした顔で見た。

「ハイ。でもさ、八広さんって、なんか母ちゃんみたいだ。」

「は?」

六太の言葉に青藍はこらえられず笑い出し、しばらく笑い続けていた。

「ひぃ~。あぁ苦しい~。ところでさぁ。八広はこいつらに聞きたいことがあったんじゃなかったか?」

八広は思い出し、ちょっと表情を引き締めた。

「あ。さっき、傾城君から聞いたんだけど。君たちは芸事の神様に気に入られてるって…。」

六太と与一は顔を見合わせた。

「あ、それって傾城君がオレらの師匠になるちょっと前の話のことかな?」

与一の言葉に六太がこくん、と頷いた。

片肘をついて横になった青藍がその話をしてやってくれ、と二人に言うと一斉に話だした。


六太と与一に青藍はところどころ注釈を入れてくれて、まとめるとこんな話から始まった。

…二人は一昨年の秋に一座へと連れてこられた。

二人ともまだ10才。役者とは名ばかりの色子として、芝居小屋とつながる茶屋へ行くはずだった。

座頭はまだ子どもの二人を茶屋の色子として仕込むのではなく、きちんと「役者」として仕込むと言って茶屋から無理やり引き取り、歌舞の稽古を始めさせた。

とりあえず、大部屋へ入れたものの、年少の二人はなかなか一座に馴染めなかった。

同時期に入った少年たちも二人より3~7歳年上ばかりで、遊びたい盛りには違いないが遊びはまるで違う。ふざけてじゃれ合うより大人の真似をしたい年頃なのだ。

陰間の経験のある少し年上の先輩らに教わり、陰間として茶屋に出る者も多かった。

まだ陰間になるには幼すぎる二人は話も理解できないし、そもそも相手にもしてもらえない。

六太と与一はいつも所在なく、二人で過ごす事が多くなった。

二人は他にやることもないからと、舞を始めとする芸事の稽古はちゃんとやっており、指導役の役者たちも見た目の愛らしさと併せ、この二人を可愛がっていた。

ところが。ある日から突然、二人は稽古に出てこなくなってしまった。

二人は当面の目標だった大部屋主催の芝居に出さないと同じ大部屋の先輩から言い渡されたのだ。

この興行は若手の顔見世である。若く美しい姿を見せつけるような演目。かつて遊女芝居だった演目が選ばれることが多い。

そのため、幼い二人が演じられる役がないのだ。そのうえ、まだ稽古を始めたばかりの二人には、先輩と一緒に舞える曲もない。

仕方ないとはいえ、二人はすっかりいじけてしまった。

若手主導の大部屋芝居は座の幹部も本芝居の役者たちも口を出さないのが習わしだ。

座長はかわいそうだと思ったが、手は出せない。座頭からも何とかしろと言われ、さらに頭を抱えた。そんな時、目に入ったのが飄々と髪と帯をなびかせ前を横切る傾城君だった。年の近い彼とは何故かウマも合い、親しかった。

傾城君を呼び止め、二人の子供たちの話をすると、しらっとこう言った。

「ふぅん。そりゃかわいそうに。けどさ。別に舞台の上に出さなくてもいいんじゃねぇの?やりようはあると思うけど?」

「なるほど…で、どうするんだ?」

「お前が考えろよ。座長だろ?宗十郎?」

じゃな、と手を振って行こうとした傾城君にさらに食い下がり、子供たちの指導をしてくれ、と言うと。

「客演のオレに子守りの仕事をしろってか?嫌だね。ガキは嫌いなの。座頭に呼ばれてるからもう行く。じゃな。」

と振り返りもせず、行ってしまった。こうなると、座長こと宗十郎も意地になった。

よし、この件は絶対に傾城君に押し付けてやる。

傾城君は舞の名手の女形として一座の客演に入ったばかりだが、優美な見た目との差が激し過ぎるそのヤンチャぶりは既に有名になっていた。

ヤンチャ者にはヤンチャ者をぶつけるに限る。宗十郎はちょうど良い趣旨返しもできるし一石二鳥、とニンマリ笑うと、六太と与一を呼びつけた。

「あのね、ざちょーから、傾城君を見張れって頼まれたんだ。」

「うん。お小遣いやるから、って。それも3日間、朝から晩までちゃんとこっそり見張ってるんだぞ、って言われたんだ。」

いじけている二人は稽古もする気にならず、かといってやることも思いつかず、不貞腐れていた。

そこに座長が面白そうなことを言いつけたのだから、嬉々として駆け出していった。

「最初はね、ちょっと遠くから頑張って見てたんだよ。」

「うん。夕方位、までかな。ちゃんと見つからなかったと思う。」

「フン、なわけねぇだろ。すぐに気が付いたけど、お前らと遊んでやっただけだ。」


その日の夕方、両手に襟首をつかまれた猫のような二人をぶら下げた傾城君が宗十郎の前に現れ、睨みつけてきた。

「おい、宗十郎。なんだ、これは?」

「なんだ、ってウチの新入りのチビたちだよ。」

宗十郎はしらっと答えた。

「そうか。って、オレにどうしろっていうんだよ??」

「別に。オレはこいつらにお前を見張っとけ、と言っただけだよ。お前、芝居以外はロクなことしないからさ。

 …お前ら、コイツが何かしでかす前に見つかったようだなぁ。」

宗十郎が笑って二人を見ると、二人はバツが悪そうに背中を丸め、余計、猫みたいになった。

「はぁ?この品行方正なオレになんなんだよ。」

「…言葉は正しく使えよ、傾城君。…でさ、こいつら面白いだろ?面倒見る気にならないか?」

「なんでそうなる。」

「お前もこいつらも、鬼ごっこに隠れんぼは楽しそうだったぞ。」

猫のよう丸まった二人も傾城君に助けを求めるように見つめてきた。さすがの傾城君も大きな子猫二匹のいじらしい目に負けたらしい。

「…仕方ねぇなぁ。大部屋芝居の日までだからな。」

傾城君は二人を下すと嫌そうな顔をしつつも二人を引き受けた。

「今日はもうガキはお休みの時間だ。明日からでいいよな?」

宗十郎は笑って、同意した。


「オイラたちはね、七ッには起きて、小屋の掃除したり仕事があるの。だから明け六ッに芝居が始まって、先輩の出番がない時間に稽古をつけてもらうんだ。」

「最初の日にししょーのとこ行ったら。真っ先に大部屋芝居の日はおめぇらにも大事な仕事があるって知ってるか?って聞かれたんだ。」

「オイラたち、出番もないのに仕事だけはするのか?って答えたんだ。そしたら、当たり前だろ。客引きと客のお出迎えって仕事があるんだぞ。いつもやってるだろって。」


この日のお出迎えは芝居に出る先輩がやるんじゃないのか、と言った与一に傾城君はふん、と鼻を鳴らしてから言った。

「小屋に入ってから、席までは、ね。でも、小屋の外はお前らの天下だ。好き放題できる、最高の舞台だと思わねぇか?」

傾城君はニンマリ笑った。

「オレの案はこうだ。小屋を開ける前に小屋前でお前ら踊れ。客引きなんて紙配って大声出すだけじゃ能がない。巧い舞の一刺しの方がよっほど客が集まる。

今からみっちり練習すれば間に合うぞ。先輩どもを食ってやろうぜ。」

彼らも師匠につられてニンマリ笑った。舞の師匠はヤンチャの師匠でもあったらしい。

「とにかく、まずは練習だ。オレが教えてやるんだ。手ェ抜いたら承知しないからな。」

傾城君といえば芸への厳しさで有名な上、衣装を着て化粧を施した時の迫力は半端ない。二人はつばを飲み込み、こくこくと頷いた。

「よし、じゃ、始めようか。」

傾城君が六太と与一に舞の基本動作をさせると、まず姿勢から駄目だといい、背中に棒を入れてその感覚を覚えろと言った。

「オレが良いというまで風呂と寝るとき以外はそうしてろ、いいな!!」

その日から二人にとって傾城君の部屋の入口は地獄の入口になり、入るときには深呼吸していたが、嫌がってはいなかった。

傾城君は彼らにとっては師匠であると同時に褒めても叱ってもくれる、いい兄貴分のようだ。

傾城君が舞の基礎に及第点を出す頃には二人にすっかり懐かれてしまった。

傾城君は舞の基礎ができていることを確かめると、二人にこれから曲の練習に入ると伝えた。

「六太、与一。いいか。これから3曲教える。ちゃんと覚えるんだ。

もう舞の基礎はできているから、そんなに難しくはない。ただ、朝一番に踊る曲だけは、きちんと二人で振りを合わせなくちゃならない。朝っぱらから集まってくるのは玄人じゃないし、大部屋芝居に難しいものなんて誰も求めちゃこない。それより、一目で惚れさせる綺麗な舞じゃなくちゃ駄目だ。いいな。後の2曲は幕間のオマケだ。今のお前らなら難なく踊れるだろう。とにかく1曲目を完成させなくちゃな。」

そういうと、傾城君は扇を持って立ち上がった。

「まず、オレが踊る。2周目からはオレに合わせてついてこい。絶対にずれるなよ」

そういうと、傾城君は舞い始めた。が、二人は口を半開きにして見ているだけだった。

初めて見た傾城君の舞に見惚れてしまったらしい。

傾城君は動きを止めた。

「こら、すでに2周目に入ってるぞ。何やってる。」

二人は顔を見合わせたが、すぐに傾城君に謝ってきた。

「ごめんなさい。傾城君がきれいだから、見惚れてて。振りも入ってないです…。」

「はぁ?本当になにやってんだよ。じゃ、最初からもう一度いくから、合わせて来い。いいな!!!今度はボケっとしてたら駄目だぞ。」

「はいっ!」

「返事だけはいつもいいんだけどなぁ。じゃ、いくぞ。」

気を取り直した傾城君は再び舞い始めた。

六太と与一も今度は必死の顔で傾城君の動きを追っていっていた。

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